第18話 追跡開始
案内されたのは、下町でも最下層の人々が暮らす町並み、いや、随分と薄汚れた場所だった。
カリンがきょろきよろと周りを眺めているのを何と誤解したのか、ルークが苦虫を潰したような顔で言った。
「綺麗な、お姫様方には居心地が悪いでしょうが、我慢してください。これでも昔よりはずっとマシになったんですよ」
「そうなの?私の知る裏町とは雰囲気が違ってて、これはこれで楽しいわよ?」
イシュカの裏町とは、通称・魔法街とも呼ばれる。裏稼業に手を染めた人々が隠れるように住む場所だった。
もちろん、低所得者層の住む場所も他にあるが、魔法使いが大半を占める魔法街は、独特の気配があった。
「…お姫様が裏町に一体何の用があるっていうんですかね」
ボソリと聞こえるか、聞こえないかの音量でルークが呟く。
「あら!私は王女だけれど、魔法使いだもの。普通とは違ってよ?」
「まあ、そうでしょうねえ。でなけりゃ、他国の兵を脅してまで、叔父上を捜そうだなんてしないでしょうよ」
「褒めたって何もでなくてよ?」
「褒めてねえ!」
ルークと言葉遊びをしているうちに目的地についたようだ。そこには薄汚れた粗末な服を着た、幼い兄妹が待っていた。
10才にはなっていないだろう兄の腕に4、5才くらいの女の子がひっついていた。
「この子達が最後に馬車を見た目撃者だ」
ルークの紹介に子供達がビクリと震えた。まだ小さな子供達だ。
ルークが街の治安を守る警備兵だと言っても、知らない大人達に囲まれて、怖がっているのだろう。
「こんにちは。はじめまして。少し、お話を聞かせてもらえるかしら?」
カリンは、努めて優しい声と表情で子供達と同じ目線まで屈み込んだ。
「…」
男の子は汚れてはいるものの、綺麗な瞳をしていた。女の子の方は、あまりよく分かっていないようでキョトンとしていた。
「数日前に、私の叔父が乗っていた馬車ごと行方知れずになったの。それで私達は、叔父の行方を捜しているの。
あなた達、何か知らないかしら?」
「…あんたの言う、叔父さんが乗っていたかどうかは分かんねえけど、通りを走っていた、ここいらじゃ見たことがない立派な馬車が急に消えたのは、知ってる」
「そう。その時のことを詳しく話してもらえる?」
「いいよ。ん!」
男の子が、手のひらをカリンの目前へと差し出した。
カリンが一瞬、戸惑ったように目を開いたが、すぐに彼の意図するところを察した。
「これでいかが?」
カリンが差し出したのは、右手の小指にはめていた、宝石のついていない銀の指輪だった。
「お、おいっ!」
ルークが慌てて止めようとするのを、カリンは手のひらをかざして制止した。
「ふーん。宝石はついてないけどキレイだな。いいよ。話してあげるから、付いて来な!」
こっちだと歩きだすのを追うように、カリン達が付いて行く。
「あんな高価なものをいいんですか?」
カリンの横についたルークが小声で問いかけてきた。
「いいわよ。先行投資?みたいなものよ」
彼女が渡したのは、ただの指輪ではない。魔力が込められた魔法のリングだ。
売れば、働かなくても一年は楽に暮らせるだろう。
「あの子には魔法の素質があるわ。あとはそうね…。あなた方次第よ?なんなら、私がスカウトしてもいいのだけれど?」
「お断りします。我が国では魔法使いは希少なのです!」
「あら、残念」
カリンが気付いたのは、魔法使いの素質の一つである真実を見通す目だ。
これは贋作を見分けるなどの心眼と似通っていて、極めれば、相当役に立つ。
「ここだよ。一台の馬車があっちから走ってきて、向こうに走って行ったんだ。
その先はずっと一本道で、人以外が脇道を通ることは出来ないのに、急に通りから消えたんだ」
「消えるのを見た?」
「うん。チラッとしか見えなかったけど…」
そこで少し、言い淀んだ。
「どんな風に消えたのかしら?」
「なんか砂のカーテンみたいなのがわあっと広がって…。それが消えたときには、馬車もいなくなってた」
「…そう」
