デーティング・ゲーム-2020‐
半社会人
デーティング・ゲーム-2020-
見知らぬ部屋だった。
表情のない天井がこちらを睨んでいる。
頭がふわふわとして、現実感がなかった。
まとまらない思考で天井へと視線を向け続ける。
黙りこくった天井としばらく途方もない睨めっこを続けた後、私は床に手をついてゆっくりと上体を起こした。
掌を通してフローリングの冷気が伝わってくる。
四方に視線をやった。
壁紙は天井と同じ無機質な白色で、目的もなくただそこに存在しているだけに見えた。
家具の類いはない。
広がるだけ広がろうとして、しかし程なく自らの有限を悟ったような中途半端な広さの部屋。
陽光は左側の窓からおざなりに差し込んでいる。
私はただ静かにその部屋の様子を見回していた。
正直に言えば、思考がまとまっていなかったのだ。
浮遊したような現実感が私の思考を矮小にする。
外部の印象がただ流れ込んでは通り過ぎていく。
雑然とした思考のまま、私はしばらく床上に体を預けていた。
――音がした。
「目を覚ましたかね?」
壁の一部になって溶け込んでいたドアが開いた。
その体を部屋に入れ込んできたのは、60代に見える老人だった。
若干足を引きずっている。
彼は柔和な笑みを浮かべながら入ってくると、後ろ手にドアを閉めた。
「――お前は?」
「今はまだ言えない」
老人は肩を竦める。
それから、左手に持参していた折り畳み椅子を広げると、ゆっくりとそれに腰かけた。
「やっと目を覚ましたわけだ」
私を慈しむような、それでいて試すような視線で見つめてくる。
私はなんといってよいのか分からず、反射的にそれを見つめ返した。
「ふむ。やはり変わっていない。科学の勝利というわけだね」
「――何を言っている?」
「それもまだ言えないんだ。すまないね」
老人はその細工の荒い椅子に自分の背を預けると、いかにも残念そうに言った。
私はわけが分からず彼を見据える。
老人はそれに対して優しい口調で
「そうだな――私のことはWと読んでくれ」
「――W? 」
「そうだ」
老人はこくりと頷いた。
私の困惑した視線を彼は静かに受け止める。
「では、自己紹介も済んだところで」
彼は冗談混じりにそう言うと
「デーティング・ゲームを始めようか」
これもまたにこやかに、そう言った。
―――――
「デーティング? 」
「デーティング・ゲーム」
老人はもう一度繰り返す。
「名前というのは大切だ。言語とは人間が世界を切り取るための道具だからね。意味が最初にあるのではなくて、我々人間が名付けることで、意味は生じる。世界が生まれる」
老人はそう言うと
「さて、その点、我らがデーティング・ゲームだが――」
私にひたと視線を据えて
「このゲームの名前を聞いたことは? 」
「――いいや」
「そうだろうね。なにせ私が今考えたのだから」
楽しむような口調だった。
私はその言い様に、いらだちを覚えて
「お前は――」
「おおっと。自己紹介は済ませたはずだよ? 」
「――Wは」
「そうそう」
老人――Wはうなずいて
「さて、何かね?」
「――そのゲームは、どういうゲームなんだ」
Wはよくぞ聞いてくれた、という風に
「簡単なゲームさ。デーティングという言葉を聞いたことは? ない? ふむ、では、放射性炭素年代測定という言葉に聞き覚えは? 」
私は自分の頭の中の小さな屋根裏部屋を探ってみた。
そんな奇妙な単語は聞いたことがなかった。
「――いいや」
「簡単に言えば、動植物に含まれる炭素同位体の量を調べて、その年代を特定するという方法さ」
Wは愉快そうに続けて
「年代法のことをデーティングとも言う。つまり、君には年代の特定をしてもらいたいんだよ。それが、デーティング・ゲームだ」
「年代特定――」
「ああ」
「――何の年代を?」
「それは決まりきっているだろう? 」
Wは両腕を広げて
「ずばり、今年が西暦何年なのか、だよ」
そして試すような視線を私に寄越した。
「記憶のない君にとっては、ちょうどよい難易度のゲームだと思うがね」
――――
そうだった。
この寄る辺のなさ。
いつまでも治まらない浮遊感。
もちろん肉体的なものもあるのだろうが、私の場合は別のものが主要因だった。
私には、記憶がなかったのだ。
正確に言えば、壁、天井、椅子など、事物の名前は分かるのだが、自分に関わる記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
記憶は人間の根幹を為す。
故に、それが無ければ言い様のない不安に駆られる。
私の内に走った衝撃を見てとったのか、Wは頷いて
「そう。君には以前の記憶がない。だが、明敏な頭脳は健在の筈だ。だから、私はこのゲームを、君にやってほしいんだよ」
相変わらず不敵な、しかし、どこか願うような口調でもあった。
私の脳内を様々な思考が巡った。
この老人――Wの目的が分からない。ゲームに敗北すればどうなるのか。そもそも相手側の情報量が圧倒的な状態で、それはゲームと言えるのか。
それでも自然と私の口は開いていた。
「やってみよう。そのゲームとやらを」
私の言葉にWは笑って
「そうこなくては」
――――
