第56話 最終話

「あれ、今日も地震か?」


 帰宅すると棚の本がいくつか倒れていた。体感では物が倒れるような地震があった記憶はない。昨日も棚の小物が床に落ちていて不思議に思った。もしかしてネズミでもいるんだろうか。でもキッチンの食品には変化はない。ほんの少し気味悪く思ったけれど、寝る頃にはすでに忘れていた。

 ガタガタと何かが動く音に目を覚ました。今度こそ地震かと焦ったけれど体は揺れていない。寝起きのはっきりしない頭で辺りを見回すと何故か棚だけが揺れていた。

 なに、なんで揺れてんの? 心霊現象? でも生まれてこのかた霊感はゼロだぞ。忙しなく瞬きを繰り返すとふと時計が目に入った。まだ朝の五時前だ。もしかして寝ぼけているのか、と一瞬思ったけれど揺れは明らかに気の所為とかいうレベルを超えている。とりあえずこれはどう考えても近所迷惑だ。とにかく止めないと。

 起き上がって恐る恐る棚に近づく。


『ねえ、また留守なの?』


懐かしい声と言語に心臓が止まるかと思った。だってこの声は。


「イ、イオリス?」

『あ、コウキ。やっと出た』


また部屋に声が響いたかと思うと、棚の揺れがぴたりと止まった。振動と、声の出どころはもしかして。黒い巾着を手に取って魔法陣に顔を近づける。


『出るのが遅いよ、〇×△□…』

「ちょ、ちょっと待って。早くて聞き取れない。ゆっくり話して」


オルファニアム王国の言葉を学んでいたのはもう随分前だ。日本に帰ってからノートに書き溜めていたが、もうそのノートも長い事開いていない。


『わかる言葉で話してくれる?』

「あ、ごめん。じゃないや、えっと」


混乱しすぎて日本語で返事をしてしまった。イオリスの冷静を通り越して冷ややかな声に少しだけ落ち着く。


『おまえ、イオリス、だよな? これ、なに、どういうこと?』


片言だが致し方ない。ようやく思い出した向こうの言葉で疑問を投げる。


『コウキのとこ今朝だよね? 君さ、今日暇?』

『え、うん。休みだけど』


今日は土曜日。俺の仕事はカレンダー通りだから今日明日は休みだ。


『そ、ちょうどよかった。それならいいね』

『いいね、って何が』


と、訊き返した時には遅かった。

 辺りが暗くなるような一瞬のめまいの後、目の前に広がったのはイオリスの部屋だった。平衡感覚を失った体がぺたりと床に座り込む。指に触れたのは赤み掛かった白い糸で繊細な刺繍が施された黒い布。魔法陣だ。


『久しぶり、コウキ。はい、これ』


俺に目線を合わせるように屈みこんだイオリスが掌を差し出す。その上にはカラフルな糸で編まれた輪っか。翻訳の腕輪だ。受け取って左手に嵌める。これで質問が出来る。


「なにこれ、どういうこと?」


今だ事態が飲み込めず、座り込んだままイオリスに問う。イオリスは相変わらず女性のように綺麗な顔で微笑んでいる。それはもう盛大に悪戯が成功した顔で。


「以前君を呼んだ時と送り返した時で、だいたい世界をつなぐ古の魔法陣の術式は理解したから、今回は現代の魔術を合わせて改良版を作ったんだ。一度に使う魔力の大幅な節約と繰り返し使える耐久性を併せ持ち、なおかつ三割ほど小型化に成功しました」


突然電化製品のセールスみたいな話をはじめたイオリスに目が点になる。そんな俺の反応もどこ吹く風、イオリスの話は続く。


「コウキに渡した巾着の魔法陣はピンポイントで君のところに入口を繋ぐ座標だ。それに光、闇、火、水、風の魔力を込めた魔石はこの世界の要素であり、巾着の魔法陣の動力だ。で、ここからが一番重要で、何度も魔法陣を使いまわすためには世界を移動するための魔力消費を出来るだけ抑える必要があった。

 そのため君とこの世界の親和性を高めるために、巾着の黒い布と魔法陣の布に、君の髪の毛を練りこんである。でも君には魔力が無いからそれだけだと心許ない。だから髪の毛という共通の素材でそれなりの魔力を有するラディの髪を魔糸に練りこんだ。外見的にラディの方が僕たちより君に近しい人種っぽいしね。魔法陣の糸がうっすら赤み掛かっているのはそのためだよ」

「髪の毛って……なんだその呪いのアイテム感」

「いいでしょ。爪とか目玉とか使ったわけでなし。本来捨てるはずだった髪を有効活用しただけ。ちゃんと加工してるからそんなに早く傷んだり腐ったりしないよ」

「いや、そうだけど、そうじゃなくて」


おい待て落ち着け。勢いで突っかかってみたが今の話の要点は髪の毛じゃない。冷静になれ、俺。

 ええとつまりこれからは何度もこっちと向こうを行き来できるってことでいいのか? みんなに会えるのはそりゃ嬉しいけど、でも前回あんな今生の別れみたいな挨拶しておきながら今更? そもそもイオリスは俺に巾着を渡してたんだから、俺が帰る前からこの魔法陣の構想はあったんだよな。じゃあなんで黙ってたんだよって、イオリスの事だから面白そうだからに決まっている。