「本当だよ!俺、見たんだ!」
男の子が必死に言い募る。
おそらく、これまでにも本当のことを何度となく話したのだろう。それを周りから、見間違いだの、嘘を言っているだの、言われたのだろう。
カリンには分かる。いや、同じように普通の人間には見えないものを見ることが出来る者同士、分かり合えるといったところか。
「ええ。信じるわよ。ありがとう。教えてくれて」
おそらく、彼以外にはそうした現象は見えなかったはずだ。いくら人気が少ない裏通りとは言え、真っ昼間に馬車が一台消えたのだ。
目撃者が他にいたなら、もっと騒ぎになってあたはずだ。
何らかの目眩ましがかけられて、他の目撃者の目には何事もなく通り過ぎて行く馬車しか映らなかったはずだ。
「え?信じて…くれるの?」
信じられないと瞳を目一杯、見開く。
「もちろんよ」
すると、男の子が何とも言いようのない表情を浮かべた。
嬉しいような、泣き出す直前のような、そんな複雑な心境が、そのまま顔に出た感じだ。
「俺…、俺、これまでにも誰からも信じてもらえないことが何度もあったんだ。
母さんだけは信じてくれたけど、その母さんも死んじゃって。それからは、誰も本気では信じてくれなくて…。でもっ!」
「ええ。辛かったわね。誰からも、信じてもらえないのは悲しいもの」
カリンが手を伸ばし、男の子の後頭部をそっと撫でた。
「…うん」
グシグシと男の子が、握り拳で乱暴に瞼を拭う。
「兄た。泣いてるの?」
女の子が兄を心配そうに見上げる。
「ポンポン、痛いの?それとも、お腹空いた?」
「違っ」
男の子が否定した直後、男の子のお腹あたりから、小さなお腹の虫が鳴った。
「お腹、空いたね。ミューちゃんも」
女の子が自分のお腹を撫でる。
真っ赤になった男の子が、居たたまれないように身を竦める。
「ほら、俺からもご褒美だ。これで何か買いな」
ルークが男の子の手のひらに、幾ばくかの硬貨を握らせた。
「こんなに!いいの?」
硬貨はそんなに多くない。けれど、子供達にとっては大金だったらしい。
「ありがと!皆に何か買って帰るよ!」
「ああ。気を付けてな。落とさずに帰れ」
「うん!」
男の子が妹の手を優しく引いて、通りから去っていく。
「お姉ちゃんも、ありがと!」
小さな背中が通りを曲がる際、男の子が大きく手を振った。
このありがとうが指輪ではなく、自分を信じてくれたことへの礼だと、カリンは知っていた。それで、小さく手を振り返した。
「皆って?」
「ん、ああ。あの子供達は孤児なんですよ」
「そう…」
「孤児達が大勢暮らしていて、狭いし汚いし、年がら年中、腹を減らしてますけど、人柄の良い神官様がいて、国からもそれなりに寄付もあるし。そんなに悪い場所ではないですよ」
「あなたも、そこで育ったの?」
「…っ!」
ルークの顔が見るからに強ばった。
「ごめんなさい。秘密だったのかしら」
「いえ。こいつも全員、同じ孤児院出身ですから」
「そこで閣下に救い上げられたという訳ね?」
「あなたには敵わないな。そうですよ。国の兵士が大っぴらに他国の姫君に協力する訳にはいかないので、確実に秘密を守れる連中を借りだしたんですよ」
カリンの生国、イシュカとビースター・テイルは、同盟国同士とは言え、現在のところ、あってないような関係だ。
他国の大使が行方不明なのが明るみになれば、大きな国際問題だ。そこへもって、他国の姫が勝手に大使の行方を捜すのも問題だろう。
ならばこその妥協案なのだろう。
「とにかく、情報は確かだったようね。あとは追跡開始ね」
「そこはお任せください」
ルークが後ろを振り返る。そこには荒事には不向きそうな青年が立っていた。
「こいつの追跡能力は、そんじょそこいらとは性能が違うんでね」
青年の頭にある、小さな獣の耳がピピピと揺れた。
アッシュラウド大陸記 NAGI @cat-walk
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