意志
飛鳥の初めての殺人から三日が経過していた。人を殺したにも拘らず、皆が飛鳥に気を使ってくれた。真実を言う訳にはいかないとはいえ、飛鳥の周りでは女の死はその程度の価値しかなかったのか、と飛鳥は思った。
驚くほどなんでもない、そしてなにも起こらない日常だった。友人の優しさや、両親の心配はあっても、人を殺した罪も罰も飛鳥には与えられなかった。焼け死んだ女の名が
ニュースによると、井上は硝酸をばらまいた挙げ句、ガソリンを被って自殺したらしい。飛鳥の名前は一言たりとも出てこなかった。ドラマでやっていたように、公安の特殊部隊というのはこれほど強力な情報操作ができるものなのか、と飛鳥は奇妙な実感を持っていた。もっとも、飛鳥の異脳で殺したなどという証明は現実的にできなかっただろうが。
(ああ、今日は土曜日…研究所に行く日だったか)
異脳を宿した左目の変色は病気の影響ということになっている。病気の診断書をでっち上げて貰う為には、あの三博士の所に行くしかない。
(あれで一応医者とは信じられないな)
彼らは医学博士であり、ウイルスの研究者であると共に医師免許をも持っていた。前園に頼んで、三人へのアポイントメントは取ってあった。飛鳥はいつものように髪の毛をセットし、肩バッグを手に取った。こういう日に限って髪のセットはばっちり決まるものだ。
飛鳥は家を出た。国立ウイルス研究所まではそう遠くないが、電車に乗る必要はある。遅れないようにしなくてはならない。
研究所についた飛鳥を待っていたのは、客人というよりは物珍しいペットのような扱いだった。中学生の少女ということで気を使っているつもりなのかもしれないが、そんな気分には全くなれない。
「いやー、凄いねこの目! 視神経に異脳核があるなんて初めて見たよ! 人体の神秘だね」
火野が大喜びでCTスキャンの画像を見ている。雪城はさっきから何かを書いている。ドイツ語のようだが、カルテならマウスの試験結果は要らないんじゃないかな、と飛鳥は思った。雷泥に至ってはパソコンの画面を見ながら駄菓子を摘まんでいた。
「あ、経過観察ってことで診断結果はでっち上げといてあげるから。よろしくね」
「ありがとう」
この人たちを頼ったのは間違いだったんじゃないかな、と飛鳥は軽く後悔し始めていた。
「あ、そうそう」雷泥が駄菓子を食べるのを止めた。「他の異脳者と出会った感想はどう?」
「!?」
飛鳥の心臓が跳ねた。一気に血液が移動して頭がくらつく。二つの心臓も良いことばかりじゃない。
「…まぁ正直さ、大変だったと思うのよ。いきなりヤケになった異脳者とぶつかった訳でしょ」
「それは…」
「僕達だって大人だからさ、やっぱり心配っちゃ心配なわけよ。前園さんからは目の前で死んだって聞いたし。心のケアとかさ、必要じゃない?」
さっきまで駄菓子を摘まんでいた男から、そんな台詞が出るとは思っていなかった。飛鳥は髪の毛を押さえた。異脳は発動していない。
(…僕は、この人たちを見くびっていたのかもしれない)
井上を殺してしまったのは、飛鳥が井上のことを知ろうともせず軽んじたからだ。また同じことをする気だったのか、と飛鳥は思い直した。
「大体さー、人一人殺した程度気にしちゃだめよ。医学の進歩には犠牲が付きものなんだって」
(一度でも思い直した僕が愚かだった)
「それに、これからエヴォルハザードが収束するまでは、どうしたって君みたいな被害者は出ちゃう訳よ。感染経路も見直さなきゃだしね」
「感染経路を見直す?」
「君のお姉さんから感染したエヴォルウイルスは、おそらく君たち家族の範囲で止まってるんだ。お姉さんの大学の人達は血液検査をして、感染者が居ないことを確認したからね。風間大悟くんは前回の検査で感染してないから除外、鬼熊老人は嫌われものでそもそも他人と付き合いがない」
「他に候補はいないのかい? 事故を検査した警察官とか」