「あ、そうそう、君の世界の携帯電話を参考に、巾着の魔法陣に通信機能の他にバイブ機能をつけておいたんだけどどうだった? 上手くいった?」

「やっぱりあれお前の所為か。振動がデカすぎる! ポルターガイストかと思ったわ!」

「え、ポルターガイストって何? それどんな状態?」


わくわくした顔でイオリスに質問を返される。拾って欲しいのはそこじゃない。相変わらずすぎるイオリスにがっくりと項垂れる。なんかもう立ち上がる気力も無い。

 その時、大きな音とともに部屋の扉が開いた。呼吸が止まり、肩が跳ねる。


「イオ、大丈夫か!?」


 扉の向こうから姿を見せたのはエルだ。警戒するように剣の柄に手を添えている。エルは部屋の中央でへたりこんでいる俺と、その前にしゃがんでいるイオリスに気付き、一瞬の沈黙の後固まった。それにしてもいつだか見たような光景だな。


「あ、やっと来た。緊急呼び出ししたのに遅いよ」

「これでも全速力で来た……ではなく」


金縛りが解けたエルが脱力して答える。そうしてゆっくりと俺たちに近づいてきた。


「あー、っとエル。久しぶり」


どんな顔をすればいいのか解らずヘラッと笑う。エルはまさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。


「本物、ですか?」

「うん、一応」

「どうして」


ですよね~、思うよね? どうしてこうなったのかは俺が一番知りたいです。俺の前に座り込んだままのイオリスがエルを見上げる。


「なあに、嬉しくないの、エル?」

「……それは嬉しいが」


おいイオリス。強引に言わせんな。気を遣われただろうが。


「とりあえず落ち着きましょうか。起きられますか、コウキ?」


エルが右手を差し出した。その手を取ろうとして見上げると、ふいと視線が逸らされた。そのまま手がひっこめられる。ええええ、何、酷い! その手の冗談(だよな?)をエルにされるとは思わなくて地味に傷つく。


「イオ、何か羽織るものは?」

「ああ、寝室の椅子の上に膝掛けがあるよ」


短い会話の後、エルが隣室に向かった。その背を見送ってイオリスが俺を見る。


「わーコウキ、色っぽーい」


 そのまま棒読みの台詞が続いた。何その微塵も色気を感じてない言い方。改めて自分の姿を顧みる。

……そうだよ、俺、今五百円で買ったTシャツだ。普段はMサイズだけど、安くなってたLサイズを買ったら予想以上にぶかぶかだった上に襟ぐりが広くてすぐに首元がずり下がる。そりゃ安くなりますよね! 寝巻着用だから、袋入りでサイズ感わかんないけどワンコインだからいいや、と思ったんだよ。それにしても大きかったけど。おまけに下は穿き古したスウェットだ。ウエストのゴムが緩んでいて見事にずり落ちている。俺の名誉のために言うけれど、これはあくまで寝間着でこの格好で人前に出る予定はないんだよ。宅配便とか来たらパーカー羽織るくらいの配慮はするよ。

 つまりエルは、俺が見るに堪えないほどだらしがない格好だから羽織るものを取りに行ったの? なにそれ傷つく。繰り返すが、俺はこの姿で外に出る気は毛頭無かった!


「お前が、早朝に寝てるとこ無理やり連れてきたせいじゃねーか!」


腹が立ってイオリスに噛みつく。そう今日は土曜日。寝たのは深夜の一時過ぎだぞ。俺は八時ごろまでゆっくり寝るはずだったんだ。早朝に叩き起こされたと思うとさらに苛立ちが募る。


「だって君、普通の時間に呼び出しても返事ないからさ。ちょうどエルが君んとこの時計持ってたから、早朝なら家にいるかと思って」

「俺だって昼間は仕事だよ!」


ここ最近の棚の物が動く事件もお前の所為か。微妙に気持ち悪い思いをした俺の繊細な心を返せ。

 その時肩からふわりと布が掛けられた。いつの間にかエルが戻ってきている。


「どうぞ」


差し出された右手を掴むと今度はちゃんと起こしてくれた。思いのほか強く引っぱり上げられてバランスを崩した、と、思った時にはエルの腕の中にいた。


え、えええええ?


「エ、エル?」


混乱した頭で呼びかけると、エルは少し抱きしめる力を緩めてくれた。でもそのまま額へと唇を落とされる。俺の世界では額へのキスは友情の証……らしいけれど。ここでは?


「わーコウキったら真っ赤ー」


ヒューと口笛が聞こえる。お前貴族のくせにそのひやかし方はどうなんだ。キッと睨みつけると、イオリスはこれまでで一番楽しそうに笑った。


「僕たちは気に入ったものは手放さないんだ。覚悟しといてよね」


そして華麗に人差し指の投げキッスを貰ってしまった。美人は何やっても様になるな畜生。

 まだまだテンパッているし、思考は纏まらないし、さらには寝不足だし、もうこれからのことは後で考えよう、そうしよう。どうやらみんなにまた会えるらしい現実を素直に喜ぶことにして、俺はエルの背に手を回してぎゅっと抱きしめた。





***


最後までお読み頂き本当にありがとうございました。

また、レビューや応援をしてくださった方、ありがとうございました。日々の活力と創作の励みになりました。


少しだけ宣伝です。

・「賢者はいつもお腹が痛い」の本編に出ない設定や小ネタを「近況ノート」にアップしました。

・次は現代ファンタジーの妖怪物を連載予定です。こちらもお付き合い頂ければ幸いです。


それでは、ここを読んで下さる貴方に幸せが降り積もりますように!


2020/10/26

藤名

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