2、ヘンゼルは帰らない

「え、篠崎笑莉ちゃん?」


彼女が学校に来なくなって暫く経ったある日の事。


篠崎笑莉と同じ中学の出身だというクラスメートの1人、貝塚冴海かいづか さえみに彼女について訊いてみると、ある衝撃の事実が発覚した。


「あー、あんまり話したことなかったけど……あの子のお家にちょっと問題があったらしいって事は知ってるよ。」


「……え?」


私が絶句しているうちに、冴海は続けた。


「なんかねー、元お父さんが家族に暴力振るう人だったみたいなんだ。もう離婚して、篠崎さんとお兄さんはお母さんが引き取ったみたいだけど。」


「え、お兄さんいるの?」


初耳だ。


「うん。もう家を出て一人暮らししてるって。お家にはあんまり帰ってこないみたい。」


まぁ、その気持ちはわかる。

家族というものに対して、嫌なイメージがついてしまっているのかもしれない。

ただ……お母さんや妹の事が心配では無いのだろうかと、少しだけ思ってしまうのは私だけだろうか。


「へぇ……」


「篠崎さん、あんまり笑わないし、いつも着ているお洋服がちょっと汚かったのね。だから、小中学でいじめられてて……クラスが違ったから、詳しくは知らないんだけどね。」

と、冴海が言う。


「あんまりベラベラ喋っちゃうのも良くないかもしれないけど……今も、結構大変みたいだよ。」


冴海は少し渋い表情で、後味の良くないその会話を締め括った。


「……」


『『ヘンゼルとグレーテル』には二人の魔女がいる。』


不意にあの日の会話がフラッシュバックする。


『1人はお菓子の家の魔女、もう1人は……ヘンゼルとグレーテルの母親。』


あの時、彼女が言っていたあの言葉。

一体どういう意味で言ったものだったのだろう。


その日、私は学校の帰りに図書館に寄って本を借りた。

言わずもがな、借りたのは『ヘンゼルとグレーテル』だ。

図書館の閲覧コーナーでそれを開いた。

早速、ヘンゼルとグレーテルの母親に関する描写を探す。


「あれ、口減らしのためにヘンゼルとグレーテルを森に捨てようって言い出したの、主に母親の方だったんだ。」


てっきりヘンゼルとグレーテルの両親ともに納得した末の決断だと思っていたのだが、父親の方は強気な母親に圧しきられて渋々、という風に書かれている。


一度目は父と母の相談を盗み聞きし、機転を利かせたヘンゼルがポケットに白い小石を隠しており、家までの道にそれを落としていったため二人とも森から無事帰還出来たのだが、二度目は母親の妨害によって小石を拾いに行けず、二人は弁当として持たされたパンをちぎったものを目印としてまく。


しかし、それらを鳥達が食べてしまったので目印がなくなり、家までの道が分からなくなってしまった彼らが、森をさ迷ううちに辿り着いたのが人喰い魔女の住むお菓子の家だった、というわけだ。


「……」


それからまぁ、色々あって二人が魔女の家から生還した時、父親は子供達を捨てたことを酷く後悔しており、ヘンゼルとグレーテルが帰ってきたことを泣いて喜んだが、母親は既に病気で死んでいた。

残忍で狡猾な母親と、優しいが頼りない父親。貧困家庭の上に極度の食料不足ともなると、気持ちの余裕も無くなるのかもしれないと考えることもできる。

それにしても、結構酷い話だ。


「食べ物の事となると、みんな必死になるんだなぁ……」


確かにこれじゃ、母親とお菓子の家の老婆、どっちが本当の『魔女』なのかわからない。


でも正直、表面上では子供達を愛しているように見せかけて、家族を捨てるなんて酷なことをためらいもなくやってのける母親の方が、私はより質が悪いと、思ってしまった。


暗い気持ちのまま窓の外を見ると、ぽつぽつと小雨が降ってきている。


「……そろそろ帰るか。」


図書館の玄関までやって来た時、私は息を飲んだ。


篠崎笑莉が、びしょ濡れで玄関の外に立っていたのである。




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