3章12話 夢と現実

シークは地上に出て、青空を見上げる。秋口の空は高く青い。それはシークが眺めるのが好きな、あの鑑定の間の大洞窟の支えの魔方陣と同じ色。

あの星空と見まがう暗い地下で、唯一見れる空の色。だからシークはあの天井にある支えの魔方陣が好きなのかもしれない。

シークは青空を仰ぐ。ずいぶん久しぶりに見た青空だ。

秋の日は落ちるのが早いので、いつも遅くまで坑道に潜っているシークはなかなか昼の空を見れない。

シークはしばらくぼーっとしていることにする。

何かつらいことがあると、シークはよく青空を眺めるとアリオクに言われる。言われてから、そうかもしれないと思った。晴れ晴れとした空を見ていると少し気分が晴れる気がするのだ。

アリオクとはすぐに別れたので、シークをとがめるものも気にする者もいない。

毎回地下から外に出るたびに新しく生まれ変えった気になる。

シークは一度大きく呼吸して、ぼんやりするのをやめる。

シークは歩き出す。向かう先は家ではない。だが自然と足が動くほどには通いなれた場所。

迎えてくれる人がいるから、シークにとって家より安らぐ場所。アリオクには馬鹿なやつだと言われるが。

シークは、クラウドナインの中央通りにたどり着く。

中央通りの名の通り、クラウドナインを二分する太い道だ。その道を境に、坑夫と魔具技師が住んでいる。街の分断を示す通りだ。といわれることもある。だがそこを歩くものは、クラウドナインのどの場所より雑多だ。みずぼらしい身なりの坑夫と羽振りのよさそうな魔具技師。どちらも等しく中央通りを歩く。

太い道にも関わらず、行き交う人が多く。人にぶつからずに歩くのが難しいほど。

シークはそんな大通りを中心から離れる方向に歩き続ける。

だんだんと人の数も減ってきて。道行く人もまばらになる。

そして完全にクラウドナインの端にたどり着く。

シークが向かったのは、崖に縋りつくように立つ店。今にも壊れそうな心配になる古さである。

店は看板を出していない。だがシークはそこをよく知っていた。

だから扉を開けて、中に入る。

中には入って正面にカウンター席が。その奥に上への階段に続く扉がある。その扉の前には顔に傷を持つ、強面の獣人が立っている。見ただけで、彼がいくつもの修羅場をくぐってきた強者だと分かる。

