サイバーパンク・トラベル・ミステリアス

おたんこなす

無題

 サイバーパンクの世界だ。電光掲示板に書かれている文字を見たとき、セーラー服の少女はそう思った。

 昔に比べるとすっかり様変わりしいかにも都会ぶっている4車線の道路の真上、普段であれば風が強いだのどこそこが渋滞しているだのを知らせてくれる電光掲示板には「不要不急の外出は控えてください」と角ばった文字が表示されていた。

 こんな時代が訪れるとは。喜怒哀楽といった原始的な感情以外は欠落してしまいがちな彼女ですら、これには感銘を受けた。掲示板といいその下をただ粛々と行き交っていく人々といい、その光景はどの本で読んだ人類滅亡のシナリオよりもはるかにリアルで生々しかった。


 こんな世の中では、もちろんレジャー施設や観光名所などは閑散としている。だからその日客がおとずれたことに対して、少女は興味津々だった。

 5歳くらいだ。子供特有の中性的な顔つきをしていて、きめの細かい肌は病的なほどに細く白い。ここまでどうしてやって来たのかリュックも背負っていない。

 うつむき加減で両手を合わせ、数秒間だけ目を閉じていた彼(ということにしておこう)は、いまじっとセーラー服の少女を見つめていた。彼女は彼女で身じろぎひとつせず、横柄な態度で賽銭箱に腰かけたままその大きな瞳を見つめ返している。


「おい」


 さきに口を開いたのは少女のほうだった。


うぬわしが見えているであろう。なぜ声をかけぬ」


 うだるような暑さを少しだけ緩和するように風が吹いた。


「あなたが話しかけてこなかったからです」


 少年の答えは淡泊だったが悪気はないように見えた。

 しっとりとした白髪を見て、彼女はこう言った。


うぬ、人間ではないな」


 少年は表情を乗せずにこたえる。


「いいえ。ボクは人間です」

「ふん。まあうぬがなにであるかなどそんな些末なことはどうでもよい、とある生物よ」


 賽銭箱から降りると、長めのスカートが揺れた。


「少しのあいだわしに付き合え。見ての通り暇つぶしが一匹もおらんのでな、退屈でしょうがないのじゃ」

「付き合うというのは、どのようにしたらよいのでしょうか」

「なに、難しいことではない。話相手になればそれでよい」


 少年は考えるように少しのあいだ動きを止めた。ややあってこくりと頷く。


「最優先のタスクが18時にあります。のちのスケジュールに影響が出ない程度であればお付き合いできます」

「ふむ、多忙なようじゃな。実に子供らしくてよいことだ」


 よかろう、ついて参れ、そう言って砂利道を歩き出した。たしかにいかにも子供らしい軽い足取りで少年があとに続く。


「見よ」


 絵馬がところせまし、ずらりと並べられていた。興味があるのか、少年はまばたきもせずに一枚一枚を凝視する。


「これらはすべて、ここを訪れたものの願いじゃ。ここに棲む“神”とやらに祈ったものらしい」


 健康になりたい。お金がほしい。長生きしたい。パン屋さんになりたい。意中の相手と結ばれたい。誰それを殺したい。


「まあ、ときにこういったものもある」


 か細い字で書かれた呪いの言葉を、笑いながら指ではじく。少年は何を納得したのかいくども深くうなずいた。


「そうじゃなあ、見ての通り千差万別だが、中でも儂が気に入ったのはこいつじゃ。汝とおなじ年頃の少年が書いておった」

「……この世の果てに行きたい」


 書かれたことをそのままに読み上げる。


「これは比喩ですか」

「比喩なものか。現実に存在する場所じゃ。まあ正式な名称は別にあるが」

「『この世の果て』という愛称の、どこか」

「左様」


 絵馬を手に取り、すうっと目を細める。


「北の地にある、どこか物悲しくおごそかと評される干潟じゃ」

「この方はそこに行かれたい、と」

「ああ。一家で訪れていたが、どうにも全員みすぼらしくてな。見ない顔じゃった。ここまでやってこれたのが不思議なほどよ」

「見ない顔……家族旅行だったのでしょうか」

「無い金をかき集めしぼりだしてようやく訪れたここで、よもや我が子にもっと遠くのいい場所へ行きたいと言われるとはな。両親の気を思うと哀れでしょうがない。あまりに滑稽で思い出すと笑けてしまう、最高の一枚じゃ」


 絵馬を手放しながらケラケラ笑うのを、少年はじっと観察していた。その様子から何か学びを得ようとしているようだ。

 言うほど面白くもなかったのか、とうの少女はすぐに笑いを引っ込め、大それたものではないが実現が困難であろう願いを見つめたまま、静かにつぶやいた。


「泥まみれの片田舎に畏れをいだくとは、人間とは不思議な生き物じゃろう」

「……あなたも人間ではないのですね」

「も?」


 ふふん、と愉快そうに笑う。


「なんじゃ。汝は人間である、という話ではなかったか?」

「人間です。しかし、純粋な種ではありません」

「ほう。儂も長く生きているが、そのような個体ははじめて拝見するのう。とある生物よ、どうかこの無知な世間知らずに、いかような種と交わったのか教えてはくれまいか」

「機械と交わりました」


 平坦な声が答えた。


「人造人間なんです。現地点より何百単位と先の始点からやってきました」


 夏のうだるような暑さのなか、セミがわんわんとうるさく鳴いている。

 まばたきをするような一瞬のあいだだけ固まった少女は、次にはここ数十年で一番の笑い声をあげた。


「これはたまげた! 汝は、未来からやってきたのか!」

「あなたの認識で表現するなら、そうなります」

「そうかそうか! いや、いよいよサイバーパンクじみてきおったな。未来の人造人間よ、よくぞここまでおいでになられた」


 愉快そうに深々と頭をさげるすがたを、少年はどう反応することもなくただじっと見つめていた。


「して、人造人間よ。汝はなぜここまで時間をさかのぼって来たのじゃ」

「指示されました。データをここに残してくるように、と」

「データとな? いかようなものじゃ」

「特効薬の成分表です」


 なるほどな、と納得した。


「この流行り病を鎮めようということか。しかしなぜ汝がその役目を?」

「ナチュラルの身体が時間遡行に耐えられるかどうか、現代の科学ではまだ検証が不足しています。半身が人間であるボクたちは、そのデータ収集も兼ねているのです」

「なるほど。人間様の思いつきそうな方法じゃ、実に効率がいい。して、汝の身体は耐えきったのか?」

「このとおり、来る分には問題ありませんでした。ただ、帰還の際に問題が発生する事案が多いと聞いています」

「ふむ。行きはよいよい帰りはこわい、か……しかしいまの口ぶりだと生還の例もあるにはある、ということだな」

「はい。ですが帰還後98.534%の確率で個体に不具合が生じるため、遡行者は例外なくオートデリートされます」

「なんと」


 少女が目を見張った。


「効率の悪い。それでは廃棄の数があまりに多いぞ、コストがかかりすぎじゃ」

「……廃棄」


 そこで少年ははじめて眉をひそめた。少女は意外に思う。


「気に障ったか」

「いえ。……そうか。これは廃棄なんですね」

「当り前じゃろう、なんならこの表現すら適切とはいいがたい。人間は生き物を殺めるとき、別の言葉を生み出すのじゃ。自分の心だけは守るためにな」

「そうですか……」


 少女は今度こそぎょっとした。なんと大粒の涙がぽろりと頬を伝ったのだ。


「な、なんじゃ、藪から棒に」

「理解が及んでいませんでした。まさか、用が終わったら死ぬだなんて」


 誰にでもわかる、わかりやすい事実だと思うが。


「デリートまでを職務として考えていたんです。その後のことなんて、ボクはさっぱり……」


 なるほどな、と納得すると同時に、なんとも形容しがたい気持ちになった。哀れな生物だ。


「なんじゃ。死にたくないのなら、ずっとここにおればよいではないか」

「ボクが帰らなければ任務の達成を報告できません。いくらあなたでも、一秒先のことだって知らないでしょう。ここで一連の流れを投げ出したら、いったい未来はどうなってしまうか……」

「……。そうじゃな」


 少年の額にすっと指をあてる。すると、彼は弾かれたように顔を上げた。


「あなた、いま、ボクになにを……!」

「帰還プログラムを破壊した」


 にんまり、と笑顔が広がる。


「汝の言うとおり、儂は全知全能ではない。しかしいくら未来であっても、所詮は人間の為すことじゃ。このくらいのことが出来んでどうする」

「な、なんてことを……!」

「さあ、どうする人造人間よ。もう元の時間に戻ることは叶わぬぞ。時も差し迫っている」


 はっとして時間を確認する。たしかに、いますぐにでもここから立ち去らなければ、人類の存続がかかった重要な指令を遂行することができない。

 少女はやはり愉快そうに笑っている。


「さあ、どうする。報告が必要ということは、汝のここでの行動は把握されておらんのじゃろ? だあれも見てはくれぬ、達成したことも伝わらん。それでも腹の足しにもならない慈善行為を全うするか? 汝を殺そうとした者たちのために?」


 少女は意識的に煽るように言った。しかし、少年はまだ迷うそぶりを見せる。


「でも、ここでボクがなんとかしなければ、人類は……」

「言っておくが、人間はそこまで脆弱な生き物ではない。放っておけば自分らでどうにでもする」

「でも、始点では……」

「汝は、汝がそのデータを渡さなかった未来を見たのか? どうにでもなるといっておるのだ」

「でも、そしたら、もしかしたら、ボクの存在がなかったことに……」

「くどい!! いい加減腹をくくれ!!」


 空気がびりりとしびれた。

 驚きのあまり目をまん丸に見開く少年に、少女はうっすらと微笑む。


「どうせしばらく暇なのじゃ。儂に付き合え、人造人間」


 少年はまた機能が停止したかのように固まる。

 それから、おもむろにひとつの絵馬を手に取った。


「……ボク、『この世の果て』に行ってみたいです」


 おずおずと言うのに、少女は満面の笑みで答える。


「よかろう。ついて参れ!」


 2020年の夏。人間を放っておくことに決めたふたりの旅が、人知れずはじまった。

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