Bygone days

宮﨑

Bygone days

おう、ジョージ。こんな酒場に来てどうした。ママに叱られるぞ。この前フェルナーと喧嘩してゲンコツくらったばっかだろう...なんだ、あの戦争の話をしてほしいだと?なんだ、もの好きな奴だな。全く誰に似たんだか...。

おいピエール、ビールを追加してくれ。


—ああ、ありがとう。


しょうがない。その代わり、この話が終わったらちゃんとママのところに帰るんだぞ。でなきゃ今度の小遣いは1マルクだってやらんからな。





ええと、そう、1918年の夏のことだ。50年も昔の話だよ。お前のママもパパもまだ生まれてないころさ。第一次世界大戦の真っ只中、俺は陸軍航空隊で戦闘機乗りをやってた。フォッカーの複葉機だ。わかるか?最近のジェット戦闘機とは比べものにならないほどのオンボロさ。風防もないから顔の皮が風で弛むんだ。機銃で撃たれれば焦げた鉄の匂いまでしやがる。おまけに座席は狭いからケツが痛くてたまらない。空を飛ぶってのはクソみたいなものだった。

そんな俺はなんとか生き延びていた。ゲロ吐いて小便を漏らしながらな。—例え話じゃないぜ、なにせ戦闘機には便所なんてついてないんだから。ここだけの話、国のために死ぬなんてクソ喰らえって思ってた。かっこいいパイロット様なんて幻想さ。俺が飛行機乗ったのも女の子の気を引くためでな。まあ、大きな過ちだったけどな。

ああ、リヒトホーフェンって知ってるか?レッド・バロンだ。ドイツの撃墜王エースでな。赤い戦闘機に乗った貴族の貴公子で女の子にも大人気だった。

俺はリヒトホーフェンにはなれなかった。撃墜なんて殆ど出来なかったし、出身もザクセンの片田舎だしな。だが俺は奴と違って生き残った。どんなに馬鹿にされようと、どんなに泥を啜ろうと、絶対に生き残ってやると思ってた。こんなクソみたいな戦争で、こんなクソみたいな空で死んでたまるかってな。

そうだ、俺は空が大嫌いだった。飛行機乗りのくせにな。命が失われても空は何もなかったかのようにそこにあり続ける。知らんぷりしてな。良い奴はみんな死んだ。悪い奴もみんな死んだ。イギリス野郎ライミーフランス野郎フロギーアメリカ野郎ヤンキーもみんな空で死んだ。そこに区別なんてなかった。

そんなある日のことだ。皇帝の戦いカイザー・シュラハトが失敗し、戦局が悪化して、配給の黒パンも少なくなって、豆煮から豆が消えかかってた時分だった。いつものように俺たちは出撃し、前線に爆弾を落とす爆撃機を護衛した。最初は楽な任務だった。一番攻勢が激しかったルール方面からはずれていたからな。ところがな、爆弾を落としてさっさと帰ろうとしたとき、フランスの戦闘機隊にばったり会っちまったんだ。雲が厚くてな、お互い近付くまでわからなかった。向こうも予想外だったらしい。陣形も整わないまま、なし崩しに空戦が始まった。

数も性能もほぼ同じ戦闘機隊が同高度で会敵したらどうなるか分かるか?相討ちさ、ドイツの戦闘機も、フランスの戦闘機もハエみたいに落ちてった。機銃の曳光がぐんぐんこちらに迫ってくる度に俺は神に祈ってた。敵機にケツにつかれて追い回されるたびに神を罵ってた。

もう敵も味方もなかった。俺たちは死ぬために飛んでいた。機銃弾で空は焦げ臭くなった。空中分解した残骸にあたってパウルの頭は吹き飛んだ。ミヒャエルとフェルナンドは正面衝突して機体も身体もバラバラになった。

戦闘開始から30分は経った頃だ。あるフランス機が俺のフォッカーに近づいてきた。飛行帽を目深に被った奴の顔が見えるんだ、

俺には死神が操縦席に乗ってるようにしか見えなかったよ。もう味方も敵も僅かしか残ってい。俺は死にたくない一心で奴と格闘戦を始めた。互いのエンジンが唸り、機銃は吠えた。フラップは軋んだ。高空で、低空で、俺らは絡み合うように飛んだ。知ってるか?低空で飛ぶとな、たまに地上の匂いがすることがある。火薬の匂いと屍体の嫌な臭いだ。それを嗅ぎながら俺は必死に奴の機銃を避け、奴のケツを取ろうと躍起になった。まさに死ね為に俺たちは飛んでいたんだ。



その時、不思議なことが起きた。

俺のフォッカーと奴のニューポールが同調したように飛び始めたんだ。社交ダンスみたいに、二機は交差した。機銃を撃って相手を堕とすことなんて度外視した動きだ。鳩がつがいで飛ぶみたいに、俺たちはシンクロしていた。蒼空を、二機は飛んだ。雲の谷間を、草原の上を、疾駆した。操縦している感覚はなかった。身体が勝手にフットバーを蹴り、操縦桿を倒していた。低空で嗅いだ匂いは死臭じゃなかった。新緑の薫りだ。牛舎の匂いだ。パンを焼く香りだ。生の感覚が全身を駆け巡った。俺は理解した。奴と俺と同じだ。死にたくないんだ。殺したいんじゃない。ただ生き残りたいだけなんだ。生きて、ビールを、ワインを飲み、女の子とお喋りして、馬鹿みたいに騒ぎたいだけなんだ。

気がつくと空には俺と奴しか残っていなかった。あれだけの戦闘があったとは思えないほどの静寂が空を支配した。俺は奇妙な確信とともに機首を基地に向けた。偶然か必然か、正面の奴も俺と反対側に機を向けていた。奴の基地の方向だ。生き残るためだけの行動だった。

すれ違う時、互いに撃ち合えば互いを撃墜できたはずだ。でも、奴も俺も、互いにそうするはずないと奇妙にも確信していた。

フォッカーとニューポールが交差する刹那。奴はこちら向いて親指を立てていた。俺も同じく親指を立てた。言葉は届かない。顔も見えない。だが、俺たちは満足していた。互いが笑っていると知っていた。そして、生きてることに喜びを感じていた。分かり合えたことに感謝していた。

果てしなく広がる空に、初めて希望を感じたんだ。





さあ、お話はこれでおしまいだ。良い子は寝る時間だ。明日は遠足だろ。ヘルセンさんに飴を貰って帰りなさい。

そう、良い子だ。おやすみ、ジョージ。






ああ、ピエール。何の話をしたのかって?



俺とお前の出会いの話を、ちょっとな。




<Bygone days 了>


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