第21話 桃花源の東(2)

「わっはは!ボン、やめろ、座れ!今日は何も持ってきとらん……うはは、顔を舐めるなくすぐったい!ボン、いい加減にしなさい!はははは!」

 黒い髪に猫のような目、目立つ白い服によく通る声。そこに居たのは、つい先程まで話題にしていた、姜子牙その人である。

 その姜子牙が、なぜか入口前の広場で座り込んで哮天犬にじゃれつかれている。ただし哮天犬の体格がとても大きい為、襲われているようにも見える。

 その光景に雲中子は呆気に取られ──二郎真君は目を丸くして驚く中、姜子牙は二人に気付くと哮天犬を宥めながらゆっくり起き上がる。軽く体をはたくと、犬の白い毛がいくつか宙を舞った。姜子牙は実に綺麗な拱手をしながら、

「雲中子は久しぶり、顕聖殿におかれましては初にお目にかかります。私は姜子牙、先日はご承認ありがとうございました。いかんせん修行中の身で未熟ではありますが、府庁所属の末端として恥じぬ行動を心掛けますゆえ、今後ともどうぞよろしくお願い致します。それと不躾ではありますが、服についた犬の毛が凄いので粘着テープ的なものを貸していただければ」

「あ、ああ、うちの犬が失礼しました。手入れはしているのですが、換毛期なもので」

「貸さなくていいからネ?」

 懐に手を入れようとする二郎真君を止め、雲中子が一歩前へ出る。

「聡いキミの事だから、ボク達が言いたい事は分かっているだろうけど。まずは敢えて聞こう、何の用だ?」

「何って、貴方に用事だよ雲中子。本館に問い合わせたら不在だと言うから、こうしてはるばるやってきた次第だ。ご助力を願いたい」

「……もう一度聞く。何の用だ?」

 姜子牙はやれやれと、少し困ったように眉を寄せた。そして改めて姿勢を正し、

「我が師より、妖獣保護センターの東──赤東野(せきとうや)の調査を急ぎ命じられた。師の八卦によると、不穏の兆しありとのこと。あの場所には鬼(キ)や妖獣が少なからず跋扈している為、雲中子殿の知識を腕を是非ともお借りしたい。というか雲中子と共に調査せよとのお達しだ」

「その師とは?ボクを動かすだけの権限がある存在なのかい?」

「誠に申し訳ないが、師は少々謙虚で内向的な御方でね。そう遠くない内にご挨拶に伺えればいいのだが。そうだろう?顕聖殿?」

 二人の視線が二郎真君に集まる。二郎真君は少しばかり黙り、雲中子へ視線を向ける。

「……彼の言う事が真実なら、従った方が良いです」

「それは、……」

 雲中子は何か言いかけて、悔しげに口を閉ざす。

 顕聖二郎真君は、組織図だけでは仙界府庁のトップだ。しかし、仙道の歴──ルーツは秦王朝まで遡りはすれど、それ以上の歴史を持つ神仙はこの桃源郷には少なくない。かくいう雲中子も、府庁の立ち位置はは二郎真君の一つ下程度だが、商(殷)王朝から仙道である故に、キャリアも実力も二郎真君以上だ。

 しかし、その彼が敢えて雲中子に従うよう提言しているという事は、即ち、

「……わかった。ただし、条件がある」

 雲中子はあっさりと、しかし渋々と言ったように肩を落とした。

「陽が落ちる前には必ず撤収する。単純に夜は危険だからだ。尸解仙には尚更。よって、日暮れ前でもキミが身を守れないと判断したら撤収。オッケー?」

 姜子牙は笑みを絶やさずに再度深々と拱手で返答した。

「寛大さとお心遣いに感謝いたします」

「ハァ……。一度施設へ戻るからネ。準備と連絡をしなくちゃ」

 雲中子は大きくため息を溢しながら歩き、姜子牙の横を通り過ぎたところで立ち止まる。袖の中から乗り物として使う葉を探しているようだ。

 姜子牙は二郎真君に一礼して雲中子の元へ向かおうとしたところ、

「姜子牙殿」

 呼び止められて、足を止める。

「ひとつ、伺いたい。……なぜ、貴方がその名前を知っているのです?」

 姜子牙は答えなかった。代わりに、すぐ横で尻尾を振る哮天犬の頭をくしゃくしゃに撫で、

「ボンよ、またおいで」

 そう言い残し、雲中子が用意した葉の乗り物に飛び乗ったのであった。

 雲中子らが飛び去り、一人残った二郎真君は小さくなる影をしばらく見送ると、哮天犬と共に二人とは異なる方角へ向かうのだった。

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桃源郷で今日、なにする? 寺田りょたろ @ryotarone

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