サックヴィル

深川夏眠

Suckville


 やあ、久しぶり。ご無沙汰はお互い様。元気そうで何より。そこのソファにどうぞ。お茶を淹れるから。

 妙な座り心地がするって? 人が中で支えているだからね。嘘だよ、そんなはずはないだろう。年季が入ってガタが来てるんだ。

 妹さんはどうしてる? えっ、婚約した……。そうか、それはよかった、おめでとう。お祝いをことづけてもいいかな。謝る必要はないよ、馬鹿だなぁ。

 はい、紅茶。きみは仏手柑ベルガモットじゃなくて燻製茶に龍眼リュウガンで香りづけをしたクラシックなアールグレイが好きだったよね。覚えてるとも。ぼくはちょっと苦手だけど、このスモーキーなフレーバーは。

 ああ、傷が残ってしまったんだねぇ。頬だから、浅い割りに際立つなぁ、申し訳ない。いや、こっちは心配要らないよ、服を着てりゃ誰の目にもつかないし。

 思い返すに若気の至りも甚だしい。レイピアで決闘だなんて、さ。繰り返すけど、あれは誤解だったんだよ、ぼくは妹さんと結婚を前提に交際する気だったのに、派手な口喧嘩になって、それをきみが勝手に、僕が不埒な真似をしたと思い込んでげきして。無茶をしたもんだ、ハハハ。

 その後、どうしていたかって? 少し長くなってもよければ話そうか。


 見事な斬られ具合だったが命に別状はなかった。剣の腕が立つ証拠だよ、きみ。傷口がグチャグチャにならなかったから、医者も縫合しやすかったのだ。

 切創を塞いでもらって熱が下がるのを待ち、退院後はそっと荷物をまとめて家を出た。建て前は転地療養、本音を言えば、きみや妹さんや他の知り合いと顔を合わせるのが気まずかった次第。

 親類が勤める病院のある市へ向かった。痛み止めの処方を受けたり、不安を感じたときに相談に乗ってもらったりするためで、従兄が奥方とその母上と共に暮らす家に厄介になった。女性たちはとても親切で、何くれとなく世話を焼いてくれた。しかし、ひっそり感傷に浸りたい気分が拭えなかったので、そこをベースキャンプに物見遊山と洒落込むことにした。

 特に当てはなかったが、豊かな自然に囲まれ、しかも文化の香り漂う……といった雰囲気を求めて、古くからの大学都市に狙いを定めた。

 ところが、汽車が延着し、計画が狂ってしまった。ともかく馬車を捕まえて行き先を告げたが、ぼくの発音が悪かったか、向こうがぼんやりしていたのか、気づいたときには見当違いの方向へ進んでいた。それでも小さな村の入口らしき場所に辿り着き、宵闇に点る家々の窓明かりに胸を撫で下ろした。馬車を降りるとき、ランタンの光に木製の道標がチラッと浮かんだが、地名は読み取れなかった。

 小さな宿屋を見つけて寝床を確保したのち、女将が太鼓判を押す食堂へ行って晩飯にありついた。

 名産だからと盛んにワインを勧められたものの、下戸なので苦労して断った。店員が告げた現地での呼び名は、よく聞き分けられなかったが、要するに真鴨コルヴェールのコンフィや鹿シュヴルイユのグリエに温野菜を添えた料理で、なかなかの出来だった。が、僅かにというか深みが足りない気がした。美味いけれども、ほんの少し、何かが欠けているのだ。

 見回すと、どのテーブルにも同じような皿が並び、地元の客は朗らかに談笑しながら健啖ぶりを発揮していた。もうすぐめでたい祭、前祝い、俺の奢りだ、どんどんやってくれ――云々。

 ウェイトレスが酔漢の悪ふざけをかわして、あちらの席、こちらの席へと酒を運ぶ姿をぼんやり眺めては、白パンをちぎって噛み締めるうち、答えに行き当たり、同時に嫌な予感が頭をもたげた。あの木標もくひょうに、村の名は何と記されていたか……。

 食事を終えて帰る道々、誰かにけられている気配がした。ヒタヒタと追ってくる三、四人。だが、焦らず騒がす、粛々とを進めて宿に戻った。

 シャワーを借り、寝室で寛いでいると睡魔が訪れた。ベッドの寝心地は今一つだったが、清潔だから文句は言うまい。

 普通なら、すぐにも眠ってしまうはずなのだが、頭の芯が妙に冴えていた。静まり返った家屋の中、数人が小声で囁き交わすのがわかった。続いて、ギシギシと音を立てる階段の軋み。

 イチかバチか。襲撃に備えて身構えた。と言っても、横たわったままだ。侵入者は慣れた手つきでドアの鍵を開け、息を殺して近づいてきた。予想どおり、プロの殺し屋ではないから、銘々手燭てしょくを携えていた。寝台の周りが仄かに明るくなった瞬間、ぼくは毛布を払いけた。ウッ、という一同の呻きが聞こえた。眩しそうに腕を上げて瞳を庇う者、灯りを床に落とす者。

 ぼくは跳ね起きて旅行鞄を引っ掴み、一番近くに迫っていた男に体当たりを食わせて飛び出した。もし、火事になったとしても、それは彼らの責任だ。ボヤで済んでくれればいいがと一応は思いつつ、後をも見ずに脱出してから服を着直した。半裸のままでは隣の町に逃げ込めないのでね。

 つまり、そこは吸血鬼の村で、彼らの料理にはニンニクが使われていないから、ぼくには少しばかり物足りなかったのだ。暗殺者たちは祭の予祝と称し、外来者を生贄としてほふるのだろう。ワインでしたたか酔っ払い、正体をなくした客を……ね。


 うん。何故、ヤツらを撃退できたのかって? それはきみのお陰。皮肉じゃないよ。この胸に大きく十字に刻まれた傷がぼくを守ってくれたんだ。ほら、連中は、これを目の当たりにしてダメージを受けたのさ。

 ……あれ、どうかした? 急に気分でも悪くなったかい? 両手で顔を覆って、ブルブル震えて。まさか、きみもあの村の出身ってわけじゃないよな?

 どうだい、見事な十字架だろう。触ってもいいんだよ、神の御加護がありますようにね。



              Suckville【END】




*雰囲気画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/POfjFYXF

*縦書き版はRomancer『月と吸血鬼の遁走曲フーガ』にて

 無料でお読みいただけます。

**初出:同上2020年5月(書き下ろし)

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116522&post_type=rmcposts

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