カウンターの中には口をへの字にいつも曲げている男性が座っている。

「シークか。ずいぶん早いな。何かいい稼ぎがあったのか?」

男性がシークに話しかける。親し気な調子だが、シークがいくら払えるのかを値踏みしている質問に過ぎない。シークは数多いる客の一人なのだから、当然か。

だがシークが答える前に店主は手を振って答えを遮る。

「もう分かった。何か悪いことがあったんだな。そんな顔をしても、料金はまけんからな」

店主にさえシークの顔が分かりやすいらしい。

「実は」

「そういうことはシエラに言うといい。客にいうことではないが、あまり入れ込むのもよくないとは思うがな。シエラに会いに来たんだろう?」

そう、シークはシエラの顔を見たかったのだ。

ここは娼館。シエラは娼婦だ。だがシークは本気で彼女が好きだった。かなうならば身請けしたいくらいには。

だが坑夫の稼ぎではそれもまた夢のまた夢。

「いや、その前に。これを見てほしい。これでシエラを身請けできないか?」

シークがポケットから取り出したのはポケットに入れておいた金の石。魔力クリスタルでないので、別に入り口で取り上げられることはなかった。

「アナジ、か。誰か巻き込まれたんだな」

基本的にアナジの産物は誰が保有してもいいことになっている。店主は金の石をためつすがめつして、重いため息をつく。

もし本物の金なら。シエラを身請けするのにたる代物だ。

だが店主はそれに期待する様子もない。

「おい、この石を切れ」

店主は背後に立つ用心棒に命ずる。獣人は言葉を発することなく。了承どころか、それが可能かどうかさえ言わなかった。

静かに石に歩み寄り、ポケットからナイフを取り出す。どういったことないただのナイフ。それを獣人がすっと振った、のがシークにもかろうじて分かった。

気が付いたときにはナイフはしまわれていて。石は半分に切れていた。ナイフが切ったにしてはきれいな切り口。

そしてその石は、外側だけ金色なだけで。中身はただの石だった。灰色のどこにでもある石。

シークはさして期待はしていなかったが、それでもショックを受けている自分を見つけて、それに驚く。

「こういうのは多いんだ。アナジの産物にはな。お前もこのクラウドナインの育ちならそれぐらいは分かっているだろう」

店主がドライに言う。

「分かっている。だが、こんなもののために、あいつは死んだんだな」

シークがつぶやくのを店主は面倒なものを追い払うように、カウンターからカギを取り出す。

「シエラに話せ。俺は面倒はごめんだ。感情のごたごたにだけは巻き込まれたくねえ。料金は払えるのか?」

「夕方までの料金は払える」

シークはもう片方のポケットからわずかながら現金を取り出しテーブルに置く。

「仕方ねえな。じゃあ特別に夕日が沈むまでだ。一応はお得意様ではあるわけだしな」

店主はカネを受け取ると、代わりにカギをシークに渡す。そして奥の階段への扉を開ける。獣人はわずかにその定位置からずれたところに立ち直し。シークはカウンターの奥に進み、獣人のそばを通り過ぎて階段を上る。

階段の先は、絶壁から張り出すこの建物から、遠く古代の森が見渡せる廊下が続いている。

シークが向かうのはなじみ深い部屋。

そこでシエラがいつもシークを待っている。

シークは部屋の扉の先には防音魔法がかけられている。だから、シークはカギを三回、開けたり閉めたりを繰り返す。カギが開き、閉まる音がする。防音魔法は、中の音を遮断する。だが物理的に室内に響く音は防げない。

