3 本当の『魔女』はもういない

「篠崎さん!?」


私は慌てて玄関の外へ出ていき、彼女を無理矢理図書館の中へ引き入れる。


「取り敢えずこれ!」


まだ使っていないタオルハンカチを彼女に手渡すと、彼女はあっさりそれを受け取り、顔や腕を軽く拭き始めた。


「ちょっと待ってて!」


私は玄関にあったビニール製のスツールに彼女を座らせて自販機に走る。

缶に入ったコーンポタージュやココア、ペットボトルの温かいお茶を買って戻ってくると、彼女は驚くほど素直に言うことを聞いていた。飲み物を選ばせると、彼女はココアを選んだ。


「何で傘さしてないの。」


そう聞いてみると、「壊した。」と、とても短い答えが返ってきた。 


「は?ここに来る途中で?」


登校中に傘振り回して遊ぶ男子小学生かよ。


「違う。前から。」


「じゃあ、間違えて壊れたやつ持って出てきたわけ?」


「……元々、うちにまともな傘なんかなかったし。」


「あ、そう。」


あまり突っ込んで聞かない方が良さそうだ。


「ここから家近かったの?知らなかった。」


まぁ、中学の校区が隣同士ならそれなりに近いだろうなって予想はしていたけど。


「あぁ……話してないから。」 


ブチッと。

私の中の何かがこの時、音をたてて盛大に切れた。何故今ここで腹が立ったのか、自分でもわからない。兎に角もう、我慢がきかなかった。


「はい、そーですね。誰かさんが初日からえらく無愛想で関わる気が失せたもんで。」


気づけば普段口にしないような乱暴な言葉が、口から飛び出していた。

篠崎笑莉が、ほんの少しだけ目を見開く。


「今日、言葉遣い雑だね。……いつもと雰囲気だいぶ違うけど。」


あぁ、どうしよう。止められない。


「君に対しては100%愛想笑いなの。どうして気づかないの、馬鹿なのかな。」


「うわぁ、口悪い。」


「うるせぇ、黙っとけ。」 


「はいはい。」


思わず舌打ちした。

最悪。

篠崎笑莉も、私も、二人して最低。

私はこれ以上醜態を晒さぬよう、後はじっと黙っていることにする。 


「……ねぇ。」


……それなのに、何故こういうときに限ってお前は話しかけてくるのか。


「……何?」


いい加減にしろや、と心中で悪態をつきつつ仕方なく対応してやると、彼女が言った。


「この前死んだんだ……うちの父親がさ。」


「……え?」


予想外の言葉に、一瞬思考が停止する。

どうしようか。一応慰めの言葉でもかけてみる?


「あー、それは御愁傷さま」


「いい気味だよ。」


私がまだ言い終わらないうちに、彼女が吐き捨てるようにして言った。


「本当、別に全然傷ついてないし、悲しくない。散々暴力振るった挙げ句に家族を捨てたクズ野郎だもんね。寧ろ清々した。」


「……」


嫌いなクラスメートが、嫌いな人の話をしているのをただ黙って聞いているこの状況、とても不思議。なんか、変な気分だ。

外から聞こえてくる雨音が、さっきよりも激しくなってきた。これは籠城コースかなと思う。コイツ放っておくわけにいかなそうだし。 


「でもさぁ……」


図書館の中にほとんど人がいなかったのは、運がいいとしか言いようがない。こんな重い話、誰かに聞かれたら気まずいにも程がある。


「何で普通に死ぬかな?」


その途端、篠崎さんの目から涙が溢れた。

ぎょっとしていると、彼女はギリリと歯を食いしばる。既に飲み終わって、手に持っていたココアの缶がぐしゃっ、と握り潰された。


「クズならクズらしく最後の最後まで苦しんで苦しんで、苦しみぬいて死ね!何だよ、頭打って即死って。何だよ交通事故って!私がが殺しにいくまで死ぬんじゃねぇよ!このクソ親父が!釜にぶちこんで煮込み殺してやる!」