「そっちも最初に検査済みなのよ。結果は陰性。つまり、事故現場にもう一人か一匹居たのか?ってこと」
「ラットに感染するなら、蚊にも感染するのでは? 変異の可能性は?」
「蚊の体内じゃエヴォルウイルスは不活性化するのよ。DNAがウイルスとして成り立ってるのが不思議な位ぐちゃぐちゃだから、一度変異したらエヴォルウイルスとしての効果はまず維持できない」
「…哀れな生き物だな」
「ま、偶然できちゃったウイルスだしね。で、新しい感染者探しに前園さん達は今大忙しって訳。話を戻すけど、異脳者と出会って大丈夫だった? なんか無理してるなら、できる範囲で協力するけど」
「…できれば、前園さんと話がしたい。できればでいい」
「ん、分かった」
雷泥主任が微笑み、前園に連絡を取り始めた。可愛い女の子の方が大事だろ、とかよろしくねー、とかいう、どことなくのんびりしたフレーズが飛び交う会話だった。
「ん、よし。一時間位したら来るよ」
「ありがとう」
一応、雷泥主任には礼を言っておくことにした。雷泥主任はウインクで返した。
「待たせたかな?」
「いや、十分だよ。むしろ考えを纏める時間をもらって、ありがたいくらいだ」
(三日間、考え続けた。自分が何をしたいのか)
前園がやって来たのは、一時間を少し回ってからだった。
「雷泥主任から聞いたよ。いま、感染ルートの特定で大変なんだろう?」
「守秘義務が…いや、今さら遅いか。一応、君は部外者なんだがな…。全く…」
前園はやれやれ、と首を振った。
「エヴォルウイルスは哺乳類同士ならば感染者の血液を体内に入れることで感染する。基本的には性行為か共食い以外では感染しないのだが、もしも男の血液を舐めた動物が居たならば、その動物が感染した可能性が高い」
「そうなのか…」
「後は事故を起こした車にへばりついた血を洗浄したときに感染したかどうかだが…これは何とも言い難い。いずれにせよ、まだ我々が見つけられていないウイルス感染経路があるのはほぼ間違いない」
「…」
「飛鳥くん?」
神妙な顔つきで黙り込んだ飛鳥を前園が覗き込む。
「前園さん。実は…頼みたいことがあるんだ」
「何かな?」
「お願いだ! エヴォルウイルスの収束の為に、何か協力させてくれ!」
飛鳥は頭を下げた。
「僕はなにもできなかった。日常を守るつもりで、良かれと思ってやったことは全部裏目に出た」
決意だけでは何もできない。異脳だけでは何も解決しない。人が人を救うのに必要なことは、超能力があろうがなかろうがきっと変わらない。
(これは、自己満足だとわかっている。だけどそれでも、このままで終わりたくない。このままじゃ何もかもカッコ悪すぎる!)
「ただの雑用で構わない。今度こそ、この
「…」
前園は、静かに飛鳥を見ていた。静かな、しかしどこか優しい目だった。
「…君は中学生だ。アルバイトすらできない年齢だろう?」
前園は諭すように言った。
「はっきり言ってしまえば、君の助けは必要ない。誤解しないで欲しいんだが、これは君が無能だという話じゃない。今はまだ、君には早いという意味だ。いずれ、君も成長して大人になる日が来る。その時まで、君の代わりに私たちが君たちを守る。これは警官としての義務なんだ」
「…」
飛鳥は沈黙した。
「だから、君を協力者とすることはできない」
だが、と前園は続けた。
「この研究所内や現場のトレーラーで、ドローンで見るだけの見学者としては受け入れよう」
飛鳥の目が輝いた。
「本当かい!?」
「もしかしたら、助言位は頼むかもしれないな」
「あ、ありがとう!」
喜ぶ飛鳥を見て、前園は目を細めた。
(傷付いた心のケアか。柄じゃないんだがな)
存外悪くはない、と前園は思った。
これが、飛鳥とエヴォルウイルスの長い戦いの始まりだった。
エヴォルハザード ねーぴあ @napier
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