50cmが埋まらない

竹宮千秋

50cmが埋まらない

完結

「はぁっ、はぁっ……待ってよ、はーちゃん!」

「ゆずきが遅いんじゃん!早く早く!」

いつも通りの二人の声、ここでずっと見守ってきた二人。二人以外今の私を使ってくれる人はいない。

ぎしぃっと音を立てて二人が密着してジャレ合いながら腰掛ける。若干右の方が少し重さを感じながらバスが来るのを待つ。

「今日寒いね……」

「もう冬だもん。ゆずきの季節が来たね〜」

「冬は嫌い、だって手の皮むけて痛いもん。」

「私は好きだよ!ゆずきが生まれた時期だもん。」

なんて、たわいもない小学生同士のやりとりを聞く。

思わず微笑ましくなるくらいの純度の会話にほっこりする。

7時52分のバスが来る。古びた爆音のディーゼルエンジンの音。今日の二人も元気にタラップを駆け上がる。幸せのステップ音。

『いってらっしゃい、使ってくれてありがとう』の一言言えたらいいな。


「なぁ、葉月……。お前高校どうすんの?」

「私は柚季と違って馬鹿だからさ〜、柳井商業かな〜。柚季は国泰寺でしょ?すごいじゃん!進学校だもん。やっぱ東京いくの?いいなぁ、柚季イケメンになったし、頭もよかったらスカウトされちゃうかもね!私の友達もみんなかっこいいって言ってるよ!」

「わかんねぇよ。そんなの……。それにお前がずっといるんだから他の子寄ってこないんだっつうの!」

いつも通り、十年間聞いてきたこのやりとりが心地よい。やがて二人して立ち上がる。

数年間毎日毎日ぎしぃっと音を立て続ける。

『今日も元気にいってらっしゃい、今日も楽しかったよ』の気持ちも込めて。

ちょっとまでは右の方が重かったのに、今では左の方が重い。そして、二人の距離が現れた。今までは磁石のS極とN極みたいなくっつき具合だったのに。今は同極同士が反発し合うみたいな距離を取る。50cmの距離は近くて遠い。そんな距離。

あいも変わらず古びたディーゼルエンジンの音がする。7時18分のバスが来る。今日も乗客は二人だけ。

ぎしぃっと音を立て続けに二度鳴らす。

いつのまにか広くなった背中を追いかける、小さな女の子に頑張ってと伝えたくて。


「うぅっ……。ごめんね柚季。私泣かないって決めたのに。ここに来ちゃうとダメみたい。」

真新しい。まだシワの付いていない布の感触を感じながらも、今日もぎしぃっと音を立てる。

わずかに香る、榊(さかき)の新葉と柚子の花の香り。

それでもバスはやってくる。少し、くすんだエンジン音を響かせながら。乾いたブレーキ音で停車する。

いつもは二度の合図も今日は何故か一度だけ。

50cmの距離感がいつのまにか無間の距離を感じてく。

それでも私は今日も言う。ぎしぃっと軋む音を立て。

『泣かないで、君の幸せはそこにある。』


「ねぇ〜、まま?なんで、泣いてるの?」

「ここにはね〜、私の想い出が座ってるんだ〜。

私が最初に好きになった人。」

「ままのすきなひとって、パパなんじゃないの〜?」

「そうだね、今はね……はぁ、やっぱり泣いちゃうな。」

「まま、どこかおかしいの?ぼくがなおしてあげる!

いたいのいたいの〜とんでけ〜!」

懐かしい、数年ぶりの重さを感じて目を覚ます。

けれど少しの違和感を感じる

右の方が重くて、左が軽いから。ちょうどいつかのあの冬のように。50cmの境界線の真ん中に榊と柚子の香りを感じる。

「よし、そろそろ行こっか!」

「うん!ママ元気になった?」

「うん。なったよ。おまじないが効いたみたい」

17時58分、少し静かなエンジン音。すぅっと静かに停止する。わずかな涙の跡を残して立ち上がる。

『きっと、気持ちは届いてる』そう言って涙を拭ってみたいけど。私の声は届かない。


どれだけの時が経ったのか。

私の身体は柔らかく、ミシッと音を立てる

風に吹かれただけなのに。それでも今日も人を待つ。

「柚季さん。母が、亡くなりました……柚季さんと同じ……。交通事故でした。」

そう言って、もう死にかけた私の真ん中に懐かしいあの香り。

榊の新葉と柚子の花。50cmの境界線上に手向けられたその匂いが懐かしい。

「母に聞きました。柚羽の柚は柚季さんの字なんですね。天国では、母の初恋を叶えてあげてくださいね。」

懐かしい、真水ではなく、若干染みる塩味のある雫の味がする。

『きっと、大丈夫。私があの二人を待ってる」と伝えたくて。

19時32分、突然きぃーっとブレーキ音。ブザーの高音がない代わりに、ガチャリと音がする。そしてその後も音もなくただ風の音だけが聞こえる。


どれほどの時が流れたのだろうか。突風とざぁざあ降りの雨音に負けて、私はついに力尽きる。

本当はもっと待っていたい。けれど私に時間は無いようだ。0時38分、ギシァアン!とはしゃげる音がする。

けれど私は生きている。あの子の胸の中。忘れられなければ生きている。


私はついに土になる。

けれど懐かしい香りがする。

榊と柚子の香りがする。

私の想いを受け取って。二人の鼓動を感じた朝だった。

7時52分、エンジン音はしないけど、かわりにざわざわっと葉っぱの擦れる音がする。遅れて柚子の香りがやってくる。

どちらの重さも感じてる。

2人の距離は50cm。


『今度こそ、幸せを感じれますように』

今はもうけたたましいディーゼルエンジンの音はしないけれど。

身体がなくともそう願う。それが、ベンチの私の最後の仕事。

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50cmが埋まらない 竹宮千秋 @Chiaki1838

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