すごい剣幕だ。

耳の奥の鼓膜が張り裂けそうだった。


「ヘンゼルとグレーテルの母親といい、うちの父親といい、なんで悪者が最後まで罰を受けない!この卑怯者が!」


……え、でもヘンゼルとグレーテルの母親は病死だし、死ぬまでにそこそこ時間掛かって苦しかっただろうから、それは罰なんじゃ……などという余計な一言は飲み込んだ。 


「……口悪いのはどっちだよ……」


ボソリと呟くと、彼女がはっとしたようにこちらを見た。もしかして私の存在忘れてました?

あぁ、そうですか。すいませんね。存在感なくて。


「……ごめん……」


珍しい。謝られた。


「別にいいけど。」


今日はお互い、どこか調子が狂っているに違いない。


「……私、来月引っ越すことになった。」


彼女が服の袖で涙を拭く。

転校するのだと、彼女が付け加えて言った。


「……そう。」


なんとなく、そうかなと予想はしていた。

多分、篠崎さんが情緒不安定な理由はそこにもある。


「……今度放課後に学校行って、荷物取ったらもう、すぐこの町を出る。」 


私が黙っていると、彼女がやけにさっぱりとした表情で笑った。


「ラッキーだね、砂山実恩さん。大嫌いな私がいなくなるよ。」


私は思わず、まじまじと彼女の顔を見てしまった。


「……何気に名前呼ばれたの初めてな気がするんだが。」


コテンと首を横に倒す彼女。

誤魔化そうったって無駄だ。


「そうだっけ。」


「そうだよ。」


「良かったね。」


「シチュエーション最悪。」


「ははは!」


その笑い方に、私はとてつもない違和感を覚える。彼女は空元気を出しているようだった。 


「……大丈夫?」 


また出たよ。私の私らしくない言葉。

篠崎笑莉を心配するなんて、普段の私じゃ有り得ない。

目の前の彼女の瞳が僅かに揺れる。

暫くの間があって、彼女はゆっくりと言った。


「……うん、平気。」


静かな一言だった。

そうこうしているうちに、いつの間にか雨が上がっていた。

雨雲はもう通りすぎたらしい。

外に出れば、澄んだ空気と、からっと晴れた青空に出迎えられた。


「私帰るわ。ココアありがとう。お金返した方がいい?」


篠崎さんが自分のポケットに手を突っ込んで中を探り始めるが、私は首を横に振った。


「別に要らない。」


「そう。じゃあ、遠慮なく。」


彼女の雰囲気が、やけに明るくなったように感じたのは気のせいか。 


「じゃあね!もう会わないと思うけど!」


そう言って、雨上がりの道を彼女は駆け出していく。

その背中に向かって私は声をぶつけた。


「もう一生顔見せるなよー。」


「喜んでー!」


なんだ、この下らないやり取りは。

それでもって、「喜んで」って何?

あっちも私が嫌いだったのか。

……そりゃそうだ。

私も相当、嫌な奴。


「ふはっ!」 


変な笑いがこみ上げてきた。

篠崎笑莉はもうすぐこの町から姿を消す。

彼女を苦しめた父親も消え、越した先のどこかで母親と「幸せ」に暮らすのだろう。

そうして物語はハッピーエンド。

めでたしめでたしだ。

『ヘンゼルとグレーテル』の入った鞄を持って、私は立ち上がる。


「さてと、帰りますか。」 


そうして私は、あちこちに水溜まりのある濡れた道を、家に向かって歩きだした。

気分がとても晴れやかなのは、篠崎笑莉がもうすぐいなくなるからか、それともまた別の理由なのか、私には検討もつかなかった。


結局、篠崎笑莉が最後まで姿を見せぬまま転校し、「ありがとう」と書かれた差出人不明の手紙が自分の机に入っているのを私が発見するのは、まだもう少し先の話。

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