おっさんの俺に憑いて来られても困るんだが。

しろめしめじ

第1話 

「ところで、茂利さん、お盆は帰省するの?」

 上司で、課長の伊達玖瑠実が銀縁眼鏡越しに俺を見上げた。ショートヘアーで、顔も体もそれこそ胡桃の様に真ん丸だが、あくまでも俺の心の中だけの呟きに押しとどめておく。今年四十八歳になる俺より五歳年上のはずだが、張りのある肌は歳を感じさせず、実年齢より遥かに若々しく見える。

「コロナが完璧に終息するまでは帰って来るなって妻に言われちゃって。アパートでインターネットやりながらごろごろしています。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、まだ油断できませんから」

 俺はそう答えると、伊達に目を通してもらった書類を受け取った。

「お盆休みも一人で生活かあ。ちょっと寂しくない? 」 

 伊達は立て肘で両手を組むと、眉をひそめて俺に語り掛けた。

「いやあ、かえって気楽でいいですよ。好きな事して自由に過ごせますし」

「それでも、アパートに閉じこもりっぱなしってのも良くないわよ。たまには外に出てみたら? この辺りは森林公園なんかもあるし。いい気分転換になるわよ」

「そうですね。考えてみます」

 俺は一礼すると、課長席を後にした。いくら上司にそう言われても、俺は今のライフスタイルを変える気にはなれなかった。今は一時的に小康状態を保っているが、ワクチンと完璧な治療薬が完成されない限り、これから来るかもしれない次の流行を危惧して備えておかなければ、取り返しのつかないことになる。

 と言いながらも、お盆休みの初日、俺はとある森林公園を訪れていた。あの日、伊達がわざわざ俺におすすめの公園情報をメールしてきたのだ。流石にここまで気を遣ってもらって何もしないって訳にはいかない。そこは大人の事情ということで、遠過ぎず近過ぎずの場所を選んで出かけたのだった。

 濃厚な木々の新緑が目に優しい。夏の強い日差しも、密集した枝葉のフィルターで透過されると、柔らかな木漏れ日となって、程よく身体に降り注いでいた。久し振りに浴びる木々の生命エネルギーは、俺に心地良い安らぎを与えてくれた。

 いい場所を紹介してもらった。課長には感謝しなければ。

 仕事の関係で、ここ――栃木県の真岡市に単身赴任してきて四カ月、コロナウイルス感染防止対策で取られた外出自粛の為、何処にも出かけていなかった。それ故、どこにどんな観光地があるのか全くわからなかったから、これだけ自然の姿をいかしたまま整備された公園があるのには驚きだった。これなら、課長が紹介してくれた公園を片っ端から制覇するのも悪くない。俺も元々はアウトドア派で、以前はパワースポット巡りや里山登山など精力的に駆けずり回っていたのだ。言うまでもなく、コロナウイルスが俺の生活パターンを百八十度変えてしまっていた。

 二時間程ゆっくりと公園を散策した後、俺は車に舞い戻った。シルバーのリッターカー。中古車だが、機動力とコストパフォーマンスに優れた頼もしい相棒だ。

 ロックを解除し、車に乗り込む。むっとする熱気が俺を包み込むはずが、何故が鳥肌が立つ位の悪寒が背筋を駆け抜けた。

 妙な違和感。ふと助手席を見ると、白いワンピース姿の長い黒髪の若い女性が、憂いに満ちた悲しげな表情で俺を見つめている。

「わっ! ごめんなさいっ! 車、間違え――」

 てないよな。確かにロック解除して乗ったんだし。それに、さっきまで助手席には誰も乗ってなかったよな。それとも単に俺の勘違いか?

 バクバクと激しく脈打つ心臓の拍動を顔中で感じながら、助手席の隣人をガン見する。透けてる。シートがうっすらと透けて見える。

「何だ、幽霊かよ」

 俺は安堵の吐息をついた。どうせなら服が透けて見えてくれた方が良かったんだが、それはそれで問題だ。

「えーっ! 何でえ? 何で安心するの? 普通、驚くでしょっ!」

 彼女は青白い顔を真っ赤にすると、口を尖らかせて俺に激しく噛み付いた。

「いや、間違えて人の車に乗っちゃったと思ってさ。後から彼氏とか来たら大変な事になっちまうだろ?」

「幽霊ならいいの? 普通の人なら怖がるじゃん」

「幽霊よりも生身の人間の方が怖いよ。それも生霊ってやつ。ネットの動画配信で、有名な霊能力者がそう言ってた」

 神妙な面持ちで語る俺を、彼女は呆れかえった表情で見つめていた。

「信じられない。少しは怖がってよ。昼間から出てきた甲斐が無いじゃない」

「すまん」

 不満げにぶうたれる彼女に、俺は両手を合わせて謝罪した。

「手を合掌しても成仏しませんから」

 彼女は腕組みをすると、ぷいっと横を向いた。俺としてはそういう意味で手を合わせたわけじゃないんだが、気に障ったのか、急に不機嫌になってしまった。

「珍しいな、俺に話しかけてくる幽霊なんて」

 俺はさりげなく話題を変えると、まじまじと彼女を見つめた。

「どういう意味? それ。あなた、普段から幽霊見たりしている訳? 」

「うん。普通に見えてるよ。生きている人と変わらない感じで。何故か俺とが合うとみんなそそくさと避けるようにして消えちまうんだ」

「そりゃあ、あれだね。あなたを守ってるお方が超強いから」

「え、見えるの? 俺、霊は見えるんだけど、何故か守護霊は見えないんだ」

 そうなのだ。昔から霊感はある方で、彼女に説明した通り、ごく普通に見えてしまう。但し自分の背後で守ってくださっている方については、存在そのものは感じるもの何故か御姿は見えないのだ。ただ、彼女の説明で、通りすがりの霊達が何故目線を逸らして立ち去っていく理由は漸く分かったような気がする。守護霊様に感謝。

