エピローグ こうして魔王は永遠に封印されました(1)

 魔族は撤退し、王都は無事に奪還された。

 グロワール兵の洗脳は解け、父も捕まり、これにて一件落着――。


「――ふ、ふふふ」


 とは、いかなかった。


「ふざけないで! なによこの状況! 政治はめちゃくちゃ、国庫は無駄遣いでボロボロ、それを止めようとした大臣は全員罷免!? この短い間に、よくもこれだけのことができたわね!?」


 王都奪還から数日後。

 今日も今日とて離宮――ではなく、王宮にフロランス様の怒りの声が響く。

 場所は、王宮にある執務室。本来ならば陛下の部屋であるこの場所を、今はフロランス様が陣取って、普段の優雅さも忘れて頭を掻いていた。


「こんな無茶、認められるわけがないわ! 罷免された大臣は全員元の地位に戻しなさい! それからここ数十日で陛下がしたことを洗い出して! 全部見直して立て直すわよ!!」


 フロランス様の命を受け、官吏が執務室を飛び出し、忙しなく駆けていく。

 その様子を廊下で見送り、私とアンリは顔を見合わせた。


「やあ、アンリにミシェル君。姉上に用事かい?」


 慌ただしい部屋の中から顔をのぞかせ、私たちに声をかけたのはコンラート様だ。

 顏には、相変わらず陽気そうな笑顔が浮かんでいる。


「せっかく来てくれたのに悪いが、姉上はずっとあの調子だ。私もソレイユに戻る前の挨拶をしようと思ったんだがね」


 声をかけられずにいるんだ、と笑うコンラート様に、私は瞬いた。


「ソレイユに……戻られるんですか?」


 思わずそう口にしてから、当たり前だと少し遅れて気が付く。

 彼はソレイユの公爵で、このグロワールには客人として来ているのだ。

 陛下の横暴を止め、王都を取り返した以上、彼がグロワールに留まる理由はない。


「いつまでも自分の仕事は放っておけないさ。これでも忙しい身なんだよ」


 コンラート様は肩を竦めると、私を見て苦笑する。

 それから、おもむろに私の頭をわしわしと撫でた。


「そんな顔をしないでくれ、ミシェル君」


 遠慮のない手に、私は身を竦ませた。

 いったいどんな顔をしていたのだろう。私を撫でるコンラート様は、どこか嬉しそうだった。


「私も本心としては、かわいい娘も一緒に連れて行きたいんだ。でも、それはアンリが許してくれそうにないから」


 コンラート様はいたずらっぽくアンリを見て、再び私に視線を戻す。

 私を映し、細められた目は優しい。


 幼いころからずっと、私たちを見守ってくれていた目だ。


「今度は君から訪ねてきてくれ。君にとってはまだ慣れないかもしれないけど――私もレーアも、ずっと君を待っていたから」

「コンラート様……」


 それ以上の言葉は出なかった。

 息を詰まらせる私の頭を、コンラート様はもう一度、先ほどよりも強く撫でる。


「次は『お父様』と呼んでもらわないとな」


 くしゃくしゃに髪を乱すコンラート様の手は、少し痛いくらいだ。

 だけど、振り払いたいとは思わなかった。

 乱れた髪が頬に触れ、くすぐったさに、私は笑うように顔をしかめた。




「それじゃあ、私はこのあたりで。姉上の手も空きそうにないし」


 私同様にアンリももみくちゃにすると、コンラート様は気が済んだように言った。


「もうこれ以上姉上に心配をかけるなよ。――ああ、そうそう」


 そのまま執務室の前から立ち去りかけ、彼はふと足を止める。

 思い出したように振り返り、アンリに向けるのは、にやりとした笑みだ。


「プレゼントは、姉上から受け取っておいてくれ」

「プレゼント?」


 アンリの疑問にコンラート様は答えない。

 再び前を向くと、今度は振り返ることなく、廊下の奥へと消えていく。


 いったいどういう意味だろう――と思う間はなかった。

 コンラート様が去ってすぐ、執務室の中から凛と澄ました声がする。


「いつまでもそんなところに立っていないで、話が終わったなら入っていらっしゃい」


 声の主は、執務室で筆を執り、休みなく資料に目を通すフロランス様だ。

 彼女は顔を上げないままに、言葉を続ける。


「今日、わたくしがあなたたちを呼んだ理由はわかっていますね?」


 そう言うと、フロランス様はようやく顔を上げた。

 視線は私を見て、アンリを見て、そこで止まる。


「グロワールの今後と、魔王について、話をつけておかなければなりません」


 鋭い夜色の瞳に、アンリは無言のまま頷いた。


 〇


 現在のグロワールは、陛下の手によって政情が乱れに乱れていた。

 魔族を招き入れ、兵たちを洗脳し、王宮を混沌に落とした陛下の責任は、いかに王であろうと免れない。

 もはや陛下の命令を聞く者はなく、王都の民も不信感を抱いていた。


「陛下には責任を取って、退位していただかなければなりません」


 人払いをした執務室で、フロランス様は手を止めないままにそう告げた。


