第21話 偽りの英雄譚

 夜が更けていく。涼しげだった風も、冷たさを帯び始めていた。


 月が青白く輝いていた。手の届かない場所から、この地上を見下ろすように。そこに立つ人物を、見逃さないかというように。


 シィは、一人で立っていた。


 長い黒髪が、夜風に流される。それは穏やかで、決して強いものではない。シィはそれを気に留めることはなかった。ただ黙って、何もない空を見上げていた。


 アルが戻ってから、どれほど経ったのか。シィはそれすらも考えていなかった。


 考えるべきことは、無数にある。


 それなのに。


 シィは、自分の内で溢れんばかりの様々な感情を、整理できないでいた。


「――――?」


 少女の声がした。シィにとって、初めて聞いた声だった。


 併せて、視線の先に人影が生まれた。次第にそれは輪郭を持っていく。月明りをそのまま形にしたかのような、白い少女がそこに現れた。


 そして彼女はもう一度、


「嘘を吐いてる気分はどう?」

 と、睨むようにして、言い放った。


 そこには、明確な敵意があった。シィにはそれが深く、痛いほどに感じ取られた。そこの言葉の意味も含めて。


 覚えがない。

 知らない相手にそう言われる謂れはない。

 あなたはいったい誰なのか。

 アルのことを知っているのか。


 そう、言えれば良かった。シィは、そう思う。そう思うのは、言い返せない理由があったからだ。少女の言が真実であると、誰よりもシィ自身が分かっていたからだった。



 罪を露わにするように、少女は空からシィを見下ろして告げる。


「あの悪いマナの塊――魔獣とアルが、どう戦っていたのかも。どうやって、倒そうとしていたのかも。それを、お前が邪魔しにきたことも。そして、アルから、“英雄ロール”の力を奪ったことも。お前が、アルの力を自分のものにして、“英雄ロール”に――“勇者ブレイバー”になろうとしていることも。全部」


 少女の言葉に、シィの肩が小さく跳ねた。


 ――ああ、この天使のような少女は、わたしのように嘘を吐いていないのだ。


 そう、シィは理解した。


「“勇者ブレイバー”は、アルが手に入れるものだった。だから、ぼくはアルに引かれたんだ。だから、アルは片腕を無くすほどの怪我をしても、つながった“マナ・ボーテックス”から流れてくるマナでそれを補えた。ぼくが体をこうやって作っているのと、似たことをできた。“勇者ブレイバー”じゃなければ、アルは死んでいた」


 シィは何も言えない。


「アルは、魔獣と戦えていた。それも、“勇者ブレイバー”の力がアルに宿りつつあったからだ。そしてアルは、その力で魔獣を倒そうとしていた。倒せそうになっていた。ぼくはその頃には、こうしてマナで体を再構築できていた。だから、全部、こうして見えていた。お前が現れたのも、全部」


 シィは何も言えない。


「魔獣が襲い掛かって……アルは怪我をした。でも、アルはまだ戦おうとしていた。マナで復元されていた、左腕を――“英雄刻印”が作られていた左腕を使って、剣を魔獣に向けていた。“英雄ロール”の“能力アビリティ”で、魔獣を打ち払おうと、していた。それが、アルにはできていた。魔獣がすぐに襲い掛かってこなかったのだって、アルの中に強い力が生まれてきていたからだ。魔獣はそれを感じ取っていたんだ。それなのに、お前が邪魔をした。アルから、奪い取った」


 シィは何も言えない。


「ぼくには見えていた。お前が、右腕に巻いてあった布を外したのも。その下に、アルとは別の“英雄刻印”を隠し持っていたことも。それを使って、アルから“勇者ブレイバー”を奪い取ったのも。全部。全部! 全部見てた!」


 シィは何も言えない。


「アルは“能力アビリティ”を使おうとしたところで、奪われた。そのまま、気を失った。そして、お前が代わりに、アルがやろうとしていたことを、やった。奪い取った、“勇者ブレイバー”の“能力アビリティ”を使って。ぼくは“英雄ロール”についての知識は、あまりない。でも、そんなことができるのは、予想がつく」


 シィは何も言えない。


「“英雄ロール”の力をも盗み取ることができるなんて、一つしかない。お前は“盗賊シーフ”だ」


 シィは何も言えない。


「そして、アルが貰えるはずだったものを全部、自分のものにした!」


 シィは何も言えない。


 言い返せるはずもない。


 全てが、正しい。


 彼女の言葉は、紛れもない事実なのだから。


「ぼくは、許さない」


 少女の言葉は、敵意そのものだった。


「アルに本当のことを教えるようなことはしない。少なくとも、今は。それが、アルにショックを与えるなんてことは、ぼくにだって想像がつくから」


 ああ、きっと、この子は優しいのだろう。


 アルのことを、好きでいるんだろう。


 ――わたしと同じように。


「だけど、ぼくは絶対に許さない。ぼくだけは、お前を認めない」


 だからこそ、その気持ちを理解できる。


 違う立場であれば、自分も同じように憤っていたのだろう。


 そんなことは、容易に想像がつく。


 シィが、言い返せるはずなんてない。


「覚えておいて。ぼくは――白の“魔法使いウィザード”は偽りの“勇者ブレイバー”を認めない」


 それを最後に、少女は姿を消した。


 “魔法使いウィザード

 

英雄ロール”のほとんどは、基本的に人類最大の敵である“魔王”に対抗できる“勇者ブレイバー”を支えるための存在だ。その一つが“魔法使いウィザード”である。


 その“魔法使いなかま”が、“勇者リーダー”を否定した。


 あってはならないことである。


 しかし、シィはそれも当然だと受け入れる他なかった。全てを見られて、知られた以上、何も偽れるものなどもうないのだから。


 シィは少女が去った後も、変わらず空を見続けていた。月は変わらず輝いていた。シィを逃さないように、その月明りを向け続けていた。


「――ごめんなさい」


 静かに。シィはその月に向けