呟き
枯木 結衣 (かのき ゆい)
二次被害
前に何度か足を運んだ明るく開放的なカフェ。お昼は日の光が差し込んで、テラスの綠が綺麗。夜は各テーブルにキャンドルが置かれて、当時高校だったわたしには少し場違いだった。
コロナで外出自粛になって早一ヶ月。律儀に家に篭って、出るのは散歩かスーパーへの買い物くらい。徐々に散歩をする距離が伸びて、前まで足繁く通っていた街へ繰り出す。チャリで行くと十五分ほどで着くが、歩くと四十分かかるのでこんなお洒落な街が地元だ、と胸を張るには少し無理がある。
今日は散歩がてら、パンが食べたくなったので、そのカフェに立ち寄ることにした。そのカフェはパンも置いてあるのだが、パンの詰まったガラスケースは客席とはレジを挟んで反対側にあり、前までは買うほどの勇気が出なかったのだ。
十時の開店まで適当に時間を潰し、そしてお店に向かう。四階建ての建物の最上階にお店を構えているカフェなので、エレベーターに乗ってボタンを押す。下の階は全て雑貨屋かインテリアを売る店、不要不急ということだろうか、休業している。
パンが並んだガラスのショーケースから、無難にクロワッサンを選び、アイスのアールグレイを頼む。近頃のカフェは、テイクアウトのみ営業が多いように思えるが、そこはイートインも大丈夫らしいので、他には誰もいないテラスの席に座った。
アイスのアールグレイというのを初めて飲んだことに、飲みはじめてから気づく。クロワッサンのバターの香りとの相性が絶妙で、暑い日にはちょうど良くさっぱりさせてくれる飲みごたえがあった。
しばらく本を読んで滞在し、そろそろ帰ることにする。エレベーターのボタンを押してくるまで、店員さんに見られているのではないか、と自意識過剰なことを考え、勝手に気まずくなっている。
「「ありがとうございました!!」」
スーツを着たオーナーらしき人と、エプロンをつけた店長であろう人が深くお辞儀をする。角度まで揃っていて、エレベーターのドアが閉まるまで頭を上げるつもりはないようだ。
なんだか恥ずかしくて照れくさいな、と的外れなことを考えていたときだった。
心が揺れた。
あんなに繁盛してたこのカフェも、わたしとあと数人ほどのお客さんがいるだけで、その何倍ものお客さんを想定して焼かれてしまったパンはショーケースに積まれたままになっている。
わたしの千円もしなかった飲み食いが、バイト一人の一時間分の給料を賄うこともできないような金額が、お店の人にとってこんなに深く頭を下げるほどに大事だというのか。
前までだったら何か作業をしながら、気づいた人につられて言う程度だっただろう挨拶をこんなに丁寧に、力強く言うのか。
彼らを想って心が震えた。
お店が破産する恐怖と日々闘っているであろう心境を思うといたたまれなくなった。
彼らだけではない。カタカナ三文字の可愛らしい響きとは間反対のあの忌々しいウイルスによって、沢山の死者が出ている、それだけではない。人の居場所を、仕事を、人生を奪っているのだ。
それでも起きて支度をしてパンを焼き、お店を開ける。その根気強さに、愛に、生きることへの渇望に胸を打たれた。
呟き 枯木 結衣 (かのき ゆい) @pyoko
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