第10話 ここにしかない二人の時間
「僕の方からは連絡しないようにするから」
別れたあと、僕は送信ボタンを押した。
「そんな気の使い方するならもう話さないほうがいいんじゃない?」
「でも、美茶は家族もいるし、忙しそうだから。」
「それって颯馬が思っていることじゃないの。ここでは、時間があったり彼女もいなくて、連絡とってても誰のことも気にすることないけど、日常の生活が戻る日がだんだんと現実味帯びてきたら、いろんなことが気になるのは颯馬だよね。それを意識したんじゃないの。私はそんな気遣いならしてもらいたくないし、今なら平気かなって考えてメッセージを送るような関係ならいらない。」
僕は押し黙った。長い間、次の返信をすることができなかった。美茶を気遣った言ったつもりのことは僕自身の心の声だったということに気が付かされたからだ。東京に戻って大学が再開すれば、勉強とバイトに追われ忙しい日々になるのは間違いないし、時間を見つけて彼女とデートだってするだろう。そこに美茶との時間を作ろうとしたってかなり無理がある。考える余裕も無くなるかもしれない。
それに、東京での僕と美茶のライフスタイルはほとんど真逆だろう。僕が大学で講義を受けている時間帯、美茶は子どもたちを学校に送り出した後、フリーでしている仕事があってその時間帯は比較的自由に動けるらしい、そして、大学やバイトが終わった僕の手の空く夜の時間帯、美茶は子どもの世話で一番忙しい時間を過ごしている。そのどこにも僕たちが共有できる時間は見当たらない。夜中のドライブなんてほぼ不可能だしと、思いを巡らせていると、スマホが光った。
「颯馬、最初に言ってたよね。東京に戻ったら会える時間ってすごく限られていると思うから、そういうときを大切にしたいって。それを颯馬が言ったとき、私たちはベッドの上なんかじゃなくてカフェで楽しく会話をしている途中だった。その時この人は肉体的に結ばれるのを求めてるわけではなく、心地よい会話をできる時間を大切にしたいと思ってるんだなって気持ちが伝わってきた。だからこそ、東京に帰ってからの事なんて私は今、考えてないし考えようと思わない。考えることで今の私たちにとって何かプラスになることはないと思うから。」
僕はたった数日の目まぐるしい出来事をもう一度振り返っていた。美茶のことを気になったのは疑いもなく出会った日だ。最初はお金を返してもらいに行った公園で色んな会話をした後だと思っていたが、今考えるとファストフードで初めて見かけたその瞬間から僕は美茶に一目惚れしてたのかもしれない。マスクから見えている目が、子どもとの会話でくるくると表情を変えた。微笑んだり、笑ったり、悩んだりしている様子がマスク越しでもうかがい知れることができその表情に惹かれてとりこになっていたのだろう。
その時は、現実の恋なんて思ってもいなかった。それなのに、ファストフードで別れた直後から、また会いたい気持ちが募り、気づくと、会いたいと美茶に伝えている自分がいた。美茶は最初僕のことを親切な若者としか思っていなかっただろう。しかし、僕の気持ちに気づいた後、二人だけでカフェで話した時から彼女自身も僕に対して特別な感情を持ったことに気が付いたのだと思う。でも、美茶はそれを僕のように口にはしなかった。それが彼女の最大の計らいだったんだと思う。
「僕の一方的な好意じゃなくて、美茶さんの気持ちが僕の方を向いてくれたと気付いたときすごく嬉しかった。そして非日常の時間と空間の流れの中で、キスしたり抱き合ったり心地が良すぎて、このままずっと続けばいいのにと思うとくらいだった。でも、同時に怖くなった。このままじゃ美茶さんが思っているような関係が気づけないって。会ったら、触れたくなってしまうだろう。キスしたくなってしまうし、いわゆる一線を越えてしまうのではないかって。自分が思ってた以上に僕は弱い人間だってわかったから。だから、僕からは連絡しないって言うことで自分の気持ちをセーブしようと思った。」
「気持ちはよくわかったし話してくれて嬉しい。だったらなおさら、今のことを考えればいいと思う。お互いに違う人生を歩んでいて、一緒になることはないって理解しているなら、颯馬が言っていたように、会える時間がある今を大切にしようよ。ここにいる間は、何も気にせずメッセージのやり取りをする。そして、都合が悪いときは開封せずに削除すればいいと思う。颯馬のこと適当に思ってるならずっと既読にならなくても気にしないだろうけど、そうじゃないから。きっとすごく気になって仕方ないと思うけど、それが私たちの現実なんだと思う。だから、私はなんか気になったことあったらメッセージ送っちゃうと思うけどどうする?」
最後の一文を見て思わず、僕は微笑んだ。
「美茶さんらしいね。そのぶれない態度とか姿勢とかいい意味ですごく好き。メッセージ送っておいて、既読にならないと気になって仕方ないって繊細さも持ち合わせているのに気づいたら、僕との関係も余裕でこなしているように見えて実はいろいろ考えているのが伝わってきて余計愛おしく感じたよ。こんなこと言うべきじゃないけどさ。だって、僕だったら彼女が横にいて、美茶さんからメッセージが来たら、読まずに削除してしまうと思う、美茶さんの気持ちなんか考えずに、ごめん。でも、ここにいる間はそんなこと気にせずに会える時間を大切にしようと思った。次に会えるのがいつになるのかわからなくてもね。」
「そうそう、それでいいと思う。今、夫と子どもたち温泉行ってるからそろそろ迎えにいくね。」
「え、じゃあ坂道の下で待ってれば会える?」
「颯馬、それでいいんだよ。でも、今は無理(笑)また連絡するね。」
僕の中でもやもやしていたものが消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます