第12話 かたちの無い愛
二人の唇が触れあうたびに、僕たちの距離はどんどん縮まった。そしてそれ以上縮まってはいけない距離になっていることを意識した僕は、カーペットの上に大の字に寝転がった。自分の気持ちをいったん落ち着かせようと大きく伸びをして深呼吸をした。雲の間から見える星を眺めていると、美茶も寝そべった。そっと彼女に目をやると何か考えごとをしているようだった。僕の視線に気づいて美茶は僕の方を見た。僕たちがこうやって会うことの出来る関係が今日で最後になるかもしれないということをお互い感じたのかもしれない。
僕は美茶を抱きしめた。情熱的に抱き合いたいわけじゃなかった。大切なものをそっと守りたいようなそんな気分だった。僕たちは相手のぬくもりを洋服の上から感じた。美茶の後ろに回した手を離して、僕は彼女の胸元に顔を寄せた。小さな彼女の手は僕の頭を包みこみ、その安心感に無防備になっている僕の髪を優しくなでながら小さな声で言った。
「こんな風に言ったらおかしいけど、たった数日で颯馬のことすごく大好きになってしまってどうしていいのかわからなくなってたんだ。でも、きっとこうやって会えるのは今日が最後だと思うから気持ちだけは伝えたかった。今こうしていること世間的に見たら非難されることかもしれないけど、私はまったく後悔してないし、むしろ幸せな時間を過ごせたことに感謝してる。スマホのメッセージは全部削除してるって言ってたから、大好きって文字を消されたくないから、自分の耳で聞いてほしかった。」
「美茶。」
気付けば彼女を初めて名前だけで呼んだ。愛おしくて仕方なかった。美茶は年上だし、恋愛経験も僕よりある。だから慣れているし、こういう付き合いでも余裕があると決めつけていた。でもその考えとは裏腹に、彼女には守るべき家族があって、僕と出会ったことで自分の気持ちに嘘が付けなくなっていったことに僕以上に、悩み、苦しみ、揺れ動いたということに気づかされた。
「そんな風に言うのずるいよ。僕の方が美茶ことを先に好きになってたのに、言ってしまうことで美茶に雑念を持たせたくなかった。美茶が今が幸せならそれで良いって言っていたから。」
美茶が胸に秘めておくつもりだった思いを不意に吐露したことで、僕は彼女が欲しくなった。起き上がって、横にいる美茶の上に重なった。美茶と出会った証に彼女をもっと感じたくて洋服の中に手をすべらせた。彼女の体の感触を確認していると抑えきれない感情が沸き上がってきた。一つになりたい。美茶の口元がほころびリラックスしている。求めあっているのはお互いの顔を見ればわかる。
「したい。避妊するから。」
「そうだよね。私だって同じ気持ちだよ。でもできないよ。」
「え?生理」
「あはは、それもあるけど、違うよ。私たち、飲んだ勢いとかじゃなく偶然だけど自然に出会って、その日から、まるで幼馴染の友達みたいに違和感なく会話を重ねてそこに漂う心地よい二人だけの空間と時間を楽しんできたよね。私だって大好きな人と一つになりたいと思うよ。でも、ここで体を重ねあって、それが二人にとってこの上なく幸せな時間になったとしたら、私はもう後戻りできなくなってしまう気がする。」
「二人だけのすごく幸せな思い出として残せないかな。僕は彼女としか経験ないからわからないけど、どうしても今、美茶のこと抱きたい。」
「私はそんな風に簡単に思い出にするのは無理だな。一番大好きな人と結ばれることのなかった過去から逃れられたの、やっと相手が結婚した時だったもん。本当に好きな相手ってそういうものじゃないかな。たった1回きりのことだとしても、そこで最高の関係が生まれたら、しなければよかったって一生後悔する。知る必要の無い事実を突きつけられたときの思いと一緒だと思う。せっかく作り上げられたものがその快感で一瞬にして崩れ去ることはしたくない。ここにいる間だけ幸せならそれで良いって言ってたのに、矛盾してるよねごめん。」
「やっぱり大人だな。しっかり考えてる。僕の方がしっかりするからって言ったのにやっぱり全然だめだな。美茶と一緒の時間を過ごしてその包容力を見せつけられると、未来が無いこと、お互いの大切なものを壊す気が無いこともわかってるはずなのに、気持ちがどんどん抑えられなくなって、どうしても美茶と一つになりたかった。」
現実が見えて僕が美茶から離れようとすると、
「私だって同じ気持ちを必死に抑えてるんだよ。おいで」
と僕を引き寄せて、僕の胸に耳を当ててきた。鼓動の速さを確認するように、胸に触れてきた。ゆっくりゆっくりと僕の体の輪郭をなぞり、筋肉の場所を確認するかのように美茶は全身に指を滑らせていた。今まで経験したことの無いような甘美な気持ちにさせられて、疲れていたはずの体は緩み、その指の動きのすべてに反応してどんどん体が熱くなるのを感じた。僕は恥ずかしくて彼女の顔をまともに見ることができなかった。彼女は構わず僕の体に触れ続けている、僕自身が知らなかった快楽。その高鳴りを抑えることができず僕はその熱い体が解放されるまでただ溺れるしかなかった。最高潮に達した僕は美茶にしがみついて、声をあげた。美茶はそんな僕の顔をそっと持ち上げ何度も何度も優しくキスを繰り返した、僕の呼吸が落ち着くまで。
僕たちはもう一度壁に寄りかかって座っていた。美茶が言っていた、知る必要の無いことの意味を僕はなんとなく理解した気がしていた。一つに交わらなくても、お互いの気持ちは確実に一つになっていた。裸になって愛し合う事実が無くても、ここにある満ち足りた気持ち。言葉にしなくても、美茶の顔を見ればわかる。彼女の気持ちがいたいほど伝わってきた今夜の出来事。僕は美茶がくれたこのプレゼントを心の片隅でずっと守って行こうと思った。いつかそのプレゼントをまた二人で開ける日まで。
美茶の家を出る時、もう一度彼女が言った。
「ありがとう」
彼女の目はうっすらと濡れていた。すがすがしい涙だった。僕たちがこの先会うかどうかはわからないということは美茶もわかっているはずだ。
「僕こそありがとう」
そう言って僕は彼女の家をあとにした。来るときの雨はすっかりやみ、下り坂の途中で、金色に輝く三日月が木々の間から顔を出していた。車内のラジオからは、コロナウイルスによる緊急事態宣言解除のニュースが聞こえてきた。
完
コロナロマンス Sunbeams @midori_kaoru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。コロナロマンスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます