エピローグ こうして魔王は永遠に封印されました(2)

 執務室を出たあと、私とアンリはそのまま別れることになった。

 ゆっくり――と言ってもアンリには王子の職務があるし、私は私でアデライトの侍女という仕事がある。


 アデライトは現在、家庭教師の下で行儀作法の勉強中だ。

 だけど、なにがきっかけで暴走するかわからないのが彼女である。

 フロランス様に呼ばれたからと抜けてきたけれど、あまり目を離してはいられない。

 急いで戻って、彼女の無事――というより、彼女の周りの人たちの無事を確かめたかった。


「では、私はここで失礼します、アンリ様」

「ああ、忙しいところ悪かった。それじゃあ――」


「『それじゃあ』じゃないわ!!」


 手を振って別れる直前。誰かがぬっと割り込んでくる。

 誰であるかは、もはや言うまでもない。


「せっかく二人になったのに、どうしてあっさり別れるのよ! これから二人であっち行ったりこっち行ったりするところでしょう!?」

「アデライト様、今は勉強のお時間ではなかったんですか!?」


 突然現れたアデライトに、私の顔が渋くなる。

 こうなると、彼女の周りの人たちは無事ではないだろう。逃げたアデライトを追って、それこそあちこち探し回っているはずだ。


「勉強なんていいの! それよりこっちの方が大事よ!」


 ふんす! と鼻で息を吐き、アデライトはこぶしを握り締める。

 どう考えても勉強から抜け出す口実にしか思えず、私はますます顔を渋くした。

 これはお説教が必要だと、口を開きかけ――。


「だって、世界の一大事だもの! 魔王の脅威は、まだ去っていないのよ!!」


 その言葉に、耳を傾けてしまったのが失敗だった。


 〇


「……で、やっぱりこうなるんですね」


 王宮にある、古い塔の中の一室。

 例によって閉じ込められた私は、窓から王宮を見下ろした。


 眼下には、王宮の中庭が広がっている。

 春爛漫の中庭は色とりどりの花が咲き乱れ、風に揺れる姿は見事だ。

 こんな状況でもなければ、上から見下ろす景色も楽しめたかもしれない。


 しかし、こんな状況だ。

 いつも通り私と一緒に閉じ込められたアンリが、扉が開かないことを確かめて、首を横に振る。


「駄目みたいだ。……あいつ、本当に変わらないな」

「悪意を持っていらっしゃるわけじゃないんですけどね……」


 ため息を落とし、私は去り際に聞いたアデライトの言葉を思い出す。

『夕飯までには鍵を開けるから!』と言い、走り去る手前。

 彼女が叫んだ言葉は、間違いなく『世界の一大事』に関わることだった。


『魔王がお兄様ってことは、いつかお兄様が天寿を全うされるとき、また魔王の心が出てきちゃうでしょう? そうしたら、また魔王が復活するかもしれないでしょう!?』


 耳に残る言葉に、私は考えるように目を閉じる。

 それはたしかに、盲点だった。というよりも、無意識に考えないようにしていた気がする。

 どれほどアンリが耐え続けても、その最期はどうあっても恐れられてしまう。その事実に気付きたくなかったのだ。


 アンリがそのことに気付けば――きっとどこか遠い場所で、一人で最期を迎えてしまうだろうから。


 ――でも。


 アデライトの言葉には続きがあった。

 実に彼女らしい、明るくて――めちゃくちゃな続きが。


『だから、お兄様の周りの人は幸せにならないといけないのよ! 子供も、孫も、魔王なんて入り込めないくらいみんな幸せにするの!!』


 その手始めに、私を幸せにしようとした結果がこれだ。

 私は呆れ交じりの笑みを吐き出すと、目を開けてアンリに振り返る。


「あいつはいつも、思いがけないことを考えるな」


 視線の先、アンリも同じような表情を浮かべている。

 悩んでいるのさえ馬鹿馬鹿しくなるような彼女への、呆れと――それ以上の親しみを宿す笑みだ。


「怖いもの知らずすぎる。そう上手くいくとも限らないのに」

「でも、私は良い考えだと思いましたよ」


 みんなを幸せにする。

 誰も傷つけず、傷つかない解決方法があるのなら、それが一番いいに決まっている。

