猫と海辺とサイコロと

四葉陸

第1話

 冷たい地面に座り込み、一人黄昏たそがれる。制服のスカートが汚れるのは気にしない。そうして目を瞑れば、聞こえるのはゆったりとした波の音だけだ。


 ――学校からの帰り道、最近の私はいつもこの海辺にやってくる。


 別にここを通るのが近道という訳でもないし、家に帰るのが嫌なわけでもない。


 この自分しかいない夕方の海を見ることで、私は色々なことを飲み込んで、諦めているのかもしれない。


 ただ、海とは言っても絵によく描かれるようなどこまでも広がる砂浜や、先の見えない水平線は無い。


 不意に、遠くからさっきまでなかった電車の駆動音が聞こえてきた。その電車の向かう先と私が見ている先は、おそらく同じ場所なのだろう。


 線路の伸びる先、海に浮かぶ大きな陸地――本州には、私のいる島とは比べものにもならない程の灯りがともっていた。


 *


 海に浮かんだ、さして大きくもない島……それが私の故郷で、これからも過ごすんだと小さい頃は思っていた場所だ。


 明確な特産は無く、かといって観光客が来る訳でもなし、大人はもちろん、島唯一の中学校にも大した活気なんてものはない。


 皮肉なことに、私が生まれる少し前……島と本州を繋ぐ線路ができるまでは、この島にも毎年それなりの観光客が来ていたらしい。


 そんな訳で、一部の大人達――特に老人は今でも線路を嫌っていて、本州に行く時にもかたくなに電車に乗ろうとせず、船を使っている。


 私のように毎週電車に乗って遊びに行く子供達にはただのバカにしか見えない。

 けれど、それを言っても景観がどうとか海の美しさがどうとか言われるだけなので、島の子供達はそういう大人とは話さないことを決めている。


 *


 ……こうやって、海を見ながら色々考えていると、色々なことが思い出される。当時は嫌だった思い出も、今となっては忘れがたいものになっているものだ。


 ——私の第一志望だった高校。そこからの合格通知が来たのは、ちょうど一月前のことだった。


 そして、私がこの島を離れるまで、今日であと一週間も無かった。


 島の同世代の誰とも違う遠く離れた志望校は、私がずっと行きたかったところだった。何かとは言わないけれど、私には夢があるのだ。


 もちろん合格は嬉しい。夢に向かっているという実感は、何物にも替え難いものだ。


 けれど、それはそれとして島での生活を失うことも、向こうでの生活も、私にとっては想像し難いものだった。


 本州や、もっと別の島に行ったこともある。

 なんならこれから住むことになる親戚の家にも何度か行ったことがあるけれど、それはあくまで旅行でのこと、本当の意味で島を出たことは、一度だってない。


 そんな二つの感情の板挟みになった自分をどうにかするために、私はこの海でじっとしていたのだ。


 島の海の中でも本州に面した側は線路のこともあり、漁師を含め人がいることは稀だ。


 だからここで黄昏たそがれている私の姿を見られることもほとんど無い……と、思っていたんだけど。


「ニャー」

「ひゃい!」


 突然後ろから声がして、思わず変な反応をしてしまった。少し顔が熱くなってくる。


 急いで後ろを振り返ると、そこにいたのは一匹の灰色猫だった。

 右側に白い斑点のあるその猫は、ふてぶてしく私を見つめていたが、すぐにそっぽを向いてしまった。


「ニャー」


 見るからに野良であろう。私の視線なんて意にも返さず、さっきまでの私のように海を見つめる猫。そんなコイツの姿を見て、なんだか無性に腹が立ってきた。


 恥ずかしい反応をさせられたこともそうだが、今まで自分一人のものだと思っていたこの海辺に入ってきたことに、縄張り意識のようなものを感じている。


 どうしてやろうかと鞄やポケットを漁っていると、偶然一つのサイコロが猫の元へ落ちていった。学校の行事で使ったまま、持ってきてしまったのだろうか。


 猫は落ちたサイコロに近づき、前足で転がして遊び始めた。


 私の中のイタズラする気も失せて、その楽しそうな猫をしばらく眺めていると、突然猫がサイコロを口にくわえ。


「ちょ……!」


 ――もしかしたら飲み込むのではないか。


 そんな私の不安は、結局杞憂きゆうに終わることになる。


 猫はペッと、私の方に向かってサイコロを吐き出した。地面を二回転したサイコロは、そのまま六の目を出して止まった。


 猫がサイコロを振るという見たことも聞いたこともない光景に呆気にとられている私を横目に、猫は再びサイコロをくわえ、町の方へ消えていった。