「陛下はかなり以前から、フロヴェール卿と手紙のやり取りをしていたようです。卿の甘言に騙され、長らく傀儡にされ続けていました」


 父の名に、私は目を伏せる。

 結局、今回の件はすべて、三年前の父の逆恨みから始まったものだったのだ。


「卿は裁判にかけられ、罰を受けることになるでしょう。そうなれば、三年前の事件も隠すことはできません。あなたたちも無傷ではいられないわ」


 私は罪人の娘として、アンリは罪を隠したとして、制裁を受けることになるだろう。

 怖くはあったが、覚悟はしていた。

 ぎゅっと両手を握りしめる私と、真剣な顔のアンリを見て、フロランス様は静かに頷く。


「他にも、オレリアのことがあります。彼女は曲がりなりにも聖女で、神殿の寵児でした。いかに彼女に問題があろうと、神殿との関係悪化は避けられません。――なにより」


 そう言うと、フロランス様は筆を置く。

 コツン、と小さく響く音を合図に、執務室の空気が張り詰めた気がした。


「魔王のことがあります。今回の襲撃が知れ渡っている以上、すべてを隠したままにはできません」

「承知しています」


 アンリは顔を上げたまま、覚悟を決めた様子でそう言った。

 私は彼の横顔を、祈るような気持ちで見つめる。


 すべてがきれいにまとめられるとは思っていなかった。

 魔王は人々にとっての恐怖の象徴。私がアンリを信じるのと同じように、人々が信じることはできない。

 恐れられ、怯えられ、今度こそ、この国にいられなくなるかもしれないのだ。


「ですから――」


 張り詰めた空気の中、フロランス様は静かに口を開く。

 刺し貫くような、冷たく鋭い目で――。


「一部を隠したままにいたしましょう」


 思いがけないことを言った。

 え、と私とアンリが同時に声を上げる。


「魔族が魔王を追ってきたことは偽れません。ですが、その先まで明かす必要はないでしょう。あなたが魔王の心を受け入れ、真に魔王になったことを知るのは、わたくしとミシェル、それにフロヴェール卿だけです」


 ――たしかに。


 本当の意味で真実を知っているのは、当事者である私たちの他は、報告を受けたフロランス様だけだ。

 婚約披露宴ではアンリが魔王の器であると魔族が話してしまったが、あれもわかっているのは『器』ということだけ。

 あのときのアンリは魔族から狙われる立場だったから――かえって、言い訳がしやすいかもしれない。


「魔王の心とは、すなわち魔王の封印。アンリは魔王に憑かれたのではなく、身をもって魔王を封印した――と。そういう方向で話を持っていきましょう。美談に仕立て上げやすいわ」

「で、ですが母上」


 決定事項のように話すフロランス様を、アンリは慌てて制止した。

 視線は一度、窺うように私を見る。

 垣間見えたその目に浮かぶのは、これまで何度も見てきた罪悪感だ。


「そうしたら、俺はまた嘘を――」

「嘘を吐いて、なにが問題だと言うのですか」


 アンリが言い切るよりも先に、しかしフロランス様はぴしゃりと言った。


「すべてを明かすことがいつも正しいわけではありません。あなたが魔王であると知れたら人間は絶望すると、あなた自身で言ったでしょう?」

「そう……ですが……」

「嘘も沈黙も使い方次第。必要なときに、必要な嘘を見極めなさい。なにを明かし、なにを隠すべきかを知りなさい。そうでなければ、玉座は継げません」

「はい。――――はい?」


 アンリは神妙に頷き、それからすぐに眉をひそめた。


「……玉座?」


 聞き逃しそうなくらいさらりと言われた言葉を、アンリは確かめるように繰り返す。

 フロランス様はその様子に、呆れたように息を吐いた。


「陛下が退位するなら当然でしょう。あなたは勇者である前に、グロワールの王子なのですから」


 あ、と私は口の中で呟く。

 去り際、コンラート様の言っていた『プレゼント』って――。

 もしかして、このことだったのだろうか。


「――もっとも!」


 呆ける私たちの気を引き締めるように、フロランス様は鋭い声を上げた。

 アンリに向ける視線の厳しさに、隣の私まで思わず背筋を伸ばしてしまう。


「今のあなたに玉座は任せられません。嘘一つに戸惑ってどうするのです! しばらくは王子の身分のまま、王としての覚悟を身に付けなさい!」

「は、はい!」

「その間に、このゴタゴタをわたくしが片付けておきます。これも陛下を止められなかった王妃としての責務。あなたの戴冠までには間に合わせましょう!」


 だから――と言って、フロランス様は息を吐く。

 厳しい表情が、その瞬間だけ――たしかに柔らかく変わる。


 いつも険しい目元は穏やかに。

 眉尻はかすかに下向きに。

 頬は緩められ、口元は自然な笑みに。


「だから、しばらくはゆっくり休みなさい。――お疲れ様、アンリ」


 それは優しい、母の顔だった。

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