新世紀の子

@harumaki4405

新世紀の子

 大学に入ってから、慌ただしい日々を送っていると、あっという間に大学三年生の5月になった。

 就職活動を来年に控え、周囲も徐々に未来のことを考え始める。

 俺も二年生の頃から説明会に参加していたが、インターンや会社説明会に今年も参加することで、有利に働く場面もあるだろう。そう思うと、今年の夏は楽しめない可能性は十分にある。


 大学の図書館で、レポートの前準備をしながらそんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。


「あーらーた!」

「道林か」


 振り返った先にいたのは、同級生の道林だった。


「またレポートの準備? 真面目だね」

「まぁ、後でやるより準備してた方が楽になるからな」

「楽するくらいならクオリティを上げる癖に」

「悪いことじゃないんだからいいだろ」


 そう言うと、道林は肩を竦めた。


「そんなんで、今年の夏は楽しめるのかね。どうせ来年は真面目に就職活動するんでしょ?」

「いや、どうかな。今年はインターンとか受けたいなとは思ってるけど」

「去年の夏は『未成年だから酒は飲めない』とか言っといて、今年はインターンで潰す気なの?」

「実家が太いお前と違って、俺は努力しないといけないんだよ」


 道林は親が経営者で、卒業したら親の会社に就職するらしい。

 社長の子供だとバレないようにするそうだが、できるだろうか。


 そんな道林は、目を細めて俺を見る。


「新はさ、成功したいと思ってるわけ?」

「ちょっと違う。俺は壁を乗り越える努力をしているだけだ」

「やれやれ」


 道林は呆れたように首を振る。


「まぁ、新がそうしたいならそれでいいけどさ」

「じゃあ、皮肉を言うなよ」

「皮肉に聞こえるのに問題があるんじゃないの?」


 道林の少し怒気を含めた声に驚いて、言われた内容を咀嚼するのに少し手間取った。

 したいなら良い。

 その言葉に皮肉を感じるのは何故か。

 何か考えようとする前に、道林は手を振って去っていった。


「なんなんだよ」


 その言葉は、道林に向けていったのか、自分に向けていったのか、分からなかった。


◆◆◆


「お前は乗り越えてきた子供なんだから」


 そんなことを父に言われてきた。

 ノストルダムスの大予言で一九九九年を最後に世界が終わりを迎えようとしていた頃。俺を妊娠していた母が産気づいた。

 俺は逆子だったそうで、長時間の奮闘の末、俺は誕生したそうだ。


「ご出産おめでとうございます。あと、新年あけましておめでとうございます」


 なんて看護婦に祝われたのだと父はよく言っている。


 それから、親戚には何かと「乗り越えた子供」としてありがたがられる。

 俺としてはさっぱり自覚がなかったのだけれど、どうやらそういう役割を与えられたらしいことは幼心に分かった。

 「頑張って」と応援するだけで元気になっていくのは見ていて楽しかった。


 しかし、学校に通うようになると、その乗り越えてきたという意味が重くなってゆく。


「成績が悪いじゃないか。努力しないと」

「運動が苦手なのは仕方ない。でもお前ならきっと大丈夫」

「友達と喧嘩したのか。でも、きっと仲直りできるよ」

「彼女の一つも作らないのか。やる前から諦めたらダメだぞ」

「お前は乗り越えてきた子供なんだから」


 そんなことを父に言われてきた。

 乗り越えなければならない。

 だって、そういう風に生まれたのだから。

 そう思って、学校の勉強も、体育の授業も、二度の受験も乗り越えてきた。


「さすが、乗り越えてきた子供だ」


 そんな風に、父は大いに喜んだ。


◆◆◆


 道林の言葉のせいで、そんなことを思い出して、ろくに集中できなかった。

 なんとか参考となりそうな資料の該当部分だけコピーを取って、家路につく。

 家で、資料を分類ごとにまとめている内に晩飯時になる。

 母と、既に仕事から帰っていた父と食卓を囲み、昼間の話を聞いてみる。


「今日さ、友達と今年の夏をどう過ごすのかって話をしててさ」

「ふーん、お前はどうするの?」

「……インターンとかは考えてるけど」

「さすがだな」

「そしたら、その友達に『遊ばないの?』って聞かれてさ」

「あー、いいんだよ、そういうのは聞かなくて。お前の向上を邪魔することなんて、気にしなければいい」

「それで、最後にさ、『新がしたいことをすれば良い』って言われたんだよ」

笑っちゃうよな、と続けようとしたら、

「そりゃ、そうだろ。お前がしたいことをすればいいのは間違いない」

「……え」


 間抜けな声が出たと思う。

 だって、驚いたのだ。

 父親からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。


「ん? そうだろ。俺はお前のしたいことをすればいいと思ってるぞ。それとも、したくないことをしたいのか?」

「そういうわけじゃ、ないけど」

「なら、そうだろうよ」


 父はそれからも色々と話を続けていた。

 だが、あまり内容を覚えていない。

 適当に相槌を打って、食事を終えたら部屋に戻った。

 部屋に戻り、自分の机に座った。

 レポートの前準備をしなければならない。


 そう思ってペンを握った。

 直後、何かが割れる音がした。


 ペンは二つに折れていた。


 破片が指に刺さるが、知ったことではない。

 ドロドロと、粘り気のある感情が沸々と湧いてくる。


 あんたが俺を縛ったんだ。あんたが俺の生き方を決めてきたんだ。

 乗り越える壁を常に与えて、それを乗り越えることを常に期待されてきたんだ。

 それを、『俺のしたいようにすればいいと思っている』?

