それでも魔女は毒を飲む

きつねのなにか

それでも魔女は毒を飲む


 街から少し離れたところにある広大な森林地帯、木が鬱蒼と生い茂るこの森を半日近くかけて歩いた場所に、小さな木の小屋が建っている。色など一切塗られておらず、屋根にちょこんとついた煙突から煙が立ち上っているこの何の変哲もない小屋には魔女が住んでいた。

 とはいえ、こんな辺境な地に来る変わり者などおらず、街の人が酒の席で話題が尽きた時にする与太話の類だ。もしくは夜更かしをする子供に大してお説教として使われる程度の御伽噺。


 でも、僕はその真意を知っている。なぜなら僕はその魔女にちょくちょく会いに行っているからだ。


 初めの頃は苦労していた獣道も今じゃ慣れたもの。今では小屋までの道を考えなくても自然と足が動いていく。二年以上も通っていれば当然の事だ。


 コンコン。


 何の躊躇もなく、小屋の扉をノックする。木の乾いた音が僕の耳に小気味よく反響した。ほどなくして開けられる扉。何かの作業をしていない限り、彼女はすぐに扉を開けてくれる。


「……来てくれたんだ」


 嬉しそうな声に反応して、俯いていた僕は顔を上げる。そこに立っていたのは三角帽の下に隠れる滑らかな黒い髪を腰まで伸ばし、黒に近い紫のローブに身を包んだ美女、出会ってからずっと僕が恋をしている魔女だった。


「最近はめっきり顔を出さなくなってたから、もう来てくれないかと思ってた」


「……ごめん。騎士団の仕事が色々と忙しくて」


「そうなんだ……入って?」


 促されるままに僕は小屋へと入っていく。彼女が言っていた通り、ここに来たのは久しぶりだったけど、家具の配置は全く変わっていなかった。いつものように薬瓶や本が散らかっている床を進んでいき、いつものように窓の見える椅子に座る。


「紅茶を入れるわ。砂糖は多めがいいわよね?」


「うん、ありがとう」


 彼女は上機嫌に鼻歌を歌いながらお湯を沸かし始めた。ほどなくして、部屋の中を茶葉のいい香りが充満していく。


「どうぞ。召し上がれ」


 そう言いながら彼女は僕の前に紅茶と手作りのフィナンシェを置いた。僕は小さい声でお礼を言うと、フィナンシェを口へと運ぶ。程よい甘みとアーモンドの香ばしい匂いが鼻を刺激する。


