5.獣

 少年は、真っ黒な靄で包まれた顔をこちらに向けていた。

 この間見た夢よりも、少年の背は低いように感じられた。

「絶対うまくいくから、もう一回やってみようぜ」

 ケルディンの肩に優しく手を置いて、彼は言う。

「うん」

 ケルディンは、目を閉じる。右手を前に突き出すと、小さな火球が生み出される。それは、数メートル飛んだ後、空気に溶けるようにして消えた。

 ケルディンは俯く。涙が零れ落ちる。

しかし、これは夢だ。悔しく思ったところで、自分の意思ではなにもできなくて、もどかしく感じられる。


目元をごしごしと擦って顔を上げると、向こうからマリーが歩いてくるのが見えた。ケルディンは、彼女に向かって手を上げようとして、やめた。隣にいる少年も同じように、彼女に手を振るのをやめてしまう。彼女の目元が真っ赤に晴れていたからだ。

マリーは、二人に向かって、困ったように微笑んだ。


「また、虐められたの?」

 石畳の階段に腰かけたケルディンは、横のマリーに問いかける。

 マリーは何も答えなかった。

 ただ、黙って唇をかみしめ、時折目元をこする。擦りすぎた目元は、近くで見ると痛々しさを感じるほど真っ赤に晴れていた。


 日は沈み始めていて、夕日が真っ赤に光っていた。でも、ケルディンは、それをちっともきれいだとは思わなかった。

「やり返せばいいじゃん。マリーは誰よりも強いんだからさあ」

 上から少年の声がする。彼は、近くの家の外壁の上に腰かけていた。落ちてしまわないか、ケルディンは心配になる。

「そんなことしたら、またバケモノって言われるよ」

 ケルディンも彼も、何も言わなかった。

 そして、二人でそっと目配せをする。

 ケルディンは思い出した。傷ついた彼女のために、アレを探しに行ったのだ。記憶の中では一人で行ったはずだったが、本当は彼と二人で行ったのかもしれない。


 マリーが鼻をすする音が聞こえる。音が、光が徐々に薄れていく。

 バケモノ、涙声でマリーが言った言葉が胸の奥に残っていた。


 目を覚ますと、ウィル以外はすでに起きたのか、姿を消していた。

 焚き火のほうへ行くと、先に起きていた面々が、すでに消えてしまった火を囲んで座っていた。

 挨拶を交わしてその輪に加わる。

レベッカはウィルがまだ起きていないのを察して、彼のほうへ向かおうとする。それをザックが引き止め、代わりに彼を起こしに向かう。その様子を眺めていると、ミオンが紅茶を注いだマグカップを渡してくれた。

 

 ザックが寝起きで不機嫌そうなウィルを連れて戻ってくると、防衛兵の二人を中心として、簡単な打ち合わせが行われた。

「支度をしたらすぐに、ミヘラに向かって出発する。昼までには着くだろう。何か質問はあるか」

 サロメは確認するように皆の顔を見回す。誰も質問がないことを確認したところで、ショーンが口を開いた。


「昨日は遠足気分だっただろうが、今日は獣人種が目撃された地域に入る。死にたくなかったら気を緩めるな。一応言っておくが俺はお前らのお守りじゃない。足手まといだと感じたら、即座に切り捨てる。いいな」

 ケルディンは思わず生唾を飲み込んだ。わかってはいたことだが、実際に危険が目の前に迫っていると自覚すると、恐怖心と緊張感が一気に高まる。それはほかの生徒たちも同じだったようだ。皆、顔を強張らせてしまう。レベッカに至っては、怖さをごまかすためか、後輩であるミオンの袖をつかんでいる。お互いの狼狽が、恐怖感を募らせる。

「まあ、あまり緊張しすぎないようにな。おい、あんまり怖がらせるようなこと言うなよ」

 サロメがショーンの肩を軽く小突く。ショーンはそれを無視して、馬車のほうへ歩いていく。サロメが小さくため息をつく。その音でレベッカはビクリと肩を震わせた。


 馬車で移動を始めてからも、皆の緊張は解けなかった。特にレベッカとミオンの緊張がひどい。

「大丈夫なの、これ?」

 サロメがケルディンに耳打ちする。ケルディンも今の状況に内心焦っていた。しかし、レベッカの性格を考えれば仕方がないようにも思えるし、ミオンもまだ学園に入ったばかりの一年生だ。こんな状況になるとは思ってもみなかっただろう。


調査が始まるまでに何とかしなければならない、とケルディンが考えていた矢先、その時は突然やってきた。

「掴まれ!」

 突如ショーンが大声を上げる。それと同時に、馬車は急停止した。間に合わずに、衝撃を受けて前につんのめる。ケルディンが顔を上げた時には、サロメが馬車から飛び出していた。御者台の上には、既にショーンの姿はない。

「敵だ!早くしろ!」

 サロメが怒号を飛ばす。


剣を持って馬車から飛び出したケルディンが見たのは、腰を低くし、唸る、人間に似た一体の獣だった。皮膚は至極色の体毛に覆われ、口からは人間のものとは異なる鋭い歯がのぞいている。爪も鋭く発達している。眼球は赤く、ところどころ充血している。しかし、不気味なことに、耳の位置や体形、何より二足で立つその様は人間そのものだった。王国が彼らを獣人種と呼称するのにも納得できる。


一定の距離をとったまま、ケルディンは獣人種とにらみ合いを続ける。正直、彼らがどのような行動をとるのか。移動中に、防衛兵の二人からある程度聞いてはいたが、実際に見てみないとわからなかった。

ケルディン達は動けないでいたが、防衛兵の二人の動きは速かった。挟み撃ちをするように左右から魔法を放つ。左から氷、右からは炎が獣に襲い掛かり、攻撃にひるんだ獣人の横腹をショーンが切りつける。致命傷になったらしく、獣人はその場に倒れ、動かなくなる。どす黒い血液が地面に広がって血だまりを作る。

 ショーンが血の付いた剣を拭いながらこちらを向く。

「ぼんやりしてるんじゃねえ。まだ終わりじゃねえぞ」


 ガサリと草木を踏みしめる音がする。どこからくるんだ。そう思った瞬間、ケルディンの左の茂みから、獣人が飛び出してくる。さっき二人が倒した個体より、体が大きい。大きく右手を振って、その鋭い爪でケルディンを仕留めようとする。

ケルディンは咄嗟に後ろに飛びのいて躱す。勢いよく地面に殴り掛かる形となった獣人だったが、着いた右手を支点として、回し蹴りを放つ。常軌を逸した身体能力であったが、その攻撃方法は獣よりも人間に近いように思えた。

「吹き飛べっ!」

回し蹴りをすれすれで躱したケルディンは瞬時に魔法を放つ。至近距離で炸裂した火球はケルディンもろともあたりを吹き飛ばした。

ケルディンは自分に魔法の才能がないことを初めて幸運に思った。マリーほどの実力があれば、今の自傷前提の攻撃は致命傷になっていただろう。

 

吹き飛んだ獣人に向けて、サロメの氷魔法が襲い掛かる。的確に四肢を狙った攻撃によって地面に張り付けにされた魔獣は、ショーンに剣でとどめを刺されて絶命する。

 それ以上、獣人は襲ってこなかった。辺りは何もなかったかのように静寂に包まれる。しかし、今の数分の出来事が現実であることを、目の前に転がる獣人の死体が物語っていた。


 肩で息をしながら、ケルディンは立ち上がる。

 サロメが慌てて駆け寄ってくる。

「無茶するなあ。あんな距離で魔法を放つなんて」

 サロメが肩を貸してくれる。彼の好意に甘えて、身体を預ける。鍛えているのだろう、サロメはケルディンが体重をかけても顔色一つ変えず受け入れる。

「まあ、いい判断だ。あのまま引き裂かれるよりは、自分の魔法でぶっ飛んだほうがましだな。さてと……」

 ショーンはこちらに向かってくる。しかし、その目はケルディンを見ていない。彼の目は、ケルディンの後方、馬車のほうを睨みつける。

「今回は幸運だったな、腰抜けのガキども。次は死ぬぞ」

 ケルディンは振り向く。馬車の中、一歩たりとも動けなかったケルディン以外の四人が、呆然と立ち尽くしていた。

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魔獣戦線 @peace6flower

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