「ルールは簡単。今年が西暦何年かを当てる。ただそれだけ。この部屋のあらゆる情報を使っていい。制限時間は今からきっかり24時間。それまでに君が今年が何年かを当てられれば勝利だ。敗北はその逆」
「報酬は? 」
「勝利すれば君の正体を教えよう。敗北すれば――その時はその時だ」
Wは謎めいた笑みを浮かべると、左の腕時計を見て
「では――スタート」
それがゲームの始まりだった。
Wは高らかに宣言すると、それで役目を終えたかのように椅子に背を預け、目を閉じた。
私はもう一度、その部屋をぐるりと見回した。
Wはこの部屋のあらゆる情報を使っていいと言ったが、そもそもこの部屋には家具がない。
以前と変わらぬ仏頂面を壁や天井が寄越してくるだけだ。
私は窓の方に近づいて
「――外を眺めても? 」
「構わんよ。ただし、予め年代が分かるようなものは見えない造りになっているので、そのつもりで」
何の情報もないよりはマシだ。
私は窓から外の風景を眺めた。
雲が近い。空の青がくっきりと見えた。
部屋はかなり上階に位置しているようだ。
超高層建築物がふわふわと漂う雲の群れの下で軒を連ねている。
高速で視界を走り去る自動車に、緩慢な動作で歩く人々。
それらが一つ一つの点のように見える。
年代を突き止める直接の手掛かりになりそうなものはなかった。
私は窓から離れると、その横の壁紙を調べ始めた。
次いで床に移る。
天井は私の背では届きそうにないので、目視。
それから、元いた部屋の中心に腰を下ろした。
あぐらを書き、自分の服装を眺める。
ツイードの黒スーツに、色合いをあわせたパンツ。
ブーツも黒。
ポケットに何か入っていないかと改めてみたが、何もなかった。
顎に手をあて、黙考。
時折Wの方を見ては、自分の服装と見比べたり、あるいはWその人を観察した。
角ばった顎に、反り残しのある髭。
それほどの長身ではない。
ふと思い付いて、再び窓際に行くと、目を痛めないように気を付けながら、太陽の動きを見守る。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
やがて一つの確信を抱いた私は、いつの間にかうつらうつらしていたWの元へ歩み寄った。
Wは私が近づいて目を覚ましたようで、見下ろす形になった私の視線に苦笑して
「なんだね? 」
「分かったよ。今年が何年か」
「ほう――それはそれは」
Wは何故か嬉しそうに
「それで――いったい何年なのかな?」
「2020年だ」
私が真相を言い当てることを予期はしていたのだろうが、それでもWは驚いたようだった。
目をまるくして
「――見事だ。だが、どうやって――」
問い詰めようとするWの動きを私は掌で制して
「実に単純な――初歩的なことなんだよ」
それから、Wに向かって微笑んだ。
「ワトスン君」
――――
「ホームズ、君は――」
W――もといワトスンは私が彼の名前を呼んだことにさらに驚いたようで
「いったいどうやって」
「演繹的推理の初歩さ」
私は肩をすくめて
「もっとも、今回は不確定要素が多過ぎて、単なる推論の域を出ていないが」
「――それでも、どうやって」
「ヒントは私の服装だった。これは伝統的な19世紀英国の装いだ。そこで私の国籍、暮らしていた年代が分かった」
私は自分で整理しながら続けて
「次に問題となるのは、では何年なのか? ということだ。まさか19世紀ではあるまい。それは君が腕時計を使っていること、自動車の存在、超高層建築物などから予測できた」
どれも19世紀にはまだ普及していなかったものだ。
「さらに、君が言及した年代法だが、炭素の存在は知っていても、そんな特定法は聞いたことがなかった。それがどれくらい高度な技術なのかは分からないが、少なくとも1世紀は進んでいると仮定してよいものと思った」
この時点で20世紀。
「さらに、君のしゃべり方もヒントになった。言語は進化するものだが、何百年も隔たりがあればそもそも理解できない可能性が高い。しかし君の言うことは理解できた。また――」
私は一息ついて
「気温も考慮した。温暖化があまりに進んでいれば、19世紀のスーツそのままではとてもおられまい。しかし、不便ではあるが過ごせないほどではなかった」
私はワトスンを見据えて
「つまり20世紀からそれほど隔たりがあるわけでもない。――決定的だったのは、太陽の動きだ」
「太陽? 」
「ああ」私は頷いて「太陽の動き、黄道の天球に対する位置を目視して、少しばかり計算し、21世紀の始まり――2020年代だと測定したわけだ」
「しかし君はぴったりあてたじゃないか! 」
「だから言っただろう、当てずっぽうだって」
私は苦笑して
「ゲームにするからには、キリのいい年だと思ったのさ」
しばし沈黙があった。
「見事だ。ホームズ」
「コールドスリープは成功したようだね? 」
「ああ。しかし君の記憶に障害が出ているようだったので、頭を使ってもらおうとしたんだ」
かくして、私は記憶を取り戻し、19世紀の退屈な日々から抜け出した。
2020年夏。
新たな冒険の幕開けである。
デーティング・ゲーム-2020‐ 半社会人 @novelman
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます