10 幽霊は明日を歌わない

 紛れもなくそれは、水原とわたしが宗右川のほとりで演奏した『明日』だった。ベタでいい、と言った水原の顔を思い出す。

 スピーカーから、自分の歌声が流れ始める。理解がまるで追いつかない。

 映像は真っ白な背景にHOT GASという文字がゆらゆら揺れているだけだった。ラララしかない歌詞。優しい音色のアコースティックギター。何度も繰り返したあの曲。

 わたしはごくんと唾を飲み込んで、スマートフォンに集中する。

 動画は短かった。ワンコーラスぶんの尺でシークバーが終わりに差し掛かると、画面内の文字が動き出した。一度、てんでんばらばらに散って、順序が並び替えられる。

 A GHOST。




 水原とわたしが作った『明日』はネット上でそこそこ話題になった。

 わたしはホット・ガスのアカウントにメッセージを送り、数回やりとりをした。


  


 季節は夏になっていた。 




「世界に広めよう、と言ったはずだけど」

「ネットに載せるのを許可した覚えはない」

「駄目だったか」

「そうじゃないけど。ていうか……」

「ていうか?」

「ああもう! 言いたいこと訊きたいことがありすぎて……」

「頑張って」

「まずさ。幽霊って! 水原! なんだったのよ!」

「まさか、信じているとは思わなかった」

「サッカーボールのくだりはどういうこと」

「あれは、藤本の言ったとおり。子どもたちに、『俺がサッカーを邪魔しにきたら、俺のことが見えないふりをしてほしい。もしやってくれたら、ジュース買ってあげるから』って言って」

「超怪しいよ、それ。今のご時世、普通に学校で問題にされるよ」

「幸い、平気だった。あと、学校で幽霊って呼ばれてるのは嘘じゃない」

「悲しい告白を今するなよ。てことはさ、やっぱりわたしを狙ってたんじゃん。読み、当たってたじゃん」

「うん、だから、ずばり言われてびっくりした。でも」

「でも?」

「藤本がタイプだったからじゃない」

「あ、なんか、今すっごくイラッとした」

「藤本、のど自慢に出てただろ。あれを観たんだ」


 南沢では、毎年夏になると盆踊り大会が行われる。南沢駅前通りを中心に、様々な飲食店が屋台を並べ、お神輿を担いだ子どもたちが練り歩く。

 地元の人間が夏祭りといえばその盆踊り大会のことだ。

 去年、わたしはそこで開催されるのど自慢に参加した。歌ったのは、Charaの『やさしい気持ち』だ。

 元々歌うのは好きで、中学生の頃はコーラス部に所属していた。高校でもやれたらいいなと思っていたが、宮下高校にはコーラス部あるいはそれに準じるような部活はなく、なんとなくそのまま帰宅部になってしまった。

 愛ちゃんからは「バンドでも組めば?」などと言われていた。しかし、行動力がなくなんでも後回しにしてしまう性格のわたしは、何もできないまま二年生になっていた。


 ちなみに、のど自慢は隣に住んでいる山田のおじいちゃんが優勝した。


「お盆だし、幽霊が観に来てもおかしくはないね」

「だろ。それで、ずっと藤本が俺の曲歌ってくれないかって思ってたんだ」

「て言ってもさ、去年だよ? 一年も経ってるよ」

「藤本の歌に合うような曲を作ったり、あと、ほら……」

「はっきり言いなさいよ」

「南沢の盆踊りに来てるってことは、まあたぶんこの辺に住んでるんだろう、とは思っていたんだけど」

「あ! そうだよ。あの公園を通って下校するのを待ち伏せてたんでしょ? どうやってわたしの通学路を知ったの?」

「誤解しないでほしいんだけど……本当にやましい気持ちとかはなくて、本当にたまたま、南沢駅で藤本を見かけて。で、俺と帰る方向が同じだったから、後ろからこっそりつけていった」

「怖! 超怖い!」

「いや、本当に、やましい気持ちはない。神に誓って」

「それはそれでムカつくんだけど」

「というわけだ。藤本に歌ってほしいと思っていた曲ができたタイミングで、藤本をたまたま見かけて、これはつまり」

「天啓だと思ったわけだ」

「難しい言葉知ってるね」

「意外と冴えてんの、わたし。ていうかさあ……水原、ずいぶんと回りくどい真似したよね」

「女の子に声をかける方法なんか知らないから」

「なんだかなあ」


 今年の盆踊り大会も佳境だ。

 屋台の熱気と人混みの喧騒で、熱帯夜がさらに暑く感じられる。


「藤本、去年もその浴衣着てたな」

 水原がわたしをちらっと見て言う。

「去年のことよく覚えてるね。浴衣なんかそうそう新しいの買わないし。一年に数回しか着ないんだし。同じでもいいでしょ」

「うん、そうだな」


 わたしが着ているのは、白地に青で朝顔の柄の浴衣。


「水原は風情とか重んじないタイプだと思ってた。Tシャツに短パンで来るかと」

「まあ、ちょっとは重んじる」


 水原が着ているのは、黒地に細かく縞模様の入った浴衣。白い帯が洒落て見える。

 傍らには、筆記体でよくわからないロゴマークが書いてあるアコースティックギター。


「さて、そろそろ出番かな」

「藤本緊張しないの」

「うーん。あんまり。去年もここで歌ったし」

「そんなもんかな」

「それに、今年はひとりじゃない」


 レコード屋のオーナーは商店街で顔が広いらしい。水原は『地元のミュージシャン応援コーナー』としてのど自慢のオープニングアクトに誘われた。そして、水原がわたしを誘って、たった一曲だけの持ち歌を披露することになった。

 それがツイッターで交わした数回のメッセージの内訳である。


「藤本がホット・ガスを知ってるとは思わなかった」

「知ってるとは思わなかった、はお互い様」


 ステージの横に仮設テントを張っただけの楽屋で、わたしたちは準備を始める。と言っても特に何をするでもない。ちょっとストレッチをするくらいだ。小声で少し歌ってみる。わたしのために作ってくれた曲を。

 水原はギターのチューニングを再度確認しながら言う。


「去年のことよく覚えてるね、と言ってたけどさ」

「うん?」

「俺は今年のことも、絶対に忘れないと思う」

「……水原も一緒に歌えば、もっと思い出に残るよ」

「いや、俺は歌わない」



 

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幽霊は明日を歌わない 吉沢春 @ggssssmm

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