そのセーターは色鮮やかで

いがらし

第1話(完結)

「助けて下さい」若いメイドは、私立探偵に土下座した。

メイドといっても制服や派手なエプロンではなく、

薄汚れた安い服を着ていた。ただの下働き、女中らしい。

「まあ、頭を上げてください。あなたが働いてる

富豪の館から、宝物が消えたんですね?」「はい」

「宝物とは黄金とか宝石ですか?」「セーターです」

「セーター?」

 メイドが雑誌を差し出した。「こちらで紹介されてます」

 私立探偵が見ると、気難しそうな老人が鮮やかな色彩の

セーターを両手で掲げる写真が載っている。

「こちらのご老人は?」「五年前に亡くなった高名な

芸術家なんです。青銅や大理石の彫刻を数多く残していて……」

「それが、セーター?」「絶滅寸前の兎の最高級な毛糸が

使われてるそうです」「確かに色鮮やかで心惹かれるけど、

セーター……」「芸術家の気まぐれだそうです。ただ、

一流の彫刻家が死の間際に手がけたセーターだったので……」

「話題になった?」私立探偵の言葉にメイドは頷く。


「話題になり、オークションでは値段がどんどん

つりあがったそうです」「なるほど、少しずつ

不穏な空気を感じてきました。オークションで落札したのが、

あなたが仕える富豪なんですね」

「はい、ところが、二人の方が……」

 そう、二人の男が、納得できなかったらしい。

 成金が買うなんて許せない、どうせ価値も

わからないくせに、と激高したそうなのである。

「二人の方が、お屋敷に押し掛けてきたんです」

 二人の男が富豪を責め立てる、メイドはそれを

止めようとする、富豪は広大な館の中を逃げ回る……。

「そうしているうちに、セーターが消えたんです」

 セーターが消えたとなれば、二人の男のどちらかが

くすねたとしか思えない。検めろということになる。

「それで、お二人の身体検査は私に任されまして」


 面倒な身体検査は、メイドがやる破目になった。

「でも、見つからなかったんです。それで、私まで

疑われてしまって」若い彼女は泣き崩れる。

「わかりました、調べてみましょう」「ありがとう

ございます。あの、それで……」「報酬ですか?

必要ありませんよ」彼女の境遇が可哀想に見えたため、

私立探偵は無料で依頼を引き受けた。

 二人の男というのは、大学で美術を教える教授と

貧しい画家であった。美術の教授は、まあまあ

広い家で、学生と高そうな画集に囲まれていた。

貧しい画家は、狭い部屋で借金取りに囲まれていた。

 私立探偵は考える。「二人の共犯なのだろうか?

いや違う。盗んだものが現金なら山分けも可能だが、

問題の品はセーターだ。二人で分けるわけにもいくまい。

だとしたら……」


 さて、なにがあったのか、少し考えてみてください。



 数日後、私立探偵はメイドを喫茶店に呼び出した。

 パフェを珍しがる彼女に、私立探偵は説明を始める。

「この事件には、大きな謎があります」

「誰が盗んだのか、私が身体検査したのに

なぜ見つからなかったのか、ですね」

「違います。盗んでどうするつもりだったのか、です」

「え?」

「盗んでどうするつもりだったのか。

美術の教授は学生に、貧しい画家は借金取りに

囲まれてました。他人の目があるし、

飾って眺めたりでもしたら目立ちます」

「そうですね。話題になったセーターですから」

「そう。飾るのは危険だ。では、売り飛ばしたのか?

動機は金だったのか?」

「有名なセーターでは、売るのも難しいですよね」

「はたして、そうでしょうか」

「え?」


「あなたの言葉を思い出したんです。『絶滅寸前の

兎の最高級な毛糸』でしたよね」

「……まさか、そんな」

「有名な美しいセーターも、ほどいてしまえば毛糸です。

毛糸にして、持ち去ったのです。

身体検査で見つけられなかったのも無理はない。

あなたはセーターを探していたのだから」

「でも、そんなことをしたら」

「そう、価値はかなり落ちるでしょう。それでも、

売って現金を得たかった。売ることが困難なセーターより

たとえ安くても売れる毛糸というわけです」

「ということは」

「借金取りに追い詰められた貧しい画家が、

最高級の毛糸なら金になるのではと手を出したのでしょう。

まあ、これはいまのところ、ただの想像ですよ。証拠はない」


 さて、その数週間後、私立探偵のもとに荷物が届いた。

あのメイドからである。包みをほどくと、なかから

手編みのセーターがあらわれた。どうやら、私立探偵の

推理は的中し、このセーターは感謝のしるしらしい。


   (おしまい

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