きっと未来は幸せだ
名取 雨霧
前略 未来は大丈夫ですか?
「ねえねえ。みらいのわたしはけっこんしてるの?」
少女は大きな瞳をぱっちりとこちらに合わせて聞いてきた。彼女の真っ直ぐな表情に、まるで世界の秘密そのものを知る直前のような緊張感が滲む。きっと裏表のない純粋な疑問なのだ。私は少女の頭にぽんと手の平を優しく乗せながら、目線を合わせて告げた。
「ええ、素敵な人と結婚出来たわ」
「そっかあ」
今度は子供らしい満面の笑みを浮かべる。
「おめでとう!」
それから、純度100%の祝福でお返ししてくれたのだ。私にはそれがとてつもなく嬉しくて、置いていた手の平でくしゃくしゃと少女の頭を撫で始める。「あははやめてよう」なんて嬉しそうに言われても、「説得力ないから意味ないわよ」と言って続けてしまった。少女のくすぐったそうな顔の面影は、私にもまだ少し残っているのかな。
それから色々な話を聞いた。新しい妹が出来たこと、先月6歳になったこと、来年小学校に上がること、外国のお洒落なカフェが日本にできたこと。年代からして、4つ目はスタバのことだろうか。無限に湧き出る少女の話に耳を傾けながらも懐かしい気分に浸っていると、耳元のブザーが終わりを知らせる。少女が「それでね、」と続けようとしたのを制止して、私は名残惜しく告げた。
「ごめんね。お姉ちゃんもう未来に帰らなきゃなんだ。だから最後に一つだけ、質問に答えてあげる」
少女も打って変わって哀しそうな表情で私を見つめてきた。申し訳ないけれど、これだけは守らなきゃなんだ。悩みに悩み抜いた様子で絞り出した少女の質問は、実に単純だった。
「──みらいのわたしはしあわせですか?」
自動転送装置が作動し、私の輪郭が段々と透き通っていく。私は機械音に飲み込まれないよう、しっかりと声を張って答えを届けてあげた。
「大丈夫。すっごく幸せよ」
にこっと笑って、私は姿を消した。
1996年8月7日のこと。私は未来からの
私は古いメモ帳を開く。鉛筆の乱れた筆跡で書かれた次の日付は2005年8月3日。与えられた通りに数字を入力し、再び機械を動かした。15歳──きっと尖ってるんだろうな、なんて笑いながらその頃の思い出に浸る。瞼の奥に青春時代を投影するのも束の間、気づけば辺りは蝉時雨と17時の鐘の音に包まれる。真っ赤な夕焼け空が出迎えてくれたこの時代で、私は通学路にある公園のベンチに座っていた。目をぱちくりさせながら驚く、学校帰りの私と並んで。
「え!誰?」
「誰って未来の私よ。それより、今日って部活終わった彼氏と帰る日じゃなかったの?」
「いや待って待って。状況ぜんっぜん分かんない」
「あはは、だから言った通りよ」
「ええ......」
私が当たり前のように話すから、彼女は余計混乱している。過去の自分をからかうのがこんなに楽しいなんて思わなかったけれど、あんまりやりすぎると流石に可哀想になる。私は表情を正して、彼女に優しく問いかけた。
「何が悲しいことでもあったんでしょ」
「別に......あんたに何が分かるの」
「私のことなんだもん。私が一番分かってるわ」
「ふんっ、帰りなさいよ。この不審者」
「はいはい、あなたがミナト君にちゃんと謝るって約束してくれたら帰るわよ」
淡々とそう告げると、彼女は図星だったかのように目を見開いた。もはや驚きで声が出ていない。
「いい加減信じてくれたかな」
小首を傾げながらそう尋ねると、彼女は観念したように溜息を吐く。それから彼女は涙混じりに、初めてできた彼氏であるミナト君とのすれ違いを教えてくれた。
「私はさ、お母さんの体調悪いから家事の手伝いしなきゃなのに、あっちが練習だの最後の大会だので予定合わせてくれないのよ」
彼女は吐き捨てるように言う。私は一連の話を聞いたあと、目を細めて少し叱ってあげた。
「あなたがお母さんのことを大事に思ってるのと同じくらい、ミナト君は部活が大切なの。会えないのが辛いのはわかるけど、今はお互いに我慢しなきゃダメ」
涙目で俯く彼女を見ていると、あの頃の必死な感情を思い出して少しだけ切なくなった。隣で泣きそうになっているのは自分自身なのだから、遣る瀬無い気持ちが分かって痛い。
「......そうだね。ミナト君の気持ち分かってなかった。自分のことで精一杯だったみたい」
だからこそ、きちんと自分と向き合ってくれたみたいで安心できた。
「心配性だからねえ私は。このままずっと会えなくなったら、とか気持ちが冷めたら、とか色々考えてたなあ」
「く......気持ち悪いくらい共感できるのが無性に腹立つわ」
「ふふ、ストレス溜めすぎると肌荒れるわよ」
そう言うと、彼女は私の前で初めて笑顔を見せた。吹っ切れたような爽やかな表情。それを見てほっとしたとき、ブザーが鳴った。
「三十分って早いなあ。もうお別れだ」
「待って。ミナト君にはちゃんと謝る、約束するわ!だから一つだけ聞きたいことがあるの」
彼女の表情は今や真剣そのものだった。不安だらけの私にとって最も気になっていること、それは今でも鮮明に思い出せる。
「お母さんは今、元気ですか?」
私は笑って答えた。
「大丈夫だよ。安心してね」
そう告げた瞬間、自動転送装置が私の身体を未来へ奪い去っていった。最後に見たのは少女の心から安堵したような表情──それを見てちくりと胸が痛んだ。過去の自分に嘘をつくのは、最初で最後だ。
気がつくと私は大学の寮の作業スペースにいた。日付は2011年8月11日、21歳の私と小さな円卓を挟み対面する形で私は現れた。
「ふふ、久しぶりね」
私が微笑みながらそう言うと、彼女はレポートに書き込んでいたシャーペンを地面に落とした。
「......また来たのね」
彼女は状況を理解したように言い放つ。流石にあまり驚かなくなったみたいで残念だ。
「何やってるの?」
「就活のエントリーシート。自分が大学で何やってきたかとか書くやつね」
「へー懐かしい。思ってもないこと大袈裟に書いてたなあ」
「やめてよ。図星で書く気なくなるから」
乾いた笑顔でそう言われると、こちらも少し言いすぎたような気がして反省した。それからは、彼女の人生相談を長々と聞いていた。本当に自分がやりたいことや、仕事にしていけることを考えだすとどうもきりがないらしい。私は焦ったくなって少し答えに近いヒントを口走った。
「じゃあ震災から5ヶ月経ったけどさ、何か思ったことはないの?」
はっとした様子の彼女は少し考えてから、渋々告げる。
「......自分の、無力さを感じた」
「そっか」
心配性の私は大人になって変わった。15歳の頃は自分のことしか考えていなかったけれど、多分21歳の私は皆のことを考え始めた。それはそれでまた新たに不安が増える訳だけれど、その不安はきっと困っている人の大きな助けになるはず。
「まだ時間はあるんだから、じっくり考えてみればいいのよ」
私が再考を促すとともにブザーが時間を伝える。
「じゃ、就活頑張ってね」
「待って!これだけは気になるの」
私が別れを告げると、彼女は慌てて呼び止めた。
「日本は、ちゃんと復興できた......?」
私は大きく頷いて答える。
「皆がひとつになったおかげで、今は元気にやってるよ」
「今回は、嘘じゃないね?」
「うん、前は本当のこと言えなくてごめんね。もう嘘はつかないから」
そう言い切ると彼女は「良かった」と呟き、控えめな笑顔で私を見送ってくれた。自動転送装置がまた、私を未来へ連れて行く。
次は、2020年の夏。一番鮮明な記憶を辿りながら、私は装置を起動した。
転送先は薄暗い六畳間。カーテンが締め切られ、電気を点けると綺麗に整頓された自室の全貌が露わになる。
散らかった書類などは一切なかったため、机の上にB5のルーズリーフが置かれているのも分かりやすかった。そこに書かれる長々とした文章にざっと目を通して、私はようやく思い出した。三十歳の私は、未来の私と会わなかったということを。
それを改めて認識した上で、私はこの書き置きをじっくり読むことにした。
『拝啓 たまに遊びに来てくれる未来の私へ
部屋に私がいなくて驚いたでしょう?お役所に就職してから多忙で、あなたに構ってあげられなくなっちゃったの。』
冒頭を読んで感じたのは、大人になったんだなあという感慨だ。行間から垣間見える余裕が精神的な成長を実感させてくれる。
『未来の私は、いつだって私が悩んでるときに未来から駆けつけてくれたよね。純粋に未来が不安なときも、恋人と喧嘩しちゃったときも、震災を受けて将来を考え直したときも。今は未知の病気のせいで、世界中が大変なことになってるんだ。私も役所で大忙し。毎日落ち込んでる。』
そうだった。きっとあの時代は皆の不満が溜まっていたと思う。思い返してみても、出口のない迷路を惰性で進んでいたような感覚が頭を過った。
『でもね』
その三文字は特に筆圧が濃い。
『どうにかしてみせる。未来にこんな不安は持ち込まないから。今は事情があってあなたと会えないけど、一つだけ教えて。未来は大丈夫ですか?』
私は綺麗にしまってあった赤マーカーを取り出し、ルーズリーフの裏に大きく記した。
【大丈夫。あなたの、いやこの時代の皆の頑張りのおかげでね】
そう書き残して、私はこの時代から去った。
ずっと心配性だった私は、未来の自分に励まされながらもきちんと成長できた。そしてその成長のおかげで未来が──今の私がある。全ての役目を終えた私は、安心して未来への帰路についた。
過去の自分達が作り上げてくれた、大好きな未来へ。
きっと未来は幸せだ 名取 雨霧 @Ryu3SuiSo73um
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