 *


 翌日、私が島を出るまであと五日となった。ここ数日は、学校の友達とも何を話せばいいかわからなくなってきていた。


 今日も学校から遠回りして海に向かう。


 しかし、私だけの場所だと思っていたそこに、昨日と同じ猫がいた。


 猫は海の方ではなく私の方を向いていた。さっさと来いと言わんばかりのコイツの顔を見ると、ため息が出てくる。


 それでも、私は猫の隣に鞄を置いてから座り、海の――その先にある大きな大きな"島"に目を向けた。


 隣の猫はなにかしているようで、視界の端でチョロチョロと動いている。

 気になって見てみると、猫は昨日のサイコロをまた前足で転がして遊んでいた。


 ……まだ持ってたんだ。


 そう思ったが、別に取り返す気も起きず、再び私は海の方を向き、すぐそこまで来た別れの日に思いをせていた。


 猫もサイコロをどこかに隠して、私と一緒に海を見ていた。

 コイツが何を考えているのかはわからないけれど、自分以外の存在と過ごすこの静かな時間が、私は少し気に入っている様だった。


 やがて日も沈みだし、海もそれによってオレンジ色に染まりだした。

 私が置いていた鞄を手に取り、家に帰ろうとしたとき、猫の鳴き声が聞こえた。


 音の方に首を向けると、猫は昨日と同じようにサイコロをくわえ、吐き出した。

 出た目は五。それを猫も私も確認すると、また猫はサイコロを咥え、町に消えていった。


 *


 ――それから少し日が経ち、私が島から出る、その前日になった。


 私は毎日海に行き、猫と一緒に海を眺めた。

 猫は毎日サイコロを持ってきていた。おそらく野良であろうあの猫が、毎日どこにサイコロを仕舞っているのかはわからないけれど、とにかくここ数日は毎日隣にあの猫がいた。


 しかし、今日はあの猫はいなかった。私が海に来たときには、地面に一の目のサイコロがあるだけだった。


 そのまま夕方まで待っても、猫が現れることは無かった。

 私はサイコロをポケットに仕舞い、帰路についた。


 どうやら私は、気づかない間に随分ずいぶんあの猫のことが気に入っていたようだった。


 *


 そして来る最終日、私がこの島を出るために使うのは、老人たちの忌み嫌う電車ではなく、船だった。私が着く前から、船着き場には数人の友達がいた。

 全員が同じ高校に進学するという彼らは、何人かは笑顔で、また何人かは泣き顔で、私のことを見送ってくれていた。


 惜しむ気持ちとキャリーバックを引きずりながら、船に乗りこむ。

 やがて、けたたましい音を立てながら船が揺れだし、動き出す。私は、島の友達が見えなくなるまで手を振っていた。


「……ふぅ」


 泣いても笑っても、これで終わり。この島での生活は、少なくとも三年はない。友達たちも、私のいない高校で、彼らの思い出を作っていくのだ。


 ――そう思うと不意に顔に熱を感じる。ほおに涙がつたってくる。


 もうこんなことで泣いていてはいけない。私はこれから全く知らない異郷の町で過ごすのだから。


 急いでハンカチを取り出そうとして、ポケットの中のものを落としてしまう。


 その瞬間。聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。


「ニャー」


 ――涙でぼやけた視界の中で、落ちたサイコロと、私を見つめる猫だけが、やけにはっきり見えた。


 *


「……ふぅ。よかったね、許可が降りて」

「ニャー」


 私がこれから住むことになる親戚の家にはすでにペットがたくさんいるらしく、私が急に猫を連れてきても、驚きこそすれ拒絶はしなかった。


 私に与えられた部屋。決して広くは無いけれど、これからはここが私の城なのだ。

 早速猫は窓際に移動して、外の景色を眺めていた。私もつられて除いてみても、見えるのは家だけだった。


 ……そういえば、コイツの名前を着けなければならない。いつまでも"猫"や"コイツ"ではさすがにダメだろう。


「うーん」


 しばらく考える。というのも、一つの名前しか頭に浮かんで来ないのだ。

 果たしてそのまま安直あんちょくに名付けてもいいのだろうか。


「まあ、いいか」


 私は一人納得し、手招きしながら名前を呼ぶ。


「おーい、こっちおいで」

「ニャー」


 海の見える町を出て、海の見えない町へ来た。けれどもう寂しくはない。私には、私だけの「ウミ」があるのだから。

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