壱 密航者(三)

 突然の闖入者にすっかり呆気に取られている矢間部に向かって、微笑みながら男は問い掛ける。

「私は狛衛こまえと申します。この少年に関する情報を得たいので、状況を詳しく教えて下さい」

「は…はい…」

「ま…待て! 貴様何者だ!何を堂々と…、この場から即刻立ち去れ!」

 男の有無を言わせない雰囲気に押され説明をし始めようとする矢間部を遮り、佐尾が男に掴みかかろうとする。

 あまりに堂々としているため一見では気付かないが、男はやや細身であり、腰の大小が不釣り合いとさえ言える体躯だ。佐尾の方が明らかにガタイは良い。

 佐尾が相手の襟元に掴み掛かり引き倒せる、と確信したその瞬間だった。

 目の端で蘇芳色が揺れる。と、それを認識した瞬間、彼の指先が男の襟元に触れるか触れないかの位置で止まった。腕に目をやると、そこには白く細い指が食い込んでいる。

 一瞬の間に、男と佐尾の間に女が割り込んでいた。彼女は狛衛と同じ詰襟に羽織姿で、真っ直ぐ佐尾を見つめている。

 その細腕からは想像出来ない強い力で抑えられたことで、驚きのあまり佐尾の全身から力が抜けた。彼女がこの場にそぐわぬ整った顔立ちをしていたこともあるのだろうか。佐尾が毒気を抜かれた様に呆けた表情を見せる。

「申し訳ございません。この男の不遜な態度にご立腹なさるのは至極ごもっともですし、心底同調致しますが、広い御心をもっておさめては頂けませんでしょうか。我々は職務を全うしに参っただけですので」

「仮にも上司に対して酷い物言いだなぁ、桜海おうみ

 女にしては少し低い、しかしよく通る声で、桜海は佐尾に請うた。背中に掛けられた狛衛の抗議は完全無視を決め込んでいる。

 腕を下ろしながら佐尾が問い掛ける。

「お前らは一体――」

「我々は銖桜すおう局の者です。その意味、お分かりですよね?」

 桜紋のあしらわれた襟章を手で示しながら、桜海と呼ばれた女が答える。

 銖桜局、という言葉を耳にした瞬間、佐尾の眉がピクリと跳ね上がった。桜海はそんな佐尾をじっと見つめる。

 終始穏やかな口調だったが、彼女の目は笑っていない。加え、その細身から得も言われぬ気迫を感じ、佐尾は言葉に詰まる。

 佐尾が押し黙ったとみると、桜海はふっと表情を緩め、かんざしでひとつに纏めた艶やかな黒髪を揺らしながら、「ご協力に感謝致します」と少し微笑んだ。半ば強引に肯定と受け取られてしまい、佐尾の口の中で否定の言葉がもつれる。

 それでも、何も言わず看過するのはどうかと思ったのか、佐尾は悔し紛れといった表情で言葉を絞り出した。

「同じ官吏のよしみで、今は何も言わん。が、こちらの邪魔立てをする様であれば、銖桜局と言えど許されないからな」

「同じ言葉、そっくりそのままお返ししますよ」

 獲物を前にした猫の様な大きな目を向けられ、佐尾はふいと視線を逸らした。

  

  

 佐尾と桜海のそんなやりとりの後、狛衛に再度促され、矢間部は胸元からスマートフォンを取り出した。入国管理局の調書を参照しながら説明を始める。

「今朝方、こちらに帰港した船の積み荷のひとつからこの少年が這い出てきました。少年は船酔いしたのか、その場でひとしきり戻しましたが、落ち着いたところで拘束致しました。一言も発せず、所持品からも身元が分かる様なものが発見されなかったため、彼がどこから、何の目的で渡航して来たかはまだ分かっておりません」

「積み荷を運んだ船籍と航路は」

「船籍は武蔵。航路は…薩摩を出た後、阿波、大坂を経由してここ横濱についています」

「商船ですか」

「はい。各国の特産品等、主に食料を輸送している船です。大型船で、所有している会社は藩閥系の大企業。船長・船員共に企業が採用した信用における人間ですし、全員に聞き取りをしましたが、寝耳に水という様子で、嘘を吐いている風では無かったと。少年の発見方法もあまりにお粗末でしたし、彼らが少年の密航を助力したとは考えにくいそうです」

「ふむ……」

 矢間部の報告を聞きながら、狛衛は少年の方に目をやる。

 彼は相変わらず刀に手を添えながら、部屋の隅で全員を睨みつけている。

「拘束されたときも、この部屋に入ったときも何も反応をせず、むしろ困っていたぐらいなのですが…。急にこんなに警戒するなんて…。一体どうしたのか…」

「あぁ、それはこちらのせいなので、お気になさらず」

 ひらひらと手を左右に振る狛衛に、矢間部は困惑の表情を浮かべる。

「彼が持っていた荷物はこれだけですか」

 机の上に広げられた品々をひとつひとつ検分しながら問う狛衛に、矢間部ははい、と答える。

 印籠いんろうの蓋裏や地板ちいたを指先で触れたり、扇を開閉したり、懐紙かいしを透かしてみたりと、かなり熱心な様子だ。

 最後に竹筒を手に取った狛衛は、筒の口先を手で仰ぎながら臭いを嗅いだ。

「これは…。中身は何か調べましたか」

「あ、はい。ただの水でした」

「えっ本当に!」

 驚いた表情をした狛衛に対し、矢間部は怪訝な顔を返す。

「いや、でもこれ何か臭いませんか、ほら」

 矢間部の方に近付きながら、狛衛は竹筒の中身を彼の顔の近くに持っていく。

 と、不意に狛衛の身体がぐらり傾き、竹筒の中身が矢間部に降りかかった。

「うっわ!」

「これは申し訳無い!とんでもないことを!替えのきかない制服ですよね、早く乾かさなくては!」

 懐から出した手ぬぐいで、狛衛はあせあせと丁寧に矢間部のジャケットを拭く。

「いや、制服は替えがあるので問題ありませんが、それより証拠物品が……」

「あ、なんだ替えがあるのですね。なら良かった」

 一変してぞんざいにざざっとジャケットの水気を拭きとり、そそくさと手拭いを仕舞う狛衛に、矢間部は目を見開き不審の目を向ける。

「あなたはとても几帳面な方なんですね、替えの制服も用意しているなんて」

「あ…いえ…。局の決まりなんです。入国管理局は時に密航者との乱闘も起こり得る部署ですので、制服は複数枚用意しておくことになっておりまして」

 そんなことより大事な押収品が、と続ける矢間部に、狛衛は「あぁ、やっぱりただの水でした。竹のせいで違う臭いに感じられたんですね、すみません」と軽い調子で返しながら、胸元から取り出したスマートフォンで何やら検索をしている。矢間部の不審顔はますます険しくなるばかりだ。

 暫く操作した後、目当ての情報が見つかったのか、狛衛は「ほっ」と楽しそうな声を上げると、桜海を手招きし、スマートフォンの画面を見せた。

 表示された内容に目を通すと、彼女は驚いた様に眉を引き上げる。

 ややあってから、桜海は少年の目を真っ直ぐに見つめると、ゆっくりと口を開いた。

「おまん、土佐から来たんか」

「……なき分かったん!?」

 頓狂とんきょうな声を上げた後、少年はしまったという風に袖口を口元に当てた。

 拘束されてから約半日。少年が初めてまともに声を上げた瞬間だった。

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