壱 密航者(四)
桜海は少年の前にしゃがみ込むと、見上げる様に彼に話し掛ける。
少年は警戒しつつも、ぽつりぽつりと桜海の質問に答えている。
そんな様子を横目に、狛衛は佐尾に話し掛ける。
「彼は土佐の中でも少なからず力のある武家の子です。ここまではひとりで来たのでしょうが、恐らくこの港で落ち合う知人がいたと思われます。少年があなた方に拘束されたことで、その知人は少なくとも一度はこの場を離れたでしょう。裏に何か組織が動いているかもしれません」
組織、と聞き、佐尾と矢間部がピクリと反応する。
「あなた方がこれからしなくてはならないのは、一、港付近にそれと分からぬ様局員を配置し、少年の知人を確保すること。二、すぐにこの少年を土佐に帰国させる手続きをとること。このふたつです。知人の方を拘束出来たら
言い終わるなり、桜海に「そろそろ切り上げましょう」と声を掛け扉の方に足を向ける狛衛に、佐尾の声が追い掛けた。
「待て!何故我々がお前の命など受けねばならん? そもそもこの少年が土佐出身だとか、知人が港に来ているだとか、何の根拠も無しに言われて信じる奴がどこに居る!」
その言葉に、狛衛はあぁ、と声を上げた。
「何の根拠も無しにそんなことを口走ったりしませんよ。—それでは、きちんと説明を致しましょうか」
「まず、最初に目についたのが少年の服装、特に足元です」
狛衛の言葉に、佐尾と矢間部の目が少年の草履に向けられる。
「いくら船に乗ったとはいえ、それまでの道は歩いた筈。しかし、少年の草履はそんなに草臥れた様子が無い。替えの草履を使ったとも考えられますが、その可能性は着物の様子を見て排除しました。少年が今着ている服は、長旅をしたにしては小綺麗です。それに」
狛衛は少年の荷物から替えの服を広げてみせる。
「この替えの着物も、しっかり畳んだ皺がついてますよね。それにきちんと洗濯されたものだ。旅先でこんな丁寧に洗えるとも考えにくいですし、この着物は荷物に入れられてから一度も交換されていない、と考えられます」
狛衛は右手人差し指と、中指を立てる。
「草履が汚れてない、服も替えていないことから、少年は船が寄港した土地からそう離れていないところに住んでいた、と推測出来ます。ただ、寄港したその国出身と考えるのも安直過ぎる。そのため、次に目を向けたのがこの巾着です」
狛衛は縞模様の巾着を手に取る。
「中には何も入ってなかったぞ」
ふんと鼻を鳴らしながら言う佐尾に、狛衛は「重要なのはこの袋ですよ」と返す。
「この袋は『
続いて狛衛は印籠を持ち上げ、表の傷がついている箇所を指さす。
「ここに削られた様な跡があります。恐らく、家紋が施されていた部分を削ったのでしょう。身分を隠すために。ただ、持ち主も気付いていないでしょうが、家紋は表面以外にもあったのです」
狛衛は印籠の紐を緩めると、蓋の裏を佐尾と矢間部の方に向ける。
「非常に分かりにくいですが、蓋裏の細工の中に家紋が彫られています。同じものが底板にもありました。見えないところにも装飾を施すという、職人の心意気が感じられる良い品です。素晴らしい」
惚れ惚れといった口調で狛衛は印籠を眺める。
「この家紋は三つ割り剣
狛衛は扇を広げて見せる。紺桔梗色に麻葉模様が映えた美しい扇だ。
「これは土佐和紙で出来た扇です。土佐の
狛衛は目尻を下げ、口元を僅かに綻ばせた。これまでの人を食ったかの様な物言いとは一転し、敬愛の情を滲ませる表情と言葉に、矢間部は目を見張る。
しかし、彼の上司はそんな狛衛の変化にも気付かない様子だ。佐尾は腕組みをしながら人差し指を苛立たしそうに動かし、やや吐き捨てる様に口を開く。
「その品々が土佐出身の根拠だとでも言うのか」
「はい。土佐の中でも東寄りの出身であれば、阿波の港ともそう遠くない。草履と着物の件も説明がつきます。――次に彼の身分ですが」
垣間見せた穏やかな表情から一変、飄々とした雰囲気に戻ると、狛衛は少年の頭を指さす。
「左右の髪の長さが異なっています。これは、まとめ髪を左手で引っ張る様にしながら、右手に持った刀で切り落としたため。即ち、それだけ長い髪をしていたということ。現在土佐の庶民は散切り頭ですが、一部有力武士の家は長い髪を結う習慣があると聞いています。慶喜公の「
「待て。習慣こそあれど、全員がそれに
自分は気付けなかったことを、突然押し入った輩が次々暴くことに対し、何とか面目を保とうとしているのであろう。佐尾はアラを探そうと躍起だ。口から出る言葉の端々には、種火がちろちろと燃えている。
「いえ、単に長髪だった可能性は、乗ってきた船と印籠から切り捨てました。土佐はこの国と交流があり、定期船もある。それに乗らず、阿波発を選んだということは、自分の出身を誤魔化したい人間。そこ加え、家紋の削り取られた印籠。家に迷惑が掛かることを恐れる、有力な武家の子の行動と考えて良いでしょう。武家らしく、家紋に剣を用いてもいましたし」
即否定され、佐尾はギリギリと歯を食いしばりながら「では支援者の件は」と問う。
「厳格に育てられたであろう有力武家のご子息が、言葉も分からぬ土地に何の考え無しに忍び込むとは考えにくい。それに、阿波の定期船に乗り込んでからこの国に辿りつくまで、彼は船員に見つからなかった。そしてここに着いてから、言葉が分からないにせよ、一言も話さない。荷物からも、一見して出身が分かる様なものは見つからない。お陰であなた方は欠片も情報が手に入らなかった。乗船までの一連の流れは手慣れた者の入れ知恵があり、下船以降はその人物の助力を乞うため、
一連の説明を聞き、矢間部はほぅと感心した様に息を漏らした。対して佐尾の顔は険しく歪んでいる。
「お前の話は全て確たる証拠が無い。こじつけにしか聞こえん。その話だけでこちらの警備体制を変えるなど馬鹿馬鹿しい。そこの女性が意思疎通を図れるというのであれば、このまま少年を尋問し、有力な情報を吐かせれば良いだけだろう。どこに少年をすぐに返す必要が? お前の妄言より信憑性がある」
喧嘩腰の佐尾に対し、狛衛は「困りましたねぇ」と頬を掻く。
「では、私にきちんとした洞察力が備わっているとそちらに伝われば、私の推測を信じ、少年の返還を約束して下さいますか」
「あぁ、出来るものならそうして頂きたい」
佐尾は鼻で笑うと顎先を上に向け、狛衛見下ろす様にして言った。その一言には「何を言われても肯定しなければ良いだけ」という彼の思考が滲み出ている。
その言葉に、狛衛は少し口の端を吊り上げ、笑った。再び鋭い八重歯が顔を覗かせる。
彼は一息に
「これまで冴えないと思っていた同期が功績を挙げて昇進したからといって、こうして入国者を取り調べ、その裏にある組織諸共抑え手柄にしようなどと考えるのは、あまりにお粗末ですよ。越権行為として告訴される前に、今一度ご自身の責務を見直されては? それに先程から随分苛立っていらっしゃるご様子。そうやって自身の能力が及ばないことの鬱憤を他者に向けるのはいかがかと。思う様に昇進出来ないからといって、家庭でもそういった態度を取れば奥方の心が離れるのは必至。いくらそこらの人より稼ぎが良いからといって、金だけでは女の心は縛れません。奥方が家を出たことに腹を立てるのではなく、自分がいかに今まで彼女に支えられていたかを見つめ直すことをお勧め致します。そんなに未練があるなら、今すぐに悔い改め謝罪に向かうべきでしょう。睡眠不足も解消されますよ。あと臭いです」
「なっ……どうして……」
絶句した後、佐尾の顔がみるみる赤くなっていく。
「どこでそんな情報を仕入れた! 個人の事情にまで首を突っ込むのが銖桜局の仕事か!」
「まさか。今この場であなたを見、推測しただけですよ。その反応だと、全て当たっていた様ですね。これで私の見立てが的確なものであることは証明出来たでしょう?」
佐尾の剣幕も意に介さないという風に、狛衛は涼しい顔だ。
矢間部が間に入り、佐尾を落ち着かせようと声を掛けるが、激高のあまり彼の言葉など届いていない様だ。怒りの赴くまま、佐尾は続ける。
「大体、越権行為はどっちだ! 密航者を調べるのは我々入国管理局の責務だ!突然押し入り詮索を始めるなど、そちらが訴えられる側だろう!」
「いえ、本来あなた方の役割はあくまで密航者の確保までです。その後の事情聴取から最終的な措置決定までは、銖桜局の仕事ですよ。過去、銖桜局が横暴を働いていた時期に、そのあたりの境界線が曖昧になってしまったみたいですがね。大体」
狛衛は少年を顎でしゃくる。
「あなた方は彼と会話することすらままならなかったんでしょう。あなた方には他国の人間と意思疎通を図れる知見が無い。我々にはそれがある。少し考えれば、お互いの役割は一目瞭然ではありませんか」
「黙れ!
ぎょっとした表情で矢間部は佐尾を見る。彼は既に烈火の如く激しく燃え盛っており、自分が何を口走ったのかも分かっていない様子だ。
「あぁ、なるほど。そういうお方だったのですね。道理で終始、必要以上の敵意を向けられる訳だ」
合点がいったといった風に頷くと、狛衛は飄々と続ける。
「いかにも、私は東国の出です。私は違いますが、局の中には前科持ちも確かにおります。ですが、お忘れ無き様。私もあなたと同じ、政府管轄の組織に身を置くものです。夷狄などという言葉で私共の存在を認めないということは、それを認めた御上に歯向かうと同義。ついでなのでもう2つ程付け加えると、」
狛衛はすらりとした人差し指を天に向け伸ばす。
「1点目。銖桜局は俗称です。正式名は『武蔵国守護省中央管理特務局』。即ち、お国お抱えの特殊部隊です。『中央』の名の通り、我々の職務範囲は基本国土全域。あなた方の職場である
続けて中指も伸ばされる。
「2点目。国交整備役でもある入国管理局の主任ともあろう方が、
「何のことだ!」
なおも吠える佐尾に狛衛は静かに応える。
「土佐は完全開国した国ではありません。武蔵との国交は、厳しい約定を持って成り立っているものです。密航者とは言え、狭い部屋に閉じ込め尋問するなど、許される行為ではございません。先方から正式に申し立てがあった場合、こちらに弁解の余地はありません。賠償金、国交断交などはまだ良い方。最悪、開戦にまで発展し得る行為ですよ」
「そんな馬鹿な…」
半笑いで返す佐尾に狛衛は鋭い視線を送る。先程とは打って変わった冷たい雰囲気に、佐尾はびくりと反応する。
「かつて、たった数人が殺害されたことで、全世界を巻き込む戦いにまで発展したことがあるんですよ、ご存知無いのですか。それ程国交というのは危ういものなんです。あなたひとりの軽率な行動で、この国は危険に晒されることもあり得るんです」
佐尾は何も言い返せず口の端を引き結ぶと、眉根を寄せ、狛衛から視線を外した。狛衛はなお鋭い視線を佐尾に向けたまま続ける。
「私は能力主義なので、あまり権力を笠に着る言い方は好みではないのですが。しかし、あなたは些か言動が過ぎた様です。入国管理局に籍を置きながら、他国を貶める物言いをし、あまつさえ尋問とは。あなたの存在は後に他国との間に軋轢を生み、ゆくゆくは国民の平穏を脅かし兼ねない。残念ですが、上役としてしかるべき対処を取らせて頂きましょう」
「上役……?」
呆然とした様に呟く佐尾に、狛衛はやや諦めた様に「本当に外の人間に興味が無いのですね」と息を吐くように零した。
「私は銖桜局局長、
狛衛の最後の一言で、佐尾の炎は冷水を浴びたかのように完全に鎮まった。
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