第11話 交わらない糸
ラジオからは、中島みゆきの『糸』が流れている。聞き入りながら考えた。僕と美茶の縦と横の糸が布を織りなすことはこの先ずっとないだろう。でも、逢うべき糸に出会えることを仕合せと呼ぶというその歌詞に、僕の今置かれた状況が重なりあい切なさで一杯になった。ヘッドライトに照らされた雨は僕の気持ちに寄り添うかのように優しく輝きながらフロントガラスの上を流れ落ちて行った。
美茶から連絡があったのは、今朝の事だ。
「夫が東京に帰るから、夜時間があったらお茶しに来ない?9時なら子どもも寝ているから。」
「迷惑じゃなければお邪魔するね。美茶さんの家、見てみたい。」
「OK.じゃまたあとで」
スマホをオフにして、いつも通りコーヒーを買いに隣町まででかけた。初めて美茶と会ったファストフードのドライブスルーでコーヒーを受け取るとき、店内に美茶の姿を探してしまう自分がいた。いるはずもないのに。それは、前までのようなときめきではなかった。その気持ちの違いに気づくも何が今までと違うのかがどうしてもわからなかった。
コーヒーを片手に、勉強をしていると、また先輩がやってきた。
「どうした、なんか疲れた顔してない?」
意表をつかれ僕は戸惑った。美茶のことを色々考えてしまい昨夜はなかなか寝付けなかったのだ。
「昨日、3時くらいまで勉強終わらなかったからかなあ。よくわかりますね。」
「お前、寝不足だと顔に出るぞ」
先輩に指摘され、初めて洗面所の鏡で顔を確認すると確かに目の下にうっすらとくまが出来ていて、わかりやすすぎるだろと思わず自分で突っ込みを入れていた。夕飯を一緒にとるかは何も決めていなかった。美茶との約束が脳裏をかすめ、先輩の動きが気になった。まだ7時か、まだ時間はあると確認した時、メッセージに気づいた。美茶からだった。
「家を出る前に連絡もらえる?さっき、温泉に行ったら子どもが忘れ物してしまい、寝てからとりに行こうと思ってるの。さっき、ビール飲んでから気づいたからすぐには運転できないから。」
「もう、夕飯終わったの?もしよければ早く行こうかな」
「わかった。じゃあ子ども寝たら連絡するね」
メッセージを送ってから、やるべき勉強もまだ全然終わってないし、先輩もまだいるのに僕は何をやっているんだという気持ちになった。気持ちと行動の歯車がなんとなく噛み合わなくなりだした気がした。
先輩がいきなり慌ただしく帰る準備を始めた。
「夕飯どうします?」
「急遽海外とのミーティング入って、本社に行かないと行けないかもしれないから今日は帰るわ。悪い。」
ものの5分もしないうちに、先輩は帰って行った。
僕はやりっぱなしの勉強のことも、夕飯を食べてないことも忘れ、美茶に連絡を入れた。
「時間できたからそろそろ家を出ようなか」とメッセージを送信した時はすでに車の中だった。まだ約束の時間まで1時間もあるし、彼女の家までは5分もかからない。きっと今頃子どもを寝かせているのだろう。彼女からの返信はなかなか来なかった。僕は車で少しドライブすることにした。カフェであった時、川の渓流沿いの温泉に行ったという美茶の話を思い出し、その温泉のそばまで行ってみることにした。
「颯馬ごめんね、今寝たから忘れ物取りに行ってくるからあと30分くらいかかると思う。ごめんね。」
「実はもう出てる(笑)美茶さんどこの温泉に取りに行くの?」
「川湯温泉だよ。」
「そうかなと思って今、そこのすぐそばにいるから僕とってくるよ。緑野ですって受付言えばわかるよね」
美茶の驚いている表情を思い浮かべていると、
「びっくりした。若いのによくわかったなって。正直、寝ているとはいえ短時間でも、子どもを置いていくの少し心配だったから、そうしてもらえるとすごく助かる。相手のことを考えれるの颯馬の特技だよね。ドライブして一緒に行きたかったってちょっと思ってしまったわ。」
僕は思わず照れた。美茶がストレートに他人の良いところを褒めることができるのが僕は彼女の特技だと思っている。同時に褒められれば褒められるほど、僕の前で出さないようにしている母親像が見え隠れし、僕が恋した美茶が消えてしまうことがあることに気が付いた。
そんなことを思いながら、忘れ物を受け取り美茶の家に向かった。家のそばに来ると見慣れた車と温かい明りが僕の来訪を歓迎しているように感じた。それに懐かしい気持ちさえ覚えていると、玄関が空き、彼女は車まで僕を迎えに来た。車を降りる僕の手をそっととり、いらっしゃいと優しく微笑んだ。
男の僕の家とは違い、すっきりと片付いていた。物も少なく一人暮らしのようにさえ感じさせるようなリビングを見る限り子どものいる気配は感じられず驚いていると、美茶はこう言った。
「駿が寝た後は、一人の人間に戻る時間なの。お母さんでも妻でもなく、美茶という人間になってリセットする時間だから、子どものものは全部片づけてすっきりさせてから好きなことをするようにしてるんだ。」
そういうことかと納得している僕の後ろで心地よいジャズの音色が響いている。
「良かったら2階で話さない。上の方がこじんまりしてて落ち着くんだ」
僕は美茶に促されるまま階段を彼女に続いて上って行った。そこは、ロフトのような空間で外が見える小さな窓があり星空が顔をのぞかせていた。確かにとても心地良い空間だった。僕たちは窓の方を向いて、壁に寄りかかり二人で並んで座った。
床に座った、美茶の左手と僕の右手は重なりあっていた。時折、美茶の薬指の指輪が僕の手に触れる。僕は指輪が触れるたびに、どうしても考えてしまった、僕たちのこの関係について。
窓の方を見ながらいろんな話をした。思い出話から普通なら話さないようなことそれに、僕の彼女の事、そして美茶の結婚して子どもがいる生活のこと、お互いの世界が違うから話していてとても楽しかった。世界が違うから興味が無いという人もいるかもしれないけど、僕と美茶は違った。美茶は僕の話を聞くとき、子どもが知らないことを初めて知った時のような輝きに満ちた目をしながら夢中になっていた。反対に、僕も美茶の話すことは全て新鮮で、話をしている美茶の横顔から目を離すことができなかった。聞きながら、重なりあっている手を動かすと美茶はこちらに顔を向けてきた。
「あのね、、」という、美茶の言葉を僕はさえぎってキスをした。理由なんていらなかった。
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