お菓子の家

花染 メイ

1、グレーテルは笑わない

昼休み。

教室の隅の席。

昼食も摂らずに1人机に突っ伏している君を見た、高一の春。

あれから1年。

もう、この学校に君はいない。


篠崎笑莉しのざき えみりさん。」


入学式が終わった後。


今日から一年間お世話になる教室に入ってすぐ、私はその女子生徒に声を掛けた。


他の生徒達も新しいクラスメートとなる同級生達と交流を図るべく、あちこちでお互いの自己紹介を始めている。


「読み方あってる?」


目の前の少女が頷くのを見て、私は安心した。


「私は砂山実恩すなやま みおんです。名前の順だと篠崎さんのすぐ後ろ。よろしくね。」


「……よろしく。」


その言葉とは裏腹に、あんまりよろしくしたくなさそうな表情だ。


仕草や態度が見るからに怠そうで無表情な上に、目つきに至ってはこちらを睨んでいる風にすら感じられる。


「どこ中から来たの?」


懲りずに質問を続けると、素っ気ない返事が返ってきた。


「第一中。」


「あ、私隣の校区。二中だった。」


「へぇ。」


「えっと、何でこの学校来たの?」


「近かったから。」


「そっか。私もそんな感じだよ。」


「ふーん。」


「この学校、ここら辺一帯の公立校の中では建物も綺麗な方だし、いいよね。」


「そうかな。」


「うん、そう思う……」


「へぇ。」


……これは全く歓迎されていないな。


ただでさえこちらに関心が無さそうだったのに、返答の口調が段々と面倒なものを適当にあしらうそれになってきている。


あまり人と話すのが好きではない可能性もあるので、その場は早めに話を切り上げた。


篠崎笑莉と仲良くなることは早々に諦め、他のクラスメート達に話しかけにいく。


初めが散々だったせいか、彼女以外の同級生達との初対話は、驚くほどスムーズに楽しく感じられた。


その中の数人とは特に仲良くなったため、それからも親しく付き合っている。


しかしその数ヶ月後。


段々と新しいクラスに馴染んできた頃に、意外にも篠崎さんの方から私に話し掛けてきたのだった。


「ねぇ、『ヘンゼルとグレーテル』って、読んだことある?」


「……ん?」


何だ、いきなり。

この数ヶ月間、何の音沙汰も無かったので流石に戸惑ったが、仏頂面の彼女にじっと見つめられ渋々答える。


「グリム童話のやつでいいの?お菓子の家とか出てくる?」


彼女が頷いた。


「そう。」


「うろ覚えだけど一応ある。なんで?」


私が怪訝に思いつつ問い返した時、彼女が言った。


「『ヘンゼルとグレーテル』には魔女が2人いるって、知ってた?」


「……は?」


本当に何言ってるんだコイツ。


私はいよいよ本気で眉間に皺を寄せた。

というか、何で急に話しかけてきたの?


篠崎笑莉という人間はあれから、私と話す機会がある度にいつも嫌そうな顔で対応してきた。不機嫌な時などは、能面のような気味の悪い無表情で黙り込んでおり、一切他人を寄せ付けようとしなかったのである。

それが何で今更私と雑談を?


心の中で我慢するのをやめた瞬間、不満が溢れ出て仕方ない。


いや、今までも必要最低限の会話はしてきたけれども。角を立てぬようこちらも作り笑いは絶やさなかったけれども。


私は次々と飛び出そうとする文句を必死に飲み込んだ。


名前の順の関係で関わる頻度が多少高くたって、私ら決して仲良くなかったよね?


そもそも君は、私と仲良くなる気なんてさらさらなかったんじゃないのかい?初日の会話と君の態度まんま再現してやろうかと、一瞬静かな苛立ちを覚えるが、とりあえずその場は鎮めた。


「えーっと?『ヘンゼルとグレーテル』に出てくる魔女って、私の記憶違いじゃなければ確か一人だけだったような気がするんだけど。」


すると彼女は少しだけ口角を上げて軽く笑う。


なんだ、そんな顔も出来るんじゃない、と内心で呟く。


「違う。1人はお菓子の家の魔女。もう1人は……」


その途端、彼女の表情に少しだけ暗い影が射したような気がした。


「ヘンゼルとグレーテルの母親。」


……うーんと?魔女設定だったっけ。あの母親。全く覚えてない。


「原作ではそう、なの?」


なんだって私はこの第一印象最悪なクラスメートと貴重な休み時間を割いてまでこんなどうでもいい話をしているんだ、というような事を悶々と考えつつ、私は言う。

彼女が首を横に振った。


「じゃあ、後世になってそういう設定が加えられたとか……あ、なんか二次創作的な話?映画とか小説とかの。」


彼女はまたも首を横に振る。


いや、だったら何だよ。お前の妄想か?

駄目だ。私の心がどんどん荒んでいく。


取り敢えず笑顔を繕って聞いてみた。


「じゃあ、どういうこと?」


すると彼女は少しだけ口を開きかけたが、すぐに閉じて机に伏せる。


「……やっぱ何でもない。」


おい、ここまで付き合わせといてその態度か。

ふざけんな。

私の時間返せ。


「あぁ、そうですか。」


私の声に少しばかりの苛立ちが混じる。


「……」


篠崎笑莉とはそれ以降、またお互いに大して関わりの無い日々が続いた。

彼女が学校に姿を見せなくなったのは、そのすぐ後の事である。

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