「……おいしい。僕の味覚は完全に把握されているね」


「ふふっ。あなたの事はなんでも知ってるもの」


 彼女は楽し気に笑いながら紅茶をすすった。僕も口の中を紅茶ですすぐ。


「…………」


「…………」


 沈黙が僕達を包みこんだ。口数が多くはない彼女だから、ここに来るといつもこんな感じになる。その事を気にしたことなど一度もなかったが、今日は彼女に話して欲しかった。

 ちらりと彼女の顔に目をやる。彼女はこのゆったりと流れる時を楽しんでいるようだった。その様を見ていられなくなった僕は、持っているカップに視線を戻す。


「……そういえば、今日はお土産を持ってきたんだ」


「お土産? そんなことこれまで一度もなかったのに」


「いつも美味しいお茶とお菓子を頂いているお礼だよ」


 僕は肩にかけていた鞄から小瓶を二つ取り出すと、彼女の顔を見ることなくそれを渡した。小瓶を受け取った彼女は早速蓋を取り、匂いを嗅ぐ。


「これは……お酒かしら?」


「シードルだよ。あの街はリンゴの生産地でね。リンゴを使ったこのお酒は格別なんだ」


 僕はぎこちなく笑いながら答えた。ひとしきり香りを楽しんだ彼女は僕の顔を覗き込んでくる。


「ありがとう。飲んでみてもいい?」


「あぁ。二つあるから乾杯しよう」


 そう言うと、僕は小瓶を持ち、震える手で彼女に向けた。彼女も嬉しそうに笑って小瓶をこつんと当ててくる。


「乾杯」


「乾杯」


 抑揚のない声でそう言ってシードルの瓶をゆっくりと傾ける。彼女は期待に満ちた表情で小瓶に口をつけようとした。


「……あ、あのさぁ! もし、お酒が苦手なら無理に飲まなくていいんだよ?」


 慌てて声をかけた僕の方を見て彼女は不思議そうに小首を傾げる。そして、すぐに表情を柔らかくして、僕に笑いかけた。


「大丈夫よ。こう見えてアルコールには強い方なの」


「そ、そうなんだ……」


 引き攣った笑いで応えながら、僕はシードルをグイっと飲み干す。味なんかわからないけど、心臓の鼓動が早くなった。でも、これはアルコールのせいなんかじゃ決してない。


「そんなに一気に飲んで大丈夫?」


 彼女が心配そうな顔で尋ねてくる。


「うん……でも、このシードル味が悪い気がする。君は飲まない方がいいよ」


 僕は立ち上がって彼女の手から小瓶を取り上げようとした。でも、彼女は庇う様に体を捻って僕の手から逃れようとする。


「いや。あなたからもらった初めての贈り物だもの。例え腐ってても飲みたいわ」


「だめだよ。次はもっといいシードルを持ってくるから」


「じゃあ次も期待しちゃおっかな? でも、これはありがたく飲ませていただきます」


「いいから返して!! だってそれには──」


「毒が入っているのでしょう?」


 その瞬間、僕の体は硬直する。そんな僕を見て彼女は優しく微笑んだ。


「あなたの事はなんでも知ってるって言ったでしょ?」


「ど……どういう……!?」


 上手く言葉が出てこない。紅茶もシードルも飲んだっていうのに口の中がカラカラだ。


「全部知ってるの。あなたの街で魔女狩りが始まったことも。あなたが魔女と接触していることが周りに知られたことも。……そして、その魔女を始末しなければ、あなたの一族がまとめて処刑されてしまうことも、ね」


 まさか、全部知られていたなんて。僕は全身から力が抜け、そのまま椅子にへたり込んだ。


「なんで……なんで、毒が入っているって分っていたのに飲もうとしたんだ?」


「だから言ったじゃない。あなたが初めてくれた贈り物だって」


「こんなの贈り物なんかじゃない! ナイフを首に突き付けているだけだ!」


 僕は声を荒げた。この怒りは当然彼女に対するものなんかではない。怒りに打ち震える僕とは正反対に、彼女は温かな目で僕を見ている。


「なんで……なんでそんな落ち着いていられるんだ!? 僕は君を殺そうとしたんだぞ!?」


「そうね。あなたは私を殺そうとした……そして、私にチャンスを与えてくれたの」


「チャンス……?」


「えぇ。私があなたに何かをしてあげられるチャンスよ」


 ……怒りで脳みそが機能していないのだろうか? 彼女の言っていることがまるで分らない。


「私がこれを飲めばあなたの両親が、兄弟が……あなたが救われる。忌み嫌われる魔女として生まれた私があなたの役に立てる……こんなに嬉しいことは他にないわ」


「な……な……!!」


「だから、泣かないで? 私は澄まし顔で紅茶を飲んでいるあなたが好きなの」


 彼女に言われて僕は自分の頬に手を当てた。そこで初めて自分が泣いていることに気が付く。大人になってから涙など流したことなんてなかったのにどうして……いや、理由などはっきりしている。彼女を失いたくないからだ。


 そんな俺の気持ちを読み取ったのか、彼女は柔和な笑みをこちらに向ける。


「ありがとう……そして、さようなら。私の最愛の人」


 僕が止める間もなく、彼女は小瓶に入ったシードルを飲んだ。咄嗟に伸ばした僕の手をすり抜けて、彼女はゆっくりとその場に倒れ伏す。


「いやだ……死んだらダメだ……!!」


 うわ言のように呟きながら彼女の体を抱き起した。手に伝わる温もりが徐々に薄れていく。それが否が応にも僕の心に彼女の死を刻み付けてきた。


「お願いだ……目を開けてくれ……!! 頼むから……!!」


 何度声をかけても彼女は答えることはない。もう二度と、僕の心に癒しを与えてくれるあの笑顔を見ることはできないのだ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 彼女の亡骸を抱きしめながら絶叫を上げる。そんな事をしても無駄なんてことはわかっている。それでも、僕は幸せそうな顔で永遠の眠りについた彼女を顔をうずめ、泣き続けることしかできなかった。

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