第4話 樹になる

春菜? 灰色の目に無表情の人間がやって来た。歩いている。ヨタヨタと歩いてくる。僕に向かって。春菜? 右手には踏み潰されたスマートフォン。灰色の目はどんよりと鈍く、何も語らない。右手の中のスマートフォンを地面に落とすと、その手は僕に触れる。春菜だ!僕は感じる春菜の手を。これは確かに春菜。目も顔も身体も全く、春菜とは似ても似つかないけど、僕は春菜の手を覚えている。でも、春菜は言葉を失い僕に語りかける事ができない。春菜の灰色の目から、涙がこぼれ落ちた。春菜は地面に崩れ落ち、遠くを見つめる。でも、その目には、鳥も花も虫達も映らない。春のそよ風が春菜の前髪をくすぐる。まるで、春菜が産まれた時のあの春の日のように。でも、春菜には風の音も匂いもわからない。


僕にできる事。。。。。

僕は春菜の頭の上に上等の土を盛る。

春風に乗って運ばれて来たたった一つの種がその上に落とされる。太陽の光をいっぱい浴び、朝露に濡らされ、済んだ空気をいっぱい吸い、春菜がそっと目を閉じている間に、根が生えてくる。その根っこがやがて春菜の顔全体を覆い尽くし、ちょうどその頃、POP! 芽が出た。とうとう芽が出て、双葉がついた。そして茎が伸びていく。春菜の腕は枝の一部になり、両足は大地の中へ、春菜の胴はどんどん太くなって伸びていく。春菜の心が温まっていく、そしてやがて、春菜は心でものを見る事ができるようになる。灰色の目では見えなかった全てのものが見えるようになる。春菜の心は全ての声を聞く事ができるようになった。鳥の声も、虫達のおしゃべりも、風の歌も聞こえる。春菜が僕に語りかける。どんよりとした毎日の暮らしの事を話はじめる。心のどこかで逃げたしたいと思いながらも、とめどもなく溢れ出す情報の中で溺れまいと喘ぎながら、最新の物、高品質の物を求め、息つく暇もなく発信されるメッセージに受け答えして、麻薬の如くその世界にどっぷりと浸かっていく毎日。助けを求めようとした時には、すでに声を失い、約束されたのは永遠の命。遠い記憶の中で僕に触れた手の感触だけを頼りにここまでやって来た。今、春菜は春菜を取り戻し永遠の命と引き換えに、限られた命を取り戻した。僕と一緒にここで、全てを見守りながら生きていく。その終わりには、もう一つの命にバトンタッチして、僕らの人生を終える。永遠の命でないからこそ、毎日に意味を見いだせ、価値がある。最新の情報も、高品質の物もいらない。ただ、自然を身体いっぱい感じられ、息づく物達の声が聞こえ、過ぎゆくもの達と共に生きる。全てをこの心と身体で感じ、色も匂いも音も、生きづいて入ってくる。これが生きる事。電波を通してでは感じられない事、それが生きる事。終わりがあって始まりが来る。それが生きていくって事。


永遠の命を手にした馬鹿な人間達よ、戻っておいで。僕にできる事。君の頭の上に上等の土を乗せてあげるから。

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上等の土をもる @tomopistole

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