アマビエ
糸井翼
第1話 アマビエ
ずっと昔のような気もする。深海のように真っ暗な記憶の中に埋もれていた、でも、これは確かに私が見た景色なんだと思う。
海辺の村で流行った病気。あの男の子も感染する。布団でぐったりする彼。その周りには彼のお母さん、お父さん、お兄さん、そして、私。私は祈りを捧げるが、神の声など聞こえたことはない。私は、私が無力なことを知っている。
「…苦しいのが…落ち着いてきた気がするよ…」
家族に笑顔を作る彼は見るのもつらい。
私の祈りは続くが、彼のまぶたは閉じられる。すっと流れる涙。
「この家は呪われている」「出ていけ」
投げられた石に窓ガラスが当たって飛び散った。家族だけではなく、無力な私にも容赦なく石を投げてくる。
彼の死後、体調を崩したお母さんにも私の祈りは届かない。それどころか、私の体調もおかしくなってきた。無力な私が神に交信したばかりに、神の怒りに触れてしまったのかもしれない。
「これは神の定めたことですか。私たちが何か悪いことをしましたか。あいつらの方が…」
石を投げ、罵声を浴びせる外の村人をにらむ。
「私にもわかりません…」
飛んできた石で割れたガラスが、私の手を切った。痛みで集中が途切れると、ふわりと意識が遠くなってきた。私の祈りは誰にも届かない。全員、滅んだ方が良い。
***
あの景色を再び見ることになるのだろう。この村から広がる。
私は未来を予知できるアマビエ。
神が決めた定め。シンプルだが、人間には理解できるはずはない。これまでも生物は生まれ、死んできた。気候変動や環境変化は多くの死を生み出した。ときに全滅する種もあった。それはすべて自然現象なのだ。自分たちが気候変動や過去の大量絶滅に匹敵する絶滅の原因となっている、というから、人間は傲慢だ。彼らのコントロールができるところではない、もっと根源的なものだというのに。
私は定めを知ることができる。だが、定めを変えることはできない。私は無力なのだ。
あの子をどこかで見たことがある気がする。19歳くらいか。男の子が、浜辺を歩く姿が見える。
彼が老いた父親に会う姿が見える。彼がこの村に来た理由だろうか。感染症が広がろうと、そんなことは関係なく人々の生活は続いている。彼も老いた父のため、やむにやまれぬ事情があったと見える。だが、タイミング悪く、彼のいる間に感染が始まったのだ。
彼が村人から石を投げられる姿が見える。彼の自動車にも。彼が病気を持ってきたと、目をつけられたのだ。閉鎖的なこの村では、外部への視線は冷たい。まして、この感染症が広がる時代にはなおさらなのだろう。
私の祈りは届くのだろうか。人魚となった私の美しい姿。
人間には奇跡を起こす力がある。強く信じることで救われるのだ。
私が見た、男の子の歩いていた浜辺に降り立つ。向こうから来るのはあの男の子だ。私の中で眠る深い記憶、その景色がよみがえった。無関係とは思えない。私がここでアマビエとなった意味を悟った。
彼は私を見つけると私の美しさに心惹かれたらしかった。ふらふらとこちらに寄ってくる。
「私は海に住む、アマビエと申します。」
「えっ…」
「この村では病が流行ります。私の姿を写しとって、どうぞしっかりとお持ちください」
彼はスマートフォンを取り出し、私の写真を撮った。
すぐに海に帰る。この世界に降り立ったこと、彼の定めを変えようとしてしまったことは想像していた以上に力を使ってしまったのだ。
もう私には、ここから先の世界を予知する力は残っていない。ただ、私は海の深いところにあろうと、その力は、祈りは彼が写しとり、その手の中にあると信じている。彼は、あるいは彼らはどんな選択をするのだろうか。
私には知るすべもない。
アマビエ 糸井翼 @sname
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます