第六夜「北極星」(Bパート)⑥
If it happened once, it doesn't mean it won't happen again.
(一度あったことなら、二度ないとはかぎらない)
〇
「……ほぉー、らぁー……い・つ・ま・で・そうしてはりますん?」
意識を取り戻したこの場所は、「男子絶対禁制」の教皇院の禁裏。
つまり、起こしてくれた相手は、女の子。
流石にいつまでもこうして、真っ黒なスカートの中身がちょうど正面から視界に飛び込んでくるような姿勢でいるのもまずかろう、と思い、床で寝転がっていたせいか全身あちこちが軋むように痛い身体をむりやりに動かして、上体を起こして。
「……申し訳ありません」
ここは極力丁重に、と詫びの言葉を口にする。
「おにいさん。……で、ええですよね」
ぼくを目覚めさせてくれた女の子が、怪訝な口調でそう問いかけてくれるのに、
「……まあ、そうです」
と答えを返すと、
「なら良かったです、見た目通り、おねえさん、やったら失礼ですし。……まあここ、女のひとしか入ってこれんはずやけどね?」
痛いところを的確にぐさりぐさり、と突かれる。
――まだ自分がメイド服のままだったの、思い出したよ。
そう思いながらひとまず居住まいを正し、向き直ってよくよく見れば、ぼくを目覚めさせてくれたのは、小柄な……まあまた随分と大人びて見目麗しい女の子、だった。
ゴシック様式のロリータスタイル。――ゴスロリ、というのだったか。
黒を基調として、フリルやレースに彩られた、華美ではあるが全体の調和が取れて上品な服装が、意志の強そうな眼差しと色白の頬の、怜悧に整った顔立ちと、綺麗な黒髪を眉にかかるかかからないかのところで真っ直ぐに切りそろえた髪形の容姿に、よく似合っていた。
……遠目に眺めている分には大層幸い……なお嬢さんではあるが、この状況だけでも色々と問題がある。
ここにいる間、ぼくは常に喉首を狙われているくらいの気持ちでいた方が間違いないのだから。
――そうと判っていながら、いったいどうしてぼくはまた、廊下で寝入るなんてことをしてしまったのだろうか?
「ほら、しゃんとして」
という短い言葉とともに、ぼくに差し伸べられたのは、白くて小さな手のひら。
引っ張り起こそうとしてくれてるらしい。
「どうしましたん? つかまり、言うてるんやけど」
失礼にあたるので口には出せないながら、あまりそういう行動をしそうには思わなかったので、ちょっと意外、といえば意外である。
つまり、このゴスロリちゃんは思ったよりもやさしい。のだった。
「転んだり、倒れたりした人を助け起こすって習慣がないとこのかた?」
……あまり逡巡していると、育ちの悪さが知れてしまう。
気が引けるところはあるけれど、好意に甘えさせてもらうことにする。
差し出された色白の掌を掴み返し、引っ張る力に合わせて起き上がった。
「ありがとう、ございます」
と謝辞を述べ、
「ええのよ」
と鷹揚に返される。
……さて、今相対してるゴスロリちゃんは、まだランドセルを背負っていそうなほどに小柄な女の子だけど、例えばくおんさんだって見た目も実年齢も11歳の童女ではあっても、ひととしての格の高さは、それこそ雲の上の輝く月のごとくだ。
なのでこのゴスロリちゃんだって、くおんさんとか、或いは――或いは――誰だったか、のように、直接言葉をかけることすら憚られるような方でないという情報は何もない。それこそ、まだ名前も聞いてない。
隙を見せないよう予防線を張る、というわけでもないが、まずは畏まった態度でいた方が、無難だろうと思い、極力低姿勢で挨拶申し上げた。
「あの、ぼく、いや、私は……」
「……あ、御剣昴一郎」
おずおずと名乗ろうとした矢先に、それを遮るように先んじて名前を呼ばれる
「知ってますよ」
「へっ?」
「ツクヨミさまのとこの、〈御剣 昴一郎〉いうおにいさんですやろ? 今日は朝早くから、皆ぴいぴいきいきい、ばかみたいにあなたの噂話でもちきりですよって――人気ものはつらい、そういいますなあ?」
あれやこれやのぼくの風評は、彼女の耳にも入っていたらしい。
悪戯っぽく笑いながらそう告げられて、……へへへ、いやそれほどでもないですけど、と卑屈に笑うぼくに、
「ところで昴一郎お・に・い・さ・ん?」
「はい、なんでしょう」
「で、何でこないなとこで……床で寝てましたん?」
と、まあごもっともな問いが向けられる。
……そう言えば、何でだろう?
「趣味なん? 床で寝るん?」
……秋風のような声音はどこか面白がっているようでもあって、からかわれてる感じもするのだが、それは確かに、あんなところで横たわっていれば不審にも思われるだろう。
ぼくは確か、くおんさんにお茶でも淹れてあげようと思って部屋を出て……それで……。
それで、どうしたんだっけ?
とっさに、胸にいれてある携帯式端末で時刻を確認する。
……最後に液晶画面を見てから、せいぜい数分間しか経っていなかった。
体感的には、数十分ほどは寝入ってしまっていた気がする。
つまり、部屋を出て、この通路をほんの数歩歩いて……そこで急に耐え難い眠気に襲われて、そのまま床で横になってしまっていた。
ということになる。
……どうも、変だ。
いや、御剣昴一郎は割としょっちゅうおかしな行動をしてはいるが、こういうことはこれまでにもおぼえがない。
「あの、もしかして、ツクヨミ様のお屋敷じゃ、寝起きするお部屋、もらえてないん?」
「違う」
「おまえなんか廊下で寝ぇ、言われてますん? お可哀想にねぇ……お気の毒にねぇ……。 ご主人が冷たいと、使われる方はほんと不幸やねえ」
「違う、違います」
ゴスロリちゃんがくおんさんに対してあらぬ誤解を抱いてしまいかねないような流れになってしまっているので、流石にそれは必死で否定する。
ぼくが答えに窮しながら応じる姿を一瞥すると、
「へぇ? ならええですけど」
ふふん、と鼻先で笑い飛ばし、肩をすくめるゴスロリちゃん。
完全にオモチャ扱いされている。
……そして、何となくわかる。
こうして、傍にいて立ち姿や振る舞いや、細かな挙動を見ているだけでひしひしと伝わってくる、いうならばマモルくんになく、ツカサさんやかなめさんからは受け取った、この感じ。
――この子、「戦闘職」の魔法つかいだ。
それも、とてつもなく強い。
「ああ、ご挨拶、遅れてしまいましたねえ?」
フリルとレースに飾られた、ビロードの生地の黒衣の。
綺麗に切りそろえた黒髪の。
それを見目良く整える黒いリボンの。
まるでくおんさんと対を成すような、……黒い魔法つかい。
「わたし、一乗寺、さよこ、言います」
それが、
それが、一乗寺さよこさんだった。
〇
さて、ゲストルームへと帰ってくると、内側から鍵がかかっている。
「戻ったよ、開けて」
とりあえず開錠を求めてみる。
「どなた、ですか」
妙に低く押し殺したようなたまこちゃんの声。
「いや、昴一郎だけど」
「……合言葉を言って!」
何それ。
「たまこちゃん、合言葉なんて、決めてなかった……だろ?」
そう返すと、今度は、
「たまこ、こノ全く気の利かない、つまラナい反応は本物の昴一郎だ、間違ヰない」
と、今度はびゃくやの声が聞こえてくる。
何か酷い事を言われている。
ため息を呑みこみながら部屋に入ると、むー、と不満げに唇をかみしめたたまこちゃんが、
「遅い」
と言いながら出迎えてくれる。
「そんなには、遅くはなかったはずだけど」
「わたしは、もっと早く帰ってきて欲しかったよ?」
「それは確かに申し訳ないけど」
「わたしじゃあのいやな人たちが来てもくおんさんのこと守れないんだよ? 強く凄まれたらくおんさんを引き渡しちゃうよ?」
「そこは少しは努力してよ……」
とはいえ、確かに短い時間でもここを離れたのも、あまり望ましくはなかったかもしれない。
「悪かったね、ごめん」
と、たまこちゃんとびゃくやに詫びを言い、
「遅くなってすみません」
と、くおんさんに声をかける。
「おかえりなさい、昴一郎さん」
まるでいつも通り、邸でのやり取りのように、やさしく微笑んで迎えてくれるくおんさんの、その表情が曇る。
「……そちらは?」
「ええと、このひとは」
ぼくが単独で戻って来たのでなく、後ろについてきている女の子
――一乗寺さよこさんを伴っていたからである。
「ツクヨミさま、お久しゅう」
と、行儀よく社交辞令を述べるさよこさん。
「……あなたは……」
短くそう呟いたくおんさんのその表情が、僅かに冷たく鋭いものをまとうのを、ぼくは見る。
「え? なに? だれこの派手なひと? なんでいるの? 何でこんなひと、つれてきたの?」
案の定、これはもう明確に嫌そうな顔で、たまこちゃんがぼくのメイド服の袖口をくいくいと引っ張るのだけど。
「ふしだらじゃないけど……こわいひとじゃない! 」
「まあ、その……」
言葉を選ばずぼくを非難するたまこちゃんに返す言葉も、濁し濁しのものにしかならない。
ぼくとて、あえて彼女にこの部屋までついて来てもらいたかったわけではない。
部屋に帰ろうとしたところに、
「では、お部屋までご一緒しましょ、わたしも、ツクヨミ様とお顔を合わせたいさかい」
と申し出た彼女へ、くおんさんは休養期間中なので、面会は見合わせてもらいたい。と言う旨もやんわりと伝えた。
けれど、
「ええ、それは聞いとりますよ? でも、少しお話させてもらうだけやから」
「ですから、取次は出来ないのです、判ってください」
「でも……あなた、ひとりで無事にお部屋まで帰れるんですやろか?」
その点を突かれると、つらい。
少なくともぼくが突然意識が途絶えて、廊下で眠りについてしまったというのは、事実だ。
昨日は強行軍ではあったし、疲労していたから、と言えばそうかもしれないが、それにしても異常事態だ。
一度あったことなら、二度ないとはかぎらない。
不意に意識を失う可能性があるのであれば、その間に危害を加えられるのもまずいが、〈病人〉として扱われるのもまずい。
ぼくは少なくとも、ここで医者にかかることが、身体を他人の目に晒すことができない。
また、廊下で寝ているのを見つけて起こしてくれた彼女に、どうにも一応借りのある彼女を他の名門名家のお歴々にそうしたようにまで邪険にはできず。
何だかまるで「比較的友好的な状態で彼女と知り合う」ようにお膳立てされてしまったみたいだった。
ばさり、白い翼を広げて、びゃくやがぼくの肩へと舞い降りる。
「……昴一郎、君ハ、よクヨく悪運ヲ引き当てルもノダな……」
と、苦々しげに言うと、爪を動かして、空中を引っ掻くような動作を見せる。
〈端末を見ろ〉
というジェスチャーサインだ。
言われたとおりに端末を取り出すと、短文送信機能に着信が一件。
「彼女は教皇院監察所属ノ、最高格の戦察官」
何だそれ、と打ち込んで返す。
「つまリ、君の敵ダ」
小説版 魔法少女くおんーシロガネノカゲヅキー ver.TV Animation 関守乾 @utakata-tutusimu
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