 上手くいくとは限らなくたって、私はアデライトの方法を試してみたかった。


「みんなが笑っていて、それで魔王も退治できるんです。そんな方法、私では思いつくこともできませんでした」

「老衰で倒される魔王か」


 アンリは笑うように言うと、窓辺に立つ私に歩み寄る。

 狭い塔の部屋の中、元から距離はそんなに離れていない。

 すぐに隣に来て、彼は私の顔を覗き込んだ。


「君はそれで平気なのか?」

「……アンリ様?」

「俺の中には、たしかに魔王の心があるのに」


 私を見つめる瞳に影が落ちる。

 笑みの中にも、影が潜む。

 底知れなさを覗かせるその表情は、かつてのアンリなら浮かべなかった。


「魔王の酷薄さは消えない。俺は前よりも、間違いなく冷たい思考をしている。人間よりも、きっと魔族に近い」


 静かな風が、部屋のから外に吹き抜ける。

 鮮やかなアンリの金の髪が、風になびいて揺れた。


「堪え続けるつもりだけど、いつか俺は、人間の敵になってしまうかもしれない。……それでも」


 アンリの瞳も揺れている。

 私の頬を、風が撫でる。


 どこか不安定なこの風は――。


「君は、魔王の傍にいてくれるのか?」


 アンリの不安だ。

 いくら言葉を尽くしても、どうしようもなく揺れ続ける、アンリの心そのものだ。


 魔王の心は、感情に引きずられると言っていた。

 怒りや憎しみ、恨み――そんな攻撃的な感情を、だけど抱かずにいることは不可能だ。


 魔王の心に、きっとこの先もアンリは迷い、悩み、苦しむのだろう。

 いつか挫けて、魔王らしく冷酷に人を傷つける日が来るかもしれない。


 だとしても、私の答えは決まっていた。


「傍にいますよ」


 迷いなく言うと、私は揺れるアンリを見つめ返す。


「それで、人間の敵になる前に、止めるんです」


 迷うなとは言えない。私がアンリの苦しみを肩代わりすることはできない。

 でも、きっと手を引くことはできる。

 暗がりに向かいそうになったとき、私は何度だって彼を光の下に連れていく。


「アンリ様がどんなに嫌がったって離れません。ずっと傍にいて、一番に止めてみせます」


 アンリは瞬いた。

 どこか呆けたような彼の表情に、私は笑みを漏らす。

 誰よりも強いのにその無防備な姿は、幼いころの彼の姿と重なって見えた。


「子供のころから、ずっとそうだったでしょう?」


 アンリの魔力の暴発に巻き込まれて、何度痛い目を見ても、彼を止めるのは私の役目だった。

 それは義務感のためでもなければ、自己犠牲の精神によるものでもない。


 ただ、アンリの力になりたかっただけ。

 今も昔も、それだけは変わらない私の本心だった。


「……そうだったな」


 アンリはふっと、力が抜けたように破顔する。

 思わずほっとするような、柔らかい表情でいて――。


「でもね、ミシェル。一つだけ訂正がある」


 同時に、ぎくりとするほどの強さがある。


 睨まれているわけでもないのに、体が強張る。

 呑み込まれたように動けない私に、アンリは構わず手を伸ばした。


「俺も君も、もう子供ではないんだ」


 手のひらが頬に触れる。

 私の顔を包むくらいに大きい。固くて骨ばった、男の人の手だ。


「あ、アンリ様……ええと……」

「『様』はいらない」

「…………アンリ?」


 戸惑いながら言い直す私に、アンリが笑みを向けたのは一瞬だ。

 すぐに、その表情は見えなくなる。


 近づいてくる青い瞳。くすぐったい金の髪の感触。

 柔らかな唇の感触に、私は思わず目を閉じた。


 二人きりの部屋の中。

 窓のから吹き込む春風は穏やかで、暖かな陽光の匂いがした。

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破滅したくない悪役令嬢によって、攻略対象の王子様とくっつけられそうです 赤村咲 @hatarakiari

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