ロリポップ

双葉使用

第1話

3メートル四方の自室に、一つだけ質素なベッドが置かれている。そのベッドに横たわり、無機質なコンクリートを眺めていたところで壁にかけられた受話器型の電話が鳴った。内線電話なので、かけて来るのは一人しかいない。この研究所には、私の他に一人しか人間はいないから。

「はい、なんでしょうか」

「助手~!助手~!急いでモップ持ってきて~!」

明るく溌剌な声色で一方的な指示を投げる。いつものことだけれど、普段の低血圧みたいな調子ではなかった。興奮しているのか何なのかわからないが、少なくともいい予感はしない。

「それと救急車もお願いね!」

「かしこまりました」

やはりダメみたいですね。


彼女の自室と兼用になっている研究室に向かうと、博士は血まみれで倒れていた。作業台から内線電話まで這いずったらしく、白衣で擦られ掠れている。のたうち回ったのか部屋は荒れており、その先、受話器の下で動かなくなっている。

壁まで飛び散り、天井から滴る赤黒い液体を見て、私は一度フリーズした。

「博士。ついに失敗して死にましたか?」

思っていたよりも深刻でシリアスな事件だったので、とりあえず安否を尋ねた。返事はない。

「新薬開発だから危険はないって言っていたじゃないですか。従業員を路頭に迷わせるような事はやめてください」

電話で助けを求めていなかったものの、大惨事ゆえに心配になる。

「博士。入ってもよろしいですか?法的に。」

返事が来ず答えを待っても埒があかないので、私は博士に駆け寄った。半分ほど乾いてきている血の海に座り込んで、そこで初めて博士の頭身が小さくなっていることに気がついた。

金色の長い髪の毛はそのままに、手足、身長、頭の大きさや胸の膨らみまですべてが子供のようになっている。

「博士が、ロリに……!?いや、とにかく大丈夫ですか?」

両肩をバンバンと叩く、が正解だったと思うので、叩く。呼吸をしていないようだったが、口から血反吐を吐いて息を吹き返した。

「ごぼっ……かっ、おぇっ、げぼっ、ひゅっ」

「良かった、生きてましたか」

体を支え起こして、口回りを袖でぬぐってあげる。私の寝間着が真っ赤になるくらい吐きつくして、ようやく落ち着いたらしい。肩で息を切らしながら、弱々しく私に寄りかかる。

「死んじゃうー人工呼吸してー」

「嫌です」

「ぶえー」


「それで、何故このような事態に?」

こびりついた血を流すために、浴槽にお湯を張りながら博士の髪の毛を流す。ざぱざぱと水がかかった分だけ、黒ずんだ赤い血がタイルの隙間を流れていく。

「若返りの薬を作ってたんだよ。一通りネズミで試してみたからイケると思ってね、単純に体重比で算出した分だけ飲んだら若返りすぎちゃって、肉体がおもいっきり縮んじゃったんだ。安全策として不要な血液とか肉片とかは吐き出すようにしてたから、こう口からドバッと」

たはは、と誤魔化すように笑う博士と、博士の髪に水と櫛を通す私。どんどん色が金に戻る髪に、溜め息を落とした。

「そう言えば、髪の毛は長いままなんですね」

「ん、ああ、そうなんだよ。骨とか血肉とかはある方が危ないけど、髪の毛はあっても問題ないからね。あ、この素晴らしい頭脳は丸々残ってるよ!ちゃんと助手との思い出も覚えているからね!」

サイズが変わった分違和感があるのか手をにぎにぎしている博士が、やたら得意気にそう語る。

「あの、そこまでしっかりと対策を練るぐらいなら、博士自身で試さないで下さい。治験でも雇えばよろしいではないですか。」

「やー、金が、ね。ほら、借りた分全部研究所に突っ込んじゃったしさ。いやほら、自爆装置は必須だしぃ?ね?助手も楽しそうに組んでたじゃん?」

「ならせめて私で試して下さい。胎児より若返っていたらどうしたのですか」

「んー、そしたら助手に産んでもらうかな」

「嫌です」


「とにかく、一度病院で検査を受けますよ。直ちに死ぬようなことは、運良く、無いですが」

「えーめんどいー」

「おやつ作りませんよ」

「……助手が私より権力を持つのはおかしいと思うんだ」

「そうですか」


博士は生物学や薬学に精通しており、15の頃には既に当時の人類ではなし得ない事を成し遂げていた。希代の天才だとしても、なぜそんなことが出来たのかというと、博士は大病院の院長の一人娘だったからなのだ。そういう事で、今回のような複雑な状況を孕んだ怪我等は実家で治療している。追及等の面倒がなく、融通がきき、支払いもある程度待ってくれる。勝手も職員の顔もわかっている。

昔に戻ったようだと嬉々としてはしゃぐご両親と、恥ずかしそうにしながら黙って身体検査を受けている博士を、部屋の隅から見ていた。レントゲンが終わり、採血で嫌な顔をしている博士に付き添って手を握っていたら、私は職員の一人に別室まで呼び出された。

「なんでしょうか」

「彼女の事で相談があるのですが」

「はい」

「その……頭蓋骨の大きさに対して、脳みそが少々大きすぎるのです。事例が無いので詳しい事はわからないのですが、類似の事柄から察するに、あまり、長く生きるのは難しいのではないでしょうか……」

「…………理解しました。」


「……との事です」

私は、帰宅後すぐに聞いたことを聞いたまま博士に話した。博士と私は、ずっと友達でいることを約束した。秘密を抱えて騙し続けるのは、友達ではない。十歳未満になってしまった博士は、静かに、聞き終わった。

「あー、そっかー。えー、まあ、何とか、なんとか出来る、かな。ありがとね」

「待ってください。その精神状態では……」

「んー、まぁ、それもそうだね。まずは休もう。」


こうして、急ピッチでどうにかしようと作業が始まった。老化や肥大、外科的手法といった、それこそありとあらゆる全て。

しかし、具体的な案は見つからず、博士はどんどん弱っていった。頭の痛みを日々訴え、ずっと眠り続けたりボーッとすることが増えた。

「……もう、脳みそを小さくするしか、ないみたいだね……」

か細い声で、寝そべったソファから呟く博士。確かに、まるで制限しないで若返り薬を使えば脳みそも溶ける。今度は肉体や骨が縮むのを抑制すれば、きっと丸く収まる。でも、物理的に脳みそを減らす、ということは、記憶や経験などをなくすだけでなく、人格にまで影響が出る可能性がある。

「でも、助手を一人置き去りにするより、いくらかマシじゃないかな。」

「……嫌です。例え悪魔に魂を売ったとしても。」

きっと、何かあるはず。話を聞くだけなら壁にも出来るんだ。私は、博士の友達なんだ。


博士が完全に動けなくなって、病院に収容されてから一月。ついにその日は来た。容器に吐き出される濁った白い液体。それは溶解した脳みそ。およそ人生で嗅いだことのない不思議な臭みでいっぱいになる部屋から、私は急いでそれを運び出した。


「博士は、どうなりましたか?」

そのあと、私は職員の人に博士の容態を尋ねた。返事はこうだった。

「記憶の混濁が激しいのか、現在時点ですべての記憶を失っています。ご両親の事すらも……」

「そうですか」


静かに朝日が差し込む病室で、ノックが三回鳴る。あれから一週間は経っただろう。

「失礼します。博士。」

手早く丁寧な所作で博士の前まで行き、変わった博士を見る。顔つきとか、纏う雰囲気が、違う。

「あ、えっと、はじめまして……?助手さん、ですよね。」

……ああ、忘れてしまったのですか。まあそれも仕方がない。私は、博士が15歳の時に出会った。それよりも若くなった博士は、私の事など知るよしもないのだろう。博士。貴女は15歳の時分に、この私を産み出したのですよ。

「博士。飴はお好きですか?以前の博士はお好きでしたので、用意したのですが」

そう言って、ひとつのロリポップキャンディを取り出した。博士は、もの珍しそうにそれを見つめ、そして舐めた。

「……不思議な風味、ですね……」

「ええ。出来ることなら、こんな風にしたくはなかった。」

「え?それは……うっ、ぐっ!うあ、う」

医療用のベッドをかきみだしながらのたうち始める博士。

「あ、あああ、頭が、」

「申し訳ございません。」

暴れる博士の手から飴を取り戻し、数分待つ。

「じょ、しゅ?あれ、私、脳みそを……?」

「お帰りなさいませ。博士。貴女は完全に記憶を失いました。こちらをどうぞ」

「飴?なんで?え?」

「これは、封入された記憶を舐めている間から暫く植え付ける飴です。このロリポップキャンディが、私達の絆になるのです。」

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