 俺の意志を認めていると本気で思えている?

 そんなこと、あってたまるか。

 俺を『乗り越える』存在だと定義してきたのはあんただ。

 それなのに、『お前がやりたいと思ってたからやったんだろう?』と言うのか。

 俺の生き方を縛ってきた、その自負もなく吐き出された言葉を思い返す。


 叫び声を上げないよう我慢するので精一杯だった。


◆◆◆


「新、どうしたのさ最近。ろくに授業も出てないっぽいじゃん」

「道林か。別に、大した理由はないよ」


 大学構内のベンチで寝ていると、道林から声をかけられた。

 気づかわし気な視線が、妙に神経を逆なでする。


 寝返りを打って、道林から視線を外す。


「そんなんじゃ、就職活動に支障が出るかもよ」

「別に。構わない」

「……ふーん」


 素っ気なく返事をすると、含みを持たせた声を出される。

 顔を見たい衝動に駆られるが、我慢する。


 振り返ったら負ける気がした。


「じゃあ、新、暇なんだね?」

「暇だけど……」

「じゃあ、うちで酒を飲もう」

「なんでそうなる」

「ちょうど飲みたい気分だったんだよね」

「いや、でも、お前、それは、駄目だろ」

「なんで? 授業に出ないんだから、一緒じゃん」

「いや、若い男女が密室に二人になるのはマズいだろ」

「キモいこと言ってないで、行くよ。私の気はそんなに長くないんだよ」


 抵抗するも空しく、あれよあれよという間に道林の家に連行された。

 

「はい、じゃあ、これ飲んで」

「これつまみにしていいよ」

「空にしてないじゃん、ペース遅いよ」

「はい、次はこれ飲もう。いいじゃん、私も飲んでるんだから」


 そんな感じであれよあれよという間に俺は酔いつぶれ、父との会話について洗いざらい吐き出すことになった。

 道林は酒を飲みながら俺の話を黙って聞いていた。


 俺が話し終えると、道林はしばらく唸って。


「んで、新はどうしたいの?」

「わからない」

「お父さんに復讐したいのか、しなくてもいいのか」

「わからない」

「煮え切らないねぇ」

「お前は、何のために俺を呼んだんだ」


 道林は俺の言葉に、キョトンとした顔をして、それからニンマリと笑みを浮かべた。


「特に決めてなかったんだけど、今の目的はスカウトだね」

「今の俺に何ができるって言うんだ」

「私と結婚できる」

「……はあ?」


 何を言ってるんだ、コイツは。

 冷ややかな視線を送るが、道林は微動だにしない。


「本気で言ってるのか?」

「ほら、私の名前じゃ、お父さんの子供ってばれちゃうじゃない? 結婚したら合法的に名字を変えられるじゃん」

「でも、お前、それは、簡単に決めていいことじゃ、ないだろ」

「わざわざ新と密室に二人きりになってるんだし、簡単と思われるのは心外かな」


 道林の言葉を受けて、思わず黙る。

 酒に酔ってるのかと思って表情を窺うが、いたって素面に見える。

 いつの間にか笑みを引っ込めて、真剣な表情でこちらを見ている。


 社長の娘である道林と結婚すれば、その会社に入ることになるだろう。

 父の呪縛から逃げられるのかもしれない。

 最低でも、父の思い描いていたルートからは逃げられるかもしれない。


 その手を掴むのが俺にとって最善なのだと思った。


◆◆◆


 それから2ケ月後。

 俺と道林は海に来ていた。


「うーん、人がいないね!」

「まぁ、人が来ないところを選んだからね」


 道林に海に行こうと誘ったら二つ返事で了承してくれた。


しかし、

「明日にでも行こう! レンタカー借りて、私が運転するからさ!」

というのが実に道林らしい。


「お父さん、大丈夫そうだった?」

「いや、不機嫌そうだったよ」

「あはは。真面目だったはずの息子が、就職活動もしないで遊んでるのは嫌だよねぇ」


 ひとしきり笑った後、道林がからかうような顔をする。


「でも、私を振っておいて、私を海に誘うのは不真面目すぎるんじゃない?」


 痛いところを突かれる。

 結局、俺は道林の誘いには乗らなかった。


「ここでお前の誘いに乗ってしまったら、俺は今までと変われない気がする」


 そんな言葉を返した。

 多分、道林の誘いに乗れば、俺は心底楽になったのだと思う。

 でも、それでは父の意志を汲んで動いていた自分から、道林の意志を汲んで動く自分に変わるだけな気がした。

だから、道林との誘いは断った。


「申し訳ないと思う。思うが……」

「思うが?」

「俺はお前と海に行きたかったんだ」


 そう言うと、一瞬呆けてから、道林は照れくさそうに笑った。

 就職活動のことなんて今は何もしていない。

 無計画で、やや不安になる気持ちもある。


 それでも、今この瞬間を楽しむことが、今の俺にとって一番大事なことのような。


 そんな気がした。

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