それはシエラとの取り決め。シークが来るときはそうと分かるように決めた合図。そのあとでシークはカギを使って部屋を開ける。

「シーク!」

シエラが、扉を開けた目の前にいた。そしてシークを抱きしめる。

彼女にしては様子がおかしかった。だがシークは自分のことで精いっぱいでそれに気が付かなかった。

「シエラ。最近来れなくてごめん。魔力クリスタルの含有率が高いものがなかなか見つからなくて」

シークがシエラを抱きしめる。そのぬくもりに安心する。ここは家ではないけれど。シエラが待つ場所がシークの帰るところだ。

「いいの。分かってる。会いに来てくれるだけでうれしい」

シエラはシークから身をはなす。

そしてシークの顔を見て。心配の声をかける。

「シーク?何か、あったの?」

そんなにも自分は顔に感情が出るらしい。自分ではそんなに感情的はないと思うのに。

「組の一人が、亡くなった」

「アリオクが?」

シエラが聞く。

「違う、この前話した新人、レオーネだ」

シークが首を振る。

「つい最近来たばかりの人、だよね?坑夫はこんなに簡単に死んでしまうのね」

シエラがシークの身を心配するのが分かる。

「俺はまだいいほうだ。アリオクとその魔の耳がある。彼はアナジを聞き分けられる」

「でも、レオーネは亡くなった?」

「彼はアナジの危険性を理解していなかったのだろう。もっとちゃんと教えていられたらよかった」

「シークは今日はいつまでいられるの?」

シエラがシークの手を取る。秋の寒いそとから来たシークの冷たい手をシエラの温かい手が包む。冷たい手をシエラははなさない。自分のぬくもりを分け与えるように包み込む。

「払った料金は今日の夕がたまでだ。店主にまで同情されてしまった。夕日が沈むまでいていいそうだ」

「なら、少し眠るといいわ」

「せっかくシエラに会えたのに」

「つらいときは眠って忘れるのが一番。いいから横になって?子守唄を歌ってあげる」

シエラがシークの手を引き、シークはベッドに横になる。

シエラが小さな鼻歌を歌う。クラウドナインでよく聞く子守唄を。

シークは思いのほか疲れていたようで。その心地よい歌に誘われていつのまにか眠りについていた。


彼女の歌で眠ったからだろう。シエラと出会ったときの夢を見た。

「ここが、穴場の娼館か?」

シークはその時の組の仲間に連れられて初めてそこを訪れた。

「ここに来る理由は女だけではないんだ」

仲間は言う。今思うと、詩人の素養のある仲間だったに違いない。

「ほかに理由があるのか?」

シークは眉をあげる。

「もちろん。ここから見る朝焼けの絶景がいいんだ。いいから中に入るぞ」

「どの子がおすすめだ?」

「そういうのは分からん。勝手に選べ」

仲間は言った通り、女にはそこまで興味がないようだ。カウンターで適当な部屋番号を言う。

シークがシエラの部屋を言ったのは本当にただの偶然。ある意味では運命の出会いだったのかもしれない。

「じゃあ、朝の六時には起きてこの廊下にいろよ」

仲間は言い残し、自分が持つカギの部屋を開けて中に入ってしまう。

シークは吹きさらしの廊下から、外を見る。ここから絶景が見えるのだ、と連れてきたやつが言っていた。だがとても想像がつかない。

月が出ていたが、まだ満月になろうとする三日月で。

下には暗い深淵が広がるばかり。下の古代の森は先住民たち以外の人が住むのを禁じられている。当然灯りの一つもない。

シークはその闇にひきつけられて、落ちていくような感覚を抱く。そんな気持ちを振り捨てて、カギを開けた。

中にいた女性、シエラはおっくうそうに客であるシークを見た。

「あなたが、今夜のお客ね。今夜は私を好きにしていい。ただ一つお願いがあるの」

シエラはお願いを、と言った。料金はすでに払った。だから別に頼みを聞く義理はない。だがシークは彼女が何を願うのか、興味を持った。

それに一夜にせよともに寝るのだ。相手の気分がいいほうがいい。

「俺にできることなら」

シークは了承する。

「歌を、一曲歌ってほしいの」

シエラの願いはシークの想像とは違うものだった。カネでも、ものでもない。アクセサリーをねだるわけでもない。確かに自分の懐具合に買えるものはほとんどないが。

「歌?それは無理だな。俺は音痴だし。そもそも歌はほとんど知らない」

シークが言い、シエラががっかりした顔になる。それは彼女の中では重要なことらしい。

「歌の一つも知らないなんて変な人」

愛想がないうえに正直すぎる女だ。

「歌を人にねだる娼婦も、変な女だな」

シークがむっとして言い返す。

「なら、仕方ない。早く済ませましょう」

シエラが面倒臭そうに言う。

「そこまで言うなら、歌を聞きに行くか?お前を今夜は俺が好きにしていいことになっている。外に連れ出すのも可能なはずだ」

シークが提案する。変な人、と呼ばれて多少プライドが傷ついた。それにこの娼婦と寝るために来たわけではない。

「本当に?いいの?娼館に来たのに?あなたは変な人、ね」

辛辣な言葉とは反対にシエラの顔が期待に明るくなる。

「実はここに来たのは、外の絶景を見るためなんだ。朝焼けを、な」

シークが言い添える。一応は説明しておくべきかと思った。別に女に興味がない、わけではないのだと。

「やっぱり、変な人ね!」

シエラが明るく笑う。さっきまでの面倒くさそうな顔が嘘のよう。歌を聴けるから機嫌がよいのだろう。正直すぎる現金なやつだなと思った。それでも彼女の素の顔が見れた気がしてシークは悪い気はしなかった。

「じゃあ、行きたい場所がある。前に一度客に連れて行ってもらったことがあるの」

シエラが場所を言い、シークはうなずく。自分は一度も行ったことはない。だが場所は知っている。

クラウドナインはシークの生まれた場所。地下道と同じでどこへでも迷わずに案内できる。

だが場所を知っているのと、行けるのかということは全く違うのを思い知らされる。

彼らが向かったのはきらびやかな劇場。

当時の最新の魔法技術で建てられた真新しい建物。

ドアには当然警備員が並んでいて。シークたちは彼らに入り口で止められた。

「ここは、ドレスコードのある場所です。残念ながらあなたがたは入場できません」

警備員は丁寧な言葉で言ったが、要はみずぼらしい格好のシークと、首に隷属の魔具をつけた娼婦のシエラは入場できないということだ。

シエラはあんなに楽しみにしていたのに、すぐうなずいてその場を離れる。

シークはそれに続いた。

「前は、入れたのに」

シエラがつぶやいたのは劇場が見えなくなってから。涙は流していなかったが悔しさが声ににじみでていた。

「前の客というのは、金持ちだったんだろう?おそらくカネを多めに支払って中に入れてもらったんだ。俺にそれはできない」

シークの詫びるような口調に、シエラは顔を上げてシークを見る。

「本当に、変な人!それはあなたが謝るようなことではないよ」

シエラが笑いだし。シークはまた、彼女の素顔に触れた気がして悪い気はしなかった。

そこで思いつく。シエラはおそらく歌を聞きたいのだ。ならば自分に案内できる店がある。

「こっちに、ついてこい」

シークは夜のクラウドナインを案内する。天上に星がなくとも、暗闇を導くのはシークの役目。シエラは目を丸くして、うなずき何も聞かずに彼についてくる。

複雑な道を歩く。シエラは、知らない道なのだろう、あたりを興味深く見ながらもシークについてくる。

そしてたどり着いたのはコンスタレーション、という名前の店だった。

酒場だ。真夜中なのに明るい光がもれている。

そして壁には無数の穴があいている。それにはそれぞれ丸いガラスがはめられていて。つまりは壁が星空のようになっている。

シークでさえも分かるような有名な星座がいくつも。それが白い線でつなげられている。

それが黒い地の壁に映える。

「変わったお店ね」

シエラが感想をもらす。シークのことを変な人ねと言ったのと同じ言い方だ。

シークはそれが面白くて思わず笑いをもらす。

「変わった店に見えると思うけど。君はきっと気に入ると思うよ」

「でも、私…」

シエラは首に着けた隷属の魔具に手で触れる。先ほど劇場で断れたのを気にしているのだろう。

シークは自分のマフラーを取る。そしてシエラの首にかける。

「これで、いいだろう?」

シークが言い、シエラは少し驚いた顔で、それから勇気をもってうなずく。

シークは扉を開けた。

中から聞こえてくるのは、ふつうの食事処の喧騒ではない。食べ物を注文する声、大きな話し声。そういったものがない。

音楽が店に響いていた。

古いハープを持った楽師が、小さいステージで歌を歌っている。

並ぶ丸テーブルに座る客はみな、静かにその曲を聴いている。

異国の歌だ。シークには意味が聞き取れない発音の歌。

シエラは扉の前で固まっている。何か大きな驚きに出会ったような、顔。

「ほら、中に入ろう。ここでは食べ物の注文は曲の間に。会話も最小限にだ」

シークは動かないシエラの手を引き、テーブルに着く。

曲が終わるまでシエラはステージをじっと見ていた。まるですべての曲を飲み込むような必死さで耳を傾けている。

曲が終わって、大きな拍手。

そしてその場に普通の酒場の音が戻る。

ただ、ふつうの酒場と違うのはがやがやとした声の曲についての感想も多いことか。

「ここは、楽師がくる酒場なの?」

曲が終わってしばらくしてからシエラがシークに聞く。シエラは何かに集中するように目を閉じていたから。シークはシエラが声を発するまで言葉をかけなかった。

「そうだな。楽師たちの腕試しの場、みたいなところがあるな。劇場に行くほど有名な楽師はここには来ないけどな。それとただ歌が好きな坑夫たちが歌ったりする。劇場の音楽ほど立派なものではないけどな」

「それでも、いい曲だった。聞いたことがない歌だったもの」

シエラが言う顔は真剣で、でも嬉しそうだった。

「なぜ、そこまで歌にこだわるんだ?」

「そうね。ここに連れてきたお礼に、私の秘密を教えてあげる」

シエラがもったいぶった調子で言う。

「私はね。いつか歌うたいになりたい」

シエラが小声で言う。そんな小さな声でも、思い切って言ったのが分かる。

「そうなのか」

シークは納得する。

「それだけ?あなたは私を笑わない、のね」

シエラがシークの顔を見て、珍しいものを見る目になる。

「いや、そうだな。勇気があると思った」

「なぜ?普通ここでひとは笑うものよ。そんなこと無理だってわかっているんだろっていう、でもそれを隠した優しい笑み。あるいはそんなこと不可能だっていう顔のあからさまな嘲笑」

