第5話

 大軍勢を率いて、皇帝は娘のもとに向かっていた。魔女となってしまった娘のもとへ。


 皇帝は思う。

 娘は、リュウナは己の光であったと。

 側室の子であったが、あの子は純粋に懐いてくれた。幼い頃に母親が病死してしまったことも関係しているのかもしれないが。

 それでも、帝位継承の事ばかり考え、媚びばかり売ってくる他の子供たちよりは愛せた。

 あの子の笑顔を見ると、不思議と自分も笑顔になれた。

 超大国の王としての重責から、ほんの一時でも解放された。

 だから、その恩返しがしたくて、リュウナには出来る限りの愛情を注いだつもりだ。

 裏切りと謀略、政治と戦争。それしか知らなかったけど。それでも、リュウナと共に過ごしたかったから必死だった。

 あの子が求めたものは少なかったけど、求められたものは全てを与えた。

 帝位継承順位を一位にしたりもした。

 これくらいしか与えられるものがなかったから。

 リュウナに嫌われたくなかった。

 皇帝でなくてもいいから、リュウナの父でありたかった。

 それだけで幸せで。

 だから、それさえあればよかったのに。

 それなのに‥‥‥。


 あの日。リュウナの誕生日。

 リュウナは、愛しい娘は皇帝の下を去った。

 皇帝の娘のうちの一人。その手によって。

 龍の背に乗り、リュウナは消え去った。

 あの後、娘が去ったこと。それを起こした原因たる己の軽挙な行いを深く後悔した。

 ただ喜んで欲しかった。その想いで、望みもしなかったであろう帝位継承権を与えたことを。

 ほんの一時の見栄だけのために。


 だから。『勇者』を名乗る者が現れてリュウナの居場所を告げた時は、天啓としか思えなかった。娘を取り戻せと神が告げているとしか。

 対価として依頼された魔女討伐。その対象である魔女がリュウナであることには驚いたが、そんなものリュウナに会ってから、勇者の率いる『教会』の魔女討伐部隊を壊滅させれば良い。その程度、精鋭である我が帝国軍であれば容易であり、それはいつでも実行できる。


 そうして、リュウナを取り戻して穏やかに余生を過ごす。

 ――――――――――そのつもりだった。あのを見るまでは。


 己に向かうは、五万六千の大軍勢。

 それを遥か上空。龍の背から天堕としの魔女は、それを悠然と眺めていた。

「帝国も終わりか?」

 一言の呟き。

 それに込められるは、悲しみであり、憐れみでもある。

『KUUUUUU?』

 その想いを感じたのか、龍が心配そうに鳴く。

 その優しさが、なんとも言えないほど温かく、嬉しかった。

「大丈夫だよ。

 帝国は、私が救うから」

 魔女は淡く微笑んだ。

 そのリュウナの手にあるのは、一本の小瓶。

 その中には、鮮やかな蒼の液体がなみなみと入っている。

 それは‥‥‥。


 世を照らす光が、西の空に沈んだ。

 その時、雲ひとつない青白い月光の下。

 魔女討伐軍の上空にソレはいた。


 後に、一人の兵は言う。

「アレは、人間なんかじゃなかった。

 昔の優しい姫様とは似ても似つかないバケモノだった」

 その声には、長い年月の経っても色褪せない恐怖が滲んでいた。


 大軍が青白く照らされている。

 太古より夜とは魔女の時間と言われている。

 それ故、魔女討伐の五万六千の大軍はいつも以上に警戒をしていた。

 索敵のしやすいよう山と山の間の僅かな平野に陣を構えて。

 しかし、魔女に人間の常識は通用しない。


 突然、大軍が闇に沈んだ。

 それは、世界を照らす青白い月が消え去ったかのような暗闇。

 今宵は雲ひとつない。

 だから、月が雲に隠れるなどということはあり得ないのだ。

 それを認識して討伐軍のあちこちから困惑と微かな恐怖の声がする。


 そして、幾人かの兵が何事かと天を見上げ、絶望した。

 そこにあるのは一頭の龍、そのシルエット。

 だが、いくら龍が巨大な生き物と言えど、五万六千もの大軍勢を覆い隠すほどの影を広げることなどできるはずがない。

 だから、兵たちの絶望は龍によってではかった。

 その絶望の源は、見渡す限りの天を覆う漆黒の魔術構成。

 一筋の月光さえも漏れないほど緻密に組まれたそれには、ただの人にもわかる程の膨大な魔力が込められている。

 これならば、天でさえも堕とせるだろう。

 そう思わせるほどの構成。


 それほどのものを保ちながら、リュウナは混乱に陥った討伐軍を龍の背より見下ろしていた。

「早く、引かせなきゃ‥‥‥ねっ」

 その呟きを残してリュウナは、夜空に身を躍らせる。

 そうして、音もなく軍勢の前へと降り立つ。

 その右手には一振りの杖。魔力の込められたそれこそが、リュウナの得物である。

 そして、左手には蒼い液体が入った小瓶を持っている。

「リュウナ‥‥‥」

「「「「姫様‥‥‥」」」」

 父と帝国兵たちのすがるような声。

 どうか皆の知るリュウナであってくれ。という思いを感じる。

 だが、リュウナはその想いに応えることが出来ない。


 それでは、帝国の者たちが魔女と関わりを持ってしまうから。

 魔女たる己は他者と関わることの出来ない災厄であるから。

 魔女と成ったリュウナは、かつての同胞たちに告げる。かつての彼女を感じさせない凍てついた声で。

「去れ。帝国と『教会』の者たちよ。

 私は魔女。天堕としの魔女、リュウナである」

 帝国の者に語りかけるその声には悲しみが滲んでいる。

「みんな。ごめんなさい。

 父上も、わざわざ此処までありがとうございました。

 此処からは、魔女として一人生きていきます」

『教会』に対するそれには、哀れみがある。

「『教会』の者たちよ。

 引きなさい。貴方達が何を考えて魔女討伐に向かうのか。それは、分からないけれど、もう魔女私たちに関わるのはやめないさい。

 魔女とは生きる災厄。人間が関わって良いものではないのよ」

 一通り話して。それから、軍勢の者たち。その顔を見て「はぁ」ため息。どうやら、納得してはくれないようだ。

「……ならば、この天堕としの魔女が、貴様らに魔女を教えてやる」

 そして、左手の小瓶を示す。

 栓を取り、中の蒼い液体、その一滴を大地にこぼす。

「「「「……!!! 

