壱 密航者(五)

 ――雉も鳴かずば撃たれまい。悪い人では無いのだが、要領と運の悪いことだ。

 青白い顔をして黙りこくった佐尾を見、矢間部はこっそり息を吐いた。

 流石に顔に覚えは無かったが、矢間部は「銖桜局の狛衛」の名を知っていた。その若さにしてとんでもない切れ者で、数年前に前任の年嵩の局長をその地位から引き摺り下ろしたばかりでなく、権力濫用抑止の意で何かと枷が掛けられていたはずの組織を、瞬く間に改変・拡大したことで一時噂になっていた。

 分が悪い相手に対し上司が粗相をしでかす前に、さっさと情報を提供しこの場を穏便に済ませようとしていたのだが、一度燃え盛った佐尾を止めるのはなかなかに難しいことを、短くない付き合いでよく知っていた。

 まさに予測した最悪の状態に陥ったことに、矢間部は軽く頭痛を覚える。

 ――ここは俺が何とかするしかない、か……。

 場の空気を取りなす様に、矢間部が口を開こうとしたそのとき、佐尾が狛衛の前に一歩進み出て深々と頭を下げた。

「狛衛様。数々の横柄な言動、誠に申し訳ございませんでした。全て仰る通りです。私欲に塗れた情動だけで行動し、国務を担う一員として恥ずべき行為を犯しました。しかるべき処罰を受けます。ですがこの場で、狛衛様に対して大変失礼な物言いをしたことを、謝罪させて下さい。――大変、申し訳ございませんでした」

 部屋が静まりかえった。再び、遠くからの波音だけが微かに部屋まで届く。

 誰も身じろぎひとつしない。佐尾はまるで時を刻んでいるかの様に、自分の鼓動が耳元でうるさく鳴り続けるのが聞こえた。

 長く続くかと思われた静寂を破ったのは、小さな振動音だった。

 桜海が動く。胸元からスマートフォンを取り出すと、画面に表示された内容を読む。どうやらメッセージが届いたらしい。立ち上がりつつ狛衛に声を掛ける。

「狛衛局長。本部から連絡です。例の件、掴んだそうです」

「分かった。では、行こうか」

 狛衛に頷いた後、桜海は少年に二言三言話す。その言葉に彼は絶望した表情になり、その肩からは完全に力が抜けた。

 彼の手から刀を取ると、桜海は腰の帯留めをするりと解き、刀と鞘とを固定する。

 抜刀出来なくした刀を少年に返すと、彼は縋る様な視線を桜海に向けた。

 彼女は目尻を僅かに下げると、自分よりやや背の低い少年の頭に手を添え、耳元で囁く。

 驚いた表情をした少年の頭を優しくぽんぽんと数度軽く叩くと、桜海は矢間部と佐尾に「彼を宜しくお願いします」と綺麗な一礼をした後、扉口で待つ狛衛の元に駆け寄る。

 未だ頭を下げた状態のまま動かない佐尾に、狛衛は声を掛ける。

「処遇は追ってご連絡致します。我々は立場は異なれど、国を想うことに違いは無い筈。――この国に和のあらんことを」

 狛衛、桜海は揃って一礼すると、部屋を後にした。

  

  

「それにしても」

 建物への出口に向かう道すがら、後ろから声を桜海に声を掛けられ、狛衛は振り返る。

「『金で女の心は縛れない』とはよく言ったものですねぇ。あなたに女を語れる程の豊富なご経験があるとは。数年の仲になりますが、そんな一面があるとは知りませんでしたぁ。是非その武勇伝をお聞かせ頂きたいものですねぇー」

「うっ」

 徐々に棒読みになる桜海の台詞に、狛衛は心臓を抑える。

「帰ったら他の局員にも狛衛さんが一体何人斬りしたのか聞いて貰いましょうー。皆きっと興味深々に耳を傾けてくれますよー」

「うぅっ」

「ミヤさんあたりはきっと、向こう3ヶ月くらい詳しく聞きたがるでしょうねぇー」

「……すみませんでした」

 神妙な面持ちで頭を下げる狛衛に、桜海は溜息交じりに「それに」続ける。

「なぁーにが『権力を笠に着る言い方は好みじゃない』ですか。人を足蹴にすることが趣味みたい人間なのに。最初に名乗ったときも敢えて自分の身分を明かさなかったのも、ここぞというときにマウント取りたかったからに過ぎないでしょうが」

「いやぁ、久々気持ち良かったねぇ!」

 顔を上げた狛衛の顔には一変して満面の笑みが広がっている。桜海は先程よりも深い溜息をつく。

「可哀想に、消し炭みたいになっていたじゃないですか」

「消し炭ならまた次に燃やすときの焚き付けになるじゃないか」

 あぁ言えばこう言う、と呆れる桜海に、狛衛は笑いながら本気だよ、と返す。

「彼はただ自意識の高いだけの男じゃない。ちゃんと賢い人だから、今ここで挫折した方がより多くのものが見える様になる筈だ」

 何を根拠に……と眉を顰める桜海に、狛衛は人差し指で目を指さし、得意げに微笑む。

 たっぷり間を取った後、彼はにやつきながら言う。

「俺の目かなぁ!」

 一層眉の皺を深くする桜海に、狛衛はカカカと高らかに笑う。

 ――彼は心から自分の非を認められる人物だった。それにちゃんとこの国のことを想ってもいる。そんな人間なら、また再び火は灯るだろう。願わくば、人々の心を温める火にならんことを。

 心の中で呟きつつ、狛衛は「そういや」と満面の笑顔で桜海と向き合う。

「俺があの主任の事情について言い当てたの、凄かったよなー。不思議だよなー、どうして分かったんだろうねー」

「そうですねー」

 完璧な作り笑いで桜海は返す。

 とても静かな間が生まれる。

「あの……。訊いてくれないの?」

「いつも傍に居る太鼓持ち君が居ないからって、私に同じことを求めないで頂けます?」

 再びの静かな間。

 笑顔を引きつらせながら、狛衛が先に顔を逸らした。

「始めに気になったのが彼のシャツだった」

「誰も訊いてませんよー」

 作り笑いのまま冷たい声を出す桜海に、狛衛は必死に自らを鼓舞しながら続ける。

「一見しただけ分かる、外聞や身形を気にしそうな人物のシャツにアイロン皺が寄っていたんだ。それにジャケット。洗った様な跡があったから、少年の反吐あたりがついたんじゃないかと思った。ちょっと饐えたような臭いがしたしね。でも、部下の人が話していた様に、管理局の人間であれば替えを用意している筈。わざわざ生乾きのものを羽織る必要などない」

 桜海は何も答えない。しかし、彼女は先程の狛衛と矢間部のやりとりを思い出していた。

 ――替えのジャケットの存在を確かめるためだけに、あんな一芝居をうったのか。

「替えが無い。そのことから全てのジャケットをクリーニングに出しているんじゃないかと考えた。何故か。自宅では洗濯——手洗いだろうね――が出来なかったから。そこに加えて皺のあるシャツ。手慣れていない人間がアイロンをかけたということだ。何故か。今まで洗濯やアイロンがけをしてくれた人が居なくなったから」

 桜海の眉が僅かに上がる。

「彼の左手人差し指には指輪が嵌められていた。掴みかかられるときによく見えたよ。あれはかなり値の張る結婚指輪だ。給金が良く、そして見栄を張りたい彼らしい品だね。そして彼の薬指を見ると、他の指より細くなっている。つまり、つい最近まで薬指に嵌めていたということだ。長く指輪を嵌めていると指が血行が悪くなって指が細くなるからね。――こうした情報を踏まえると」

 狛衛はにやりと微笑む。

「彼には奥さんが居たが、最近家を出てしまった。彼はそのことに腹を立てて指輪を外したが、一方で未練も残っているため人差し指に嵌め続けている、ということだ。目が充血していたのは寝不足だろう。悩んで寝付けないか、業務に加えて家事もこなしているせいか、その両方かまでは判断がつかないが。イライラしていたのも、そのあたりが拍車をかけていたやもしれんな」

「家を出た理由の予測はどこで?」

 思わず口を挟む桜海。

「あぁ、それはちょっとカンニング」

 あっけからんと答える狛衛に桜海は眉を顰める。

「今回の事態の発覚の元…タレコミをした船長から色々局内の内情を教えて貰っていたんだよ。話好きの人でね。『最近昇進した優秀な奴がいるが、そいつの同期が嫉妬で何やら不穏な動きを見せてる。気をつけろ』と。彼は他国の物品にも詳しくてね、ずっと前にそのあたりの話で盛り上がったことから仲良くなっていたんだ。土佐紬のことも、『他国にはあまり出回らない意味で珍しい品』として見せて貰ったことがあって。庶民の使用するものを武家の少年が持っていたことがちょっと気になるけどね」

 狛衛の話を聞き、桜海は合点がいったと言った様に目を少し見開く。

 ――だから庶民の品なんか知っていたのか。

「あ、今だから庶民の品を知っていたのかって思ったでしょ!」

 指さして喜ぶ狛衛に対し、桜海はうげぇという顔をする。

「でも品を見て覚えていたのは僕の記憶力のお陰だから。スマホで見たのは再確認の意味だから。ぼ・く・の! 力だから!」

 面倒臭くなったのか、桜海はパチパチとやる気なく数度手を叩く。それで満足したのか、狛衛は腰に手を当てて鼻高々な様子だ。

 一頻りそんなことをした後、狛衛は「そうそう」と思い出した様に桜海に問い掛ける。

「あの少年とは一体何の会話をしていたんだ?」

「落ち着かせるのに、ただ名前聞いたぐらいですよ。あとは、くれぐれもこの国に居る間は刀を抜かない様にと。それ以外は大した会話はしていません」

 それを聞き、狛衛は「あぁ」と零す。

「抜刀した瞬間に色々面倒なことになるからね」

 何事も無く、再び自国で過ごせるといいね、という狛衛の言葉に、桜海はややあってから「そうですね」と返す。

 その間に気付いたか気付いていないか、狛衛は少し神妙な面持ちになる。

 建物の出入り口まで辿り着くと、真面目に受付に立つ滋田に揃って軽く礼をする。彼は少しビクリとした後に礼を返してくる。

 駐車場に向かいながら狛衛は呟く様に言う。

「急いでたとはいえ、守衛さんには悪いことしたな」

「最後には銖桜局長の名も使って、脅しに近い物言いをしましたからね」

「急ぎだったとはいえ、なるべくこういうことは無くそう。銖桜局は一度信頼を失ってるのだから、またそれを繰り返す訳にはいかない」

 桜海は静かに頷く。

「では、急いで次の現場に向かおうとしようか」

「……私は電車を乗り継いで行きますので、現場でお会いしましょう」

 引き攣った笑顔でその場を離れようとする桜海の腕を狛衛が素早く掴む。

「局服着て電車なんぞ使える訳無いだろうが。観念して乗れ」

「私、車はダメなんですってばぁー。行きも大変なことになったじゃないですかぁー」

 嫌がる部下を諫めながら、狛衛は車に乗り込んだ。

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一旗刀戦(いっきとうせん) 厚本侑樹 @a2mt

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