9 幽霊のセンスはベタか?
水原がギターを鳴らす。
「歌詞は、あとからつけたらいい。とりあえず、ラララとか、そんな感じで。なんとなくでメロディをつけてみて」
なんとなくで、と言われても。とは思うが、もう口には出さない。とりあえずやってみよう。
ギターに合わせて、即興でメロディをつけ、歌う。恥ずかしさが、声を小さくする。さらに、まだ曲の全貌が頭に入りきっていないから、時折音を外してしまう。
「うん、うん」ワンコーラスだけとりあえずやってみて、水原は演奏の手を止めた。「Aメロだけ何回か繰り返してやってみよう。出来上がってきたら、Bメロ、サビに進もう」
「大丈夫かな」
「なにが」
「ギターだけのほうがいい曲なんじゃないかなって」
「遊びだと思って、気楽にやればいい」水原が真っ直ぐにわたしを見る。前髪の奥の目は、きらきらと澄んでいた。「大丈夫。藤本の声はとても綺麗だ。やっぱり俺が思っていたとおり」
ギターが鳴る。
歌う。
今のメロディはとてもよかった、と水原が言う。
わたしもそう思った、と応える。
忘れないうちに、もう一回やろう。水原がまたギターを鳴らす。
わたしは、歌う。
だんだん大きな声が出てくる。
何度も、何度も、おなじことを繰り返す。
そのうちにメロディは固まってきて、音を探るのではなく、気持ちよく歌うことを意識し始める。
何度も、何度も。
川面を揺らす風が、ついでにわたしたちも撫でてゆく。
グラウンド整備を終えた野球少年たちが、帰路につく。
わたしは、歌う。
何度も、何度も。
気がついたら辺りはもう夕暮れ時で、結構な時間をここで費やしていたことに気づく。
空気は少し冷え込んできている。しかし、歌って身体が温まっていたので、ちょうどよかった。気分が高揚していた。
「結局、歌詞はラララばっかりだけど。形になったね」
わたしの言葉に、水原はこくりと頷いた。
「これ、世界に広めよう」
「大胆だなあ」
「でもタイトルまだないんだ、この曲」
「じゃあ考えようか」
「藤本はこの曲から、どんなことを連想した?」
「そうねえ」わたしは大きく伸びをしながら、思いついたことを挙げていく。「希望かな。ベタかもしれないけど。さっきイエスタデイ弾いてたじゃん。あれとは逆に、明日に向かっていく感じっていうか。前向きな気持ちになるような雰囲気」
「うん、俺も、そんなイメージで作った」
「ほんとにい?」
「ほんと、ほんと」
「なら、よかった。それで、タイトルどうする?」
ちいさな子どものような、はにかんだ笑顔だった。水原が、初めて笑った。
「『明日』、にしよう」
つられて、わたしも笑った。
「やっぱりベタだよね?」
「イエスタデイしかり、ベタがよかったりする」水原は元の無表情に戻っている。「難しく考えなくてもいい」
「そんなもんかあ。最後に、水原も一緒に歌おうよ」
「俺は歌わない」
オレンジ色の夕焼けが、遠くの街に溶けていく。
「ひかるちゃん、あれ見た?」
その日の夜。
わたしは、しばらく勉強しなくてもいいのだという開放感と共に、自室でお風呂上がりのバニラアイスを楽しんでいた。スピーカーから流れる、ホット・ガスの優しいピアノに心地よく身を委ねていたところ。
珍しく高橋さんから電話があった。
「あれ、とは」
「ツイッター。ホット・ガスの新曲がアップされてたよ。デモバージョンで、音質は粗いんだけど。めちゃくちゃいいの」
わたしにホット・ガスを教えてくれたのは、高橋さんなのだ。
「まだチェックしてない。どんな曲だった?」
「それがねえ。今までの曲って、全部インストだったでしょ。今回初めて、歌が入ってるの」
「お、気になるね」
「わたしさ、ホット・ガスって勝手に男性ミュージシャンだと思ってたんだけど、女性ボーカルだったよ」
「わたしもなんとなく、男の人をイメージしてたかも。ソロなのかバンドなのかもよくわかんないけど」
「そのボーカルがねえ、いい声してるの、ほんと」
「ちょっと今ツイッター開いてみるね」スピーカー通話に切り替え、ディスプレイを操作する。ホット・ガスのツイッターアカウントを開き、最新のつぶやきを確認する。「ほんとだ。新曲って書いてある」
「聴いて聴いて」
「あ、これ、通話中だと聴けないな。じゃあ今聴いてみるから、とりあえず切るよ。教えてくれてありがと」
「うん、じゃあまたね」
電話を切り、再度ホット・ガスのつぶやきを見る。本文には「新曲 demo」とだけ書かれていて、そのあとに動画のリンクが続いている。
リンクを開く。ノイズ混じりにアコースティックギターの演奏が始まった。
ゆったりとしたテンポ。
もの悲しいような、優しいような、眠たくなるような、わくわくするような旋律。
時折、弦の上を指が滑るきゅっという音が鳴る。
「これって」
わたしはこの曲を知っている。
音が聞こえそうなくらい、心臓がうるさい。
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