 と、溶けたっ!?」」」」

 そう。兵たちが言ったように大地に液体が触れた瞬間。

 その地が、音を立てて溶け始めたのだ。

「これは、大地さえも侵す猛毒よ。

 さて、力には代償がいるだろう?」

 ニヤリ、魔女はそう言って不敵な笑みを浮かべる。

 それは、かつてのリュウナであれば決して浮かべなかったであろう魔女の笑み。

 帝国軍は悟る。あれはもう、優しかった姫ではないのだと。

『教会』の兵は恐れる。あれは、人間の関わってよいものではないと。


 そして、リュウナはその笑みを浮かべたまま。

 ‥‥‥小瓶の猛毒を一思いに飲み干した。

「「「「「‥‥‥なっ!?!?」」」」」

 大軍が、困惑に陥る。

 だが、リュウナはそこに立っている。

「‥‥‥ガッ‥‥‥‥‥‥」

 血反吐が溢れる。辺りは鮮血に染められる。

「リ、リュウナ。どうして‥‥‥。

 何故っ、何故その様なものを飲んだのだッ!!!!」

 衝撃に顔を青くした皇帝にリュウナが狂気の答えを返す。狂った笑みを浮かべながら。

 口の端から零れる鮮血を拭いながら。

「何故?何故か。ですか、皇帝陛下。

 私は先程言いましたが、力には代償がいるですよ?」

 そう。それが強大であったら、それ相応に。

 リュウナの払った代償は痛み。人類の知らぬほどの激痛。

 果てなき苦痛。

 延々と続いたその果てで。

 そして、リュウナは力を得た。


 あまりの苦痛。それ故か閉じられていたリュウナの瞳がゆっくりと開かれる。

 そこにあるのは、魔女の瞳。

 この世の全てを憎み、長き時を孤独に生きる者の瞳である。

 魔女になった原因でもある毒を自ら飲み、そこまでしてでも力を得る。

 その行為を見て皇帝は悟りたくなかった事実を悟った。

 もう。愛娘のリュウナはいないのだと。

 ただそこには、愛娘の姿形をした魔女がいるだけであるということを。


 全軍に絶望が覆い被さる。

 それもそうというものだろう。

 連れ帰ろうとしていたかつての姫が、人間ではなく魔女というバケモノであったのだから。

 そして。

 討伐を目的とし、それが容易だと思われていた魔女が、想定を遥かに超えた力を秘めていたのだから。


「最後よ。

 全軍、去りなさい。そして、もう二度と魔女に関わらないように。私のことを他の者に話さないように暮らしなさい。

 ‥‥‥そう。天ごと消されたくないのであれば、ね」

 絶望に墜ちた人々に対するそれが最終通告だった。

 氷の如く凍てついた声に、皇帝は心の中で愛娘に別れを告げる。

「撤退するッ! 全軍、引き返すぞ。総員、反転。

 撤退ッ!!!!」

 皇帝が撤退を告げ、帝国軍五万は帝都へ駆け戻ってゆく。

 常勝不敗で恐れられた帝国軍のそれが、初めての敗北であった。


『教会』のアルフェバルは、撤退の一言を言えないでいた。

 魔女を殺すための『教会』。それが、魔女を見逃してよいはずがないから。だが、六千の魔女討伐部隊などでは、あの魔女に対し全く歯の立たないことは分かりきっている。

「ひ、引くぞ。魔女討伐部隊ッ! て、‥‥‥撤退だ」

 恥を忍びながら、アルフェバルは翻し、リュウナから離れていく。それに続く六千の兵たち。


 そのすべてを、再び上った龍の背よりリュウナは見る。

「さようなら、父上。

 帝国に永劫の繁栄があることを祈って」

 もう二度と関わることのないだろう祖国を想った。

 これで良い。これで良いのだ。

 魔女とは関わるものではない。このままでは、魔女に与する国家として帝国は早晩、滅ぼされただろう。

 帝国はこれで当分安泰であろう。すべては、リュウナの孤独と引き換えにして。


「KUUUUUU?」

 龍の気遣う声。

 大丈夫か?

 そう問うているのだろう。

「大丈夫だよ。心配してくれて、ありがとうね」

 龍の首元をさすりながらリュウナは思う。

 流石に無茶をしたな、と。

 痛みを代償に力を得る?

 そんなことがあるわけがないだろう。

 その程度で力が手に入るのであれば、この世界などとうの昔に滅んでいるだろう。

 あの毒を飲んだところで、リュウナの力が増えることはない。

 ただ、苦痛なだけだ。

 でも。

 そうすることで、あの軍勢に魔女の狂気を伝えることが出来た。

 そのことがなければ、間違いなく戦いとなっていただろう。

 人類に魔女の狂気を伝えて自ら引かせる。そのことが結果としては帝国のためになるのだから。


 祖国を守る。そのためならば。 

 どれほどの苦痛にさらされようとも。


 それでも魔女は毒を飲む。


 

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それでも魔女は毒を飲む 世界呪の魔女外伝 千羽 一鷹 @senba14

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