「俺に夢がないから、かもしれないな。夢を持つことができる人は強いと思うから」

シークは自分でもなぜか、考えてから言う。

「でも、勇気があるって言った。それはどういう意味?あなたにも何か夢があるの?」

「…そうだな。俺の秘密を話そう。別に、よくある話だけどな。俺は夢に破れたことがある。だから夢を持って、それを人に笑われる勇気があるということが難しいことだと分かるのかもしれない」

シークはいいよどむ。今思えば浅はかで無知な子供ゆえにもった夢だったから。人に話すようなことではないから。それはシエラの言うように、それを笑われるのが嫌だからなのかもしれない。

「どんな夢?私のを聞いたんだから、今度はあなたが教えてくれるばん」

シエラが興味をひかれたように言う。

「俺は魔法使いになりたかったんだ」

シークの心に去来するのは、幼き日の悲しみ。

クラウドナインの真冬の祭り。カーニバルで。シークは幻術使いの魔法にあこがれた。

何もない空中から光のドラゴンが、妖精が、金の木が枝葉が生まれる。幻術使いは無限にそれらを操り、子供たちを魅了した。

彼はそれに夢中になった一人で。シークはまだ自分が何かになれるかもしれないという希望をまだ持っていたのかもしれない。

だが両親にそんな荒唐無稽な夢を語って。鼻で笑われた。

「俺たちに魔法院にお前を入学させるカネはない。魔法院に入らねば魔法は使えない。それにその幻術師も。魔法院で学びながらお遊びの魔法しか使えない落ちこぼれにすぎない」

「ごめんね。シーク」

母は申し訳なさそうに言ったが、父の言葉を否定もしなかった。

シークは幼いながらに。自分の人生がもっと狭い選択肢しかないのだと理解するようになった。

「そう、なの。私も本当は、分かっている。私の夢は叶わない可能性が高い。夢を追いかけているふりをして。現実から逃げているだけなのかもしれない」

シエラが沈んだ様子で言う。

「俺も、仲間からよく言われる。俺はあり得ないことだから。と夢を捨てて現実を見ているふりをして、実は現実を見ないで逃げているだけなのかもしれない。つまり。俺たちは案外似たもの同志ということだな」

シークがシエラを励まそうと言葉を選ぶ。

「似たもの同士。私たちが。本当に変な人!」

シエラが笑いだし。シークは自分の本音を言ってよかったと思う。

「でも変な人だけど。私、あなたが好きだよ。たぶん、お客さんとしてでなくてもね」

シエラが付け加えた。言った言葉が自分で恥ずかしいのか顔が赤い。そんなところもかわいいな、とシークは思う。

彼らは楽しい夜を過ごした。そして娼館へ戻る。

「じゃあ、俺はここで帰る、か」

娼館の前でシークはシエラに言う。もっとシエラを連れ出したい気持ちはある。だがシエラの首輪は隷属の魔具。

そのころはまだ人に隷属の魔法を使うことは違法でなかった。娼婦や奴隷など逃げ出されては困るものにつけられる魔具。一定の距離離れると死ぬ。そして常につけている者の位置が分かる。

だからシークにはシエラを自由にすることはできない。

たとえ場末の娼館でも、娼婦を身請けするにはその将来稼ぐ値段を払わねばならない。

シークには一生かかっても彼女を自由になんてできないのだ。

「ええっ?わざわざこんな場末まで朝日を見に来たんじゃなかったの?」

シエラがからかうように言う。

「俺じゃなくて、俺の仲間が、だ」

シークが律儀に訂正する。坑夫の稼ぎでは娯楽が少ないのも事実で、それでこの娼館に連れられてきた。だがシエラと会って歌の酒場で楽しい夜を過ごした。シエラの喜ぶ顔が見れて自分まで楽しくなった。気持ちが満たされた気がした。

