溶けるスマホ
夏木
溶けるスマホ
「また、スマホなんかいじって! いつになったら課題やるの!?」
太陽が輝く2020年の夏の昼。
春からずっと学校が休みで、たまりに溜まった課題が山積みになっているのがバレた。
一応秋から学校が再開する。もちろん課題の提出はその時になる。
残り3週間ぐらい休みがあるから、その間にやれば問題ない。
でだから俺は、課題にまだ手を付けていない。
「そのうちやるってー。今忙しいのー」
「また、そんなこと言って! いつもやらないじゃない!」
「もう少ししたらやるから」
「もう! お母さん、知らないからね!」
母さんは、俺の部屋から出て行った。
母さんに怒られるほど、俺がスマホで何やってるかっていうと、基本的にはゲームだ。
自分の分身であるアバターを作ってプレイするゲーム。やればやるほど強くなるから、なかなかやめられない。
外出自粛期間ということもあって、ゲーム内にはオンラインになっているユーザーがわんさかいる。
この人たちと一緒に戦いに行って、ドロップする貴重なアイテムをとって、また強くなって……ゲームには終わりが見えない。
ピロン。
ゲームで何かしらのメッセージを受け取ったときの音が鳴る。
『一緒にレアドロップ狙って行きませんか?』
メッセージを送ってきたのは、可愛い見た目、装備の女の子だった。
名前は「ちょこ」。名前の通りに、チョコレートのような色の髪をしている。
ネカマの可能性もあるが、こんな可愛い子に誘われて断る理由はない。
『もちろん。行きましょうか』
二つ返事で誘いに乗り、ダンジョンへ。
女の子は初心者のようであったが、その分俺のレベルが高いから問題ない。
現れる敵をバンバンとなぎ倒して、奥へと進む。
『本当にお強いのですね。惚れちゃいそうです』
ゲームの中とは言え、そう言われると嬉しい。可愛い子に言われればなおさら。
思わず鼻の下が伸びる。現実世界でのこの子は、どんな人なのだろうかと考えてしまう。
『よかったら明日もまた、一緒にやりませんか?』
小さなハートが付きそうなメッセージ。俺はすぐに了承する。
『よかった! 明日のお昼に、お待ちしてますね!』
明日のゲームの予定が立った。
★
「まぁ!? ずっとゲームしてるじゃない! あんた、課題ちっともやってないでしょう!? 信じられないわ!」
顔を上げて窓の外を見ると、すっかり暗くなっていた。
様子を見に来たのか、それとも夕食のために呼びに来たのか、急に部屋にやって来た母さんに、数時間前から姿勢を変えずに同じことをし続けているのが見つかってしまった。
「そうやっていつまでもスマホいじってるっていうのなら、お母さんにも秘密の策があるから覚悟しなさい」
一体何をやるっていうんだか。
俺は母さんの言うことを聞き流していたことを後で後悔することになる。
★
翌朝。いや、正確には朝という時間ではないが。
いつも通りに遅く起きて、いつも通りにスマホでゲームをしようとしたときだった。
「……つべたっ!? ん?」
寝ぼけた頭のまま、枕元で充電していたスマホを手に取ったとき、いつもと違う感触があった。
スマホの無機質な感触――ではなく、氷のように冷たい。
その冷たさのせいで、寝ぼけていた頭が一気に覚醒する。
違和感に疑問を抱きながら、伸ばした手を目の前へ戻す。
そしてよく見ればスマホに触れた手が、濡れていた。
「んん? んんんんん?」
頭に続いて、体も起きる。
そして充電してあるスマホを見ると、おかしなことに溶けていた。
昨日までとは違い、サイズが一回り小さくなっている。そして、スマホを置いていたベッドには、大きな染みが広がっているではないか。
慌てて俺は、スマホを充電器から抜き取り、冷たいのをこらえて階段を駆け下りる。
そしてキッチンへ向かい、冷凍庫の中へスマホを急いで入れた。
「随分起きるのが遅かったわね」
慌てる俺をよそに、家計簿をつけている母さんがリビングにいた。
片手に電卓を用意して、パチパチと計算をしている。そして、頭を使うからか糖分補給用のお菓子が置いてあった。
「母さん! 俺のスマホが! 溶けた!!」
さっきの出来事をそのまま伝える。
スマホが解けるというありえない現実を、俺は受け止められなかった。
でも、母さんはまるで知っていたかのように、俺の言葉を聞き流す。
「あ、そう」
いくら学校が休みとはいえ、スマホが溶けるなんていうことが起きないってことは知っている。
ものすごい高温にすれば、金属でも溶ける。でも、普通の部屋に置いておいて溶けるなんてありえない。氷じゃないんだから。
「母さんが溶けるようにしたのよ。課題をやらないで、ずっとスマホをやっているんだもの。そんなにやり続けようとするなら、使えないようにしちゃおうって」
空いた口がふさがらなかった。
これが昨日言っていた、母さんの秘策だとでもいうのか。現代の法則を無視した秘策。
スマホを使おうとすれば、持っただけででも体温で溶ける。
体温だけではない。寝ている間にも溶けていたのだから、部屋の気温でも溶けるのだろう。
ということは、体温や気温よりも低い温度に凝固点がある。
もし、スマホを氷のような物質に変えられたと仮定するのなら、温度を低くするか、圧力を下げれば固体に変化するはず。
……いや、待て。圧力を上げるんだっけか? 化学の本に書いてあった図を見返さないとわからない……。
ええい、そもそも圧力を変えるなんて無理だ。密閉した容器とか使って圧力を変えたとしても、スマホに触れないのだから無意味だ。山の上とか圧力が少ないところでスマホを使うにも、そこまで移動するのにスマホが溶ける。ということは、圧力について考えるだけ無駄だ。
なら、温度が低いところでスマホを使うしかない、か?
「あらやだ、もうこんな時間。お母さん、おつかいに行ってくるから、しっかり課題をやっておきなさいよ」
俺が久しぶりに今まで学んだ内容を思い出している間に、母さんは時計を見るなり、そそくさと出かけて行った。
残った俺は、いかにしてスマホゲームをするかを考え始めた。
★
「ただいまー」
玄関から声がする。やばい、母さんが帰ってきてしまった。
「ふぅ、重かったわ。今日はチョコが安かったからついつい買っちゃった。溶ける前にしまって、お昼の準備しないと、ね……?」
買ってきた食材を冷蔵庫へしまう。そのために冷蔵庫の扉を開けたとき、俺は母さんと目があった。
「あんた……なにしてんのよ」
溶けるスマホを使うために俺が考えた方法は、「冷蔵庫の中でスマホを使う」だった。
でも流石に冷凍庫の中には入れるスペースがない。それに後から脱出することも考えて、引き出しになっている冷凍庫より、扉になっている冷蔵庫の一番上のところに俺が入った。
棚を全て取り外し、中に入っていたものは一番下の野菜室へしまってスペースを確保。
念のために、冷凍庫から氷と保冷材を移動させて、体を小さく丸めて冷蔵庫にこもっていたところを母さんに見つかった。
「何って……スマホゲー?」
本当は母さんが帰って来る前に、脱出する予定だった。
そうしないとめちゃくちゃ怒られるからだ。
でも今、見られてしまった以上、現行犯。もう、どうすることもできない。
引きつった顔で、スマホのプレイ画面を母さんに見せる。
「えっと……母さん?」
母さんが何も言わず、冷蔵庫の中に入るという行動を怒らないことが、気味が悪い。
フリーズした俺を置いておいて、母さんはどこからか自分のスマホを取り出し、何やら操作している。
ピロン。
ゲーム内でメッセージを受信した。
『こんにちは。来てくれてありがとうございます』
昨日のあの子からだった。
ぺこりと頭を下げて、行動自体がかわいらしい。
ピロン。
俺が何かを送る前に、再びメッセージが送られる。
『でも』
何を言おうとしているのか。
俺はそのメッセージの続きを待つ。
ピロン。
『冷蔵庫に入るのはどうかと思いますけどね』
メッセージを見てすぐに、顔を上げた。
すると、母さんが不気味な笑みを浮かべているではないか。
そんな不気味な母さんは俺に、自分のスマホを見せてきた。
そこに表示されているのは、まぎれもない俺のアバターと、俺と遣り取りしたメッセージの一覧だった。
昨日ゲーム内で一緒に行動し、今日のお昼にまた一緒にやろうと約束したあの可愛いアバターの「ちょこ」。それは実の母であることが、今ここでわかった。
「あ」
驚きのあまり、俺の手からスマホが落ちる。
スマホはひどい音を立てて、床にぶつかり、砕けた。
「ゲームのやりすぎには注意しないとダメよね」
スマホだけじゃない。俺の心も砕け散ったのだった。
fin
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