夜の街

散点

episode1 屋上、6畳一間のちいさな夢

廃ビルになってから暫く経つのか、階段にはホコリや砂が溜まっていて、登るたびにじゃり、とそれらを踏みつける音が聞こえる。


僕が死のうと初めて思ったその日、目の前に現れたのがこの廃ビルだった。

偶然か、既に正常な判断ができないようになっていたのか、それは分からない。

でもこの廃ビルは当時の僕にとって、そして今の僕にとって、魅力的で、最期にもっともふさわしい場所だった。

真夜中、誰も訪れないこのビルの屋上から街の景色を眺めるのが唯一の楽しみだった。

夜の空気は、痛いほど冷たい。



「いつかここで死のう」



来る度来る度、思うことはそれだけで、でもそれが、人生において一番幸せなことだったんだと思う。


そしてその"いつか"が今日である。


「それにしてもほんとに誰も掃除しにこないんだな」

今日のために洗ったスニーカーは、階段を登っていくうちに砂ぼこりで汚れきっていた。いつかやってみたいと思っていた、お金で汚れをふくという外道極まりない行為をしてみたが、お札の汚れがついただけできれいにはならなかった。汚れたスニーカーの靴ひもが緩くなって解けそうになった頃、屋上のドアの前についた。


「いつも開けてたドアもこうも開けるのに緊張してしまうもんなのかなあ…」


ドアの前で小さく呟く。この先に訪れる未来を想像するとまだ少し、手に汗が滲む。

「ふぅ…」

深呼吸を一度して、優しくドアを開ける。外の冷たい空気をすって、言いたいことすべて叫んで、助走をつけて一気に飛び降りる気でいた。


"一人ならば"。


今まで毎日何ヶ月も通い続けて誰もいた事はなかったこの屋上なら、何の問題もなく、数十分後には意識を亡くしていたはずだった。


「嘘でしょ…あんた誰…?」


今まで誰もいなかったこの屋上に、ロングヘアのワンピースを着た女が1人、柵の目の前で座り込んでいた。

予定を崩されて真っ白になった頭でも理解できたことは…今まで見た誰よりも容姿が美しく、身に纏う服は流行物のきれいなもので、とてもじゃないけれど、死にたいという願望を持ちそうには無いような類の人間に見えたということだ。

そんな僕の驚きを無視するかのように涙を浮かべながら彼女は小さく口を開いた。



「死にたいの」

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