彼女の続き

 つまり「僕」とは、誰だってよいのだ。


 爆発事件が本当にあったのを証明するだとか、爆発の犯人が誰なのかとか、そんなことはもはやどうでもいい。


 ごく近い将来に終わりを迎える学校での時間の中で、まだわずかでも意味を持つものがあるとしたらそれは彼女だけだ。




 秋津を探していた。


 伝えたいことがあるのだ。


 俺は屋上に続く階段の前にいた。


 だから階段を登った。


 登り切った先にある扉には何故だか鍵が掛かっていなかった。


 扉を開けると屋上に出た。


 視界いっぱいに雲一つない平面的な夕暮れ空が拡がる。


 俺は頭こうべを巡らして彼女の姿を探した。


 そして見つけた。


 夕陽の方角、屋上のに強い日射しを受けて風景から切り取られた影絵がひとつ佇んでいた。


「秋津」


 声を掛けた。


 彼女は腕を後ろ手に組んで、まっすぐに西の空を見つめていた。


 こちらの声に何の反応も示そうとしない。


「何してるんだ?」


 もう一度話しかける。


 だが返ってくるのは沈黙だけ。


 こちらの声は聞こえているはずなのに。


 俺は相手の言葉を待った。


 しかしいくら待っても彼女は何も答えてはくれない。


「何か、言ってくれ」


 縋るような気持ちで言った。


 それでも相手は言葉はおろか、身じろぎひとつ返してはくれなかった。


 俺は打ちのめされたような気分になって、継ぐべき言葉を失った。


 こちらが黙っている間、彼女の沈黙はいよいよ雄弁に、疲弊したこちらの神経を責め立てた。


 やがて無言の責め苦に耐え切れなくなった俺は、その場に座り込む。


 そして彼女に向かって頭を垂れると、謝罪の言葉を口にした。


 何度も、何度も、口にした。


 やがて声は哀願の調子を帯び始め、自分でも聞くに耐えないものとなる。


 俺は一度黙り込んだあと、絞り出すように最後に一言、許してくれ、と言った。


 永遠のような数秒が経過した。


 恐る恐る顔を上げる。


 すると彼女はまだこちらに背を向けたままだった。


 俺はその背中から何かの感情の欠片でも見出せないかと、食い入るように見つめた。


 そのとき、彼女の肩がわずかに揺れた。


 その揺れはまるでくすぐられているのを堪えているみたいに密やかに、間歇的に繰り返された。


 俺には彼女の背中が微笑しているように見えた。


 しばらくすると突然揺れが収まった。


 そして次の瞬間、秋津はゆっくりとこちらに振り向き始めた。


 俺は瞬きも忘れてその様子を注視した。


 強い後光のせいで彼女の顔は真っ暗な影に塗りつぶされ、表情は分からなかった。


 だが不思議と不安はなかった。


 そこにあるのは拒絶や追従のつくり笑いなどではなく、屈託のない、真正の笑顔であることを信じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うさぎがいた部屋 鮎彦 @Ayuhiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