「いいから。あなたはお金を支払った。だから私はまだ今夜はあなたのもの。せっかくなんだから、朝日を見ていけばいい」

シエラが言ってシークの手を引いて店に戻る。

そしてあの暗い深淵ののぞく廊下へシークを引っ張るように連れていく。

空はちょうど白みだしたところだった。

淡い白色が濃紺を焦がし溶かしている。

まだ上らない太陽に照らされて雲が淡く色づき始める。淡い水色からピンクに、黄金色に。それとともに太陽が姿を現す。

地上の暗闇が取り払われて。森が姿を現す。晩秋の森は緑が少ない。それでも太陽に照らされて揺れる枝の波が遠くに見える。

それは絶景に間違いなかった。

「これは確かに見る価値があるな」

シークが言い。シエラがつまらなさそうに言う。

「いつもの光景だと思うけど」

「俺にここを紹介した、肝心の奴が見当たらないな」

シークが背後に並ぶ部屋を振り返る。

「疲れて寝ているみたいね」

シエラも笑う。

そしてシエラはすっと、顔を引き締める。

そしてシークに言う。

「素敵な夜だった。だからこれは私からのお礼。ほかに誰も聞いている人はいないみたいだから」

澄んだ音が響く。

シークは初めそれがシエラが発したものだと理解できなかった。

明けたばかりの秋の空のように、透明度の高い声。

彼女が歌うのは、夜に酒場で聞いた曲。

シークははっきりとは覚えていないが、それに違いないとだけわかる。

シエラはその短時間で曲を覚えて見せた。しかもこの国の言語ではない曲を。

そしてその心に染み入るような声。劇場に行ったことはないが、そこの歌手ならここまでの歌を歌えるだろうか?

シークはシエラの夢を笑わなかった。それでもシエラの歌のうまさに驚かされた。心のどこかでシエラを侮っていたのかもしれない。

「どうかな?普段は部屋で練習しているの。部屋には防音魔法がかかっているから。昼にいくらでも練習できる。あんまり人に聞かせたことはないけど」

「正直驚いた。それだけの腕前なら。身請けするものも出るんじゃないか?」

「私は誰かのものになるつもりはないの。私、こう、正直すぎるでしょう?誰かにこびて生きていくなんて無理だと思う。それに若ければいいけれど、そのうち捨てられる可能性もある。自分で生きていけるようにしたい。だから歌うたいになりたい。自分にできることを増やしたい」

「どうして、おれに聞かせてくれるんだ?」

シークが聞く。

「あなたは特別。私、あなたのことが好きになったから」

「俺も、君の夢も君も好きだな」

「じゃあ両想いだね」

あの日からシークはシエラによく会いに行くようになった。

シエラとの関係は恋人、のようなもの。

でも、そう長く続けられるものではない、とシークにもわかっていた。この関係に未来がないことも。

シークは夢から目を覚ます。

シエラが、なんだか泣き出しそうな目でシークを見ていた。

シークが目覚めるのに気が付いてシエラはすぐにいつもの彼女に戻る。

「どうかしたのか?」

シークがシエラを思いやる。

「別に、なんでもない。ほらちょうど日が沈むよ。見に行こう?」

シエラは再びシークの手を引く。シエラがそういうことを言うのは珍しい。自分にとっては当たり前の光景だから。

「別にいつも見れるんだろう?」

「シークと一緒に見たいの」

シエラがまた涙をこらえるような顔になる。

外はちょうど日が沈むところだった。

日がゆっくりと沈むのを二人でただ見ていた。

ふと、歌が聞こえる。

それは、はるか遠い地上から舞い上がるように聞こえてくる。

軽やかな花弁が簡単に風に乗せられ舞い上がるように。歌が風に乗ってくる。

それは遠くクラウドナインの下で選鉱する女性たちの歌。

魔力クリスタルは、魔力に反応して光を放つ。砕いたクリスタルを含有する石を魔力濃度の高い地上の湖に浸す。

すると魔力クリスタルを含有するものが光る。それをより分ける仕事。それは単調で過酷な労働だ。だから女性たちは選鉱をしながら、歌を歌うのだ。

暗い夜にしかできない仕事。シエラと同じ。だがシエラよりはるかに自由な彼女たち。

隣から唱和するように歌うのがシエラ。彼女の声は地上に届くことはないけれど。シークには聞こえる。口ずさむような軽い歌い方。それでもシエラの歌声は美しい。

シークは思う。たとえ一緒になれなくても彼女が好きだ。彼女の年季がいつかあけたら。たとえ彼女が老いていても彼女とともにいたい。

だからシークはシエラが何か思い悩んでいることに気が付かなかった。

景色が暗闇に飲まれて消えた。

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2025年1月4日 16:00
2025年1月11日 16:00
2025年1月18日 16:00

クラウドナイン・ハンターズ うたかた まこと @utakatamakoto

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