「でも君は何故逃げない?」

「うーん何故だろう。あなたの守護霊様は厳しい目で私を見ているけど、立ち去れとは言っていないし」

 それが立ち去れって事じゃないのかよって思ったりしたが、まあいい。

「ところで君、何故ここにいるの?」

「殺されたの。ここの公園で」

 彼女は寂しそうにぽつりと呟いた。

「殺された? 誰に? 」

「分からない。背後から、ガンッて硬いもので後頭部を殴られたから」

 彼女は、ぽつりぽつりいきさつを語り始めた。彼女の名前は小木夏希。当時、二十歳の大学生だった。所属する旅行サークルの同級生から告白され、戸惑いながら気持ちの整理をつけようと、去年の夏、一人でここを訪れて事件に巻き込まれたらしい。スマホのでネット検索すると、あったよ。間違いなく彼女はここで殺されている。着衣に乱れが無く、通り魔と怨恨の両方で捜査が進められたが、有力な手掛かりはなく、犯人は未だ捕まっていない。彼女の話をひとしきり聞いた後、俺は自分の名を告げ、ここに来た訳を話した。

「これから、どうするの?」

「いつまでもここに居たくないし、そろそろ成仏したいんだけど、どうしたらいいか分からなくて」

「小木さん、何かしたいことある?」

「パワースポット巡りがしたい。この近くの所でいいから。パワーもらえれば、成仏できるかも」

「OK! 」

 俺は車のアクセルを踏み込んだ。途中、着替えを取りにアパートへ寄ったが、その後はナビに従い、パワースポットを片っ端から巡って行く。宿泊は宿がどこも満室で、仕方なくラブホ。彼女にベッドを譲ろうとしたら、空中に漂って寝るからいいとのことだった。近隣の神社仏閣名勝を次々に回り、とうとう筑波山までやって来た。ここは山自体が御神体で、とんでもないレベルのスピリチュアルなエネルギーに満ちている。山頂まではケーブルカーやロープウェイで行けるのだが、彼女の希望に従って登山道を進むことにした。

「やっと着いたー!」

 額の汗をぬぐいながら、天を仰ぐ。夏希はと言えば、流石幽霊だけあって、汗一つかかずに涼しい顔で佇んでいる。

 ちょうどケーブルカーが到着したのか、山頂の駅から大勢の観光客が姿を現した。帰りはあちらを利用したいところだが、あくまでも彼女次第だ。

「ちょっと休憩しよう。まだこれから歩いて回らなきゃ――」

 俺は夏希に話し掛けた。が、彼女は無言のまま、じっと前を見据えていた。彼女の眼前には、若い男女の姿があった。歳は夏希と同じ位。女性はショートヘアーに白地のロゴ入りカットソーにアイボリーのミニスカート。男の方は黒いカットソーに濃紺のデニムのパンツ姿。二人は俺達の前で立ち竦んだまま、微動だにしない。

「・・・夏希?」

 女性の方が、震える声で夏希の名前を呼ぶと、ぼろぼろと涙を流し始めた。

 夏希の知り合い、てより彼女、夏希の姿が見えている? 彼女だけでなく、彼氏らしい男の方も同様らしく、その証拠に驚きの表情で夏希を見つめている。   「ごめんなさい、私・・・」

 女性が、嗚咽を上げながら絞り出すようなか細い声で呟いた。

「もういいの、全部許す。あなたもずっと苦しんでたみたいだし。だから、パワースポットに来たんでしょ? 元はと言えば、私がはっきりしなかったからいけないんだし。私の分も幸せになってね」

 夏希は満面に柔らかな微笑みを浮かべながら、彼女に優しく語り掛けた。女性は両手で顔を覆うとその場に泣き崩れた。

「小木さん、まさか彼女が?」

 俺は声を押し殺しながら夏希に囁いた。が、彼女はそれに答えず、微笑みを浮かべたまま天空を仰いだ。

「茂利さん、エンジェルナンバーって知ってますか?」

「エンジェルナンバー?、ああ、聞いたことがある。数字には色々と意味が込められているって」

「2020って、我慢の末に夢が現実になるって意味があるらしいです。その為には、過去にとらわれずに、前向きに考えないと駄目なんですって。茂利さんの車のナンバー、2020ですよね? 」

「あ、そういやそうだ」

「だから、茂利さんの車に乗ったんです」

 夏希はは晴れやかな笑みを浮かべた。

「そろそろ、成仏しようかな」

「行けそうか」

「はい。色々と有難うございました」

「元気でな」

「幽霊に元気でなはないでしょっ!」

 夏希は苦笑を浮かべると、一陣の風とともに空へと消えた。その時、一瞬だけど見えた。俺に幾重にも巻き付く龍神と傍らで夏希に手を振る美しいお姫様の姿が。

       



 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おっさんの俺に憑いて来られても困るんだが。 しろめしめじ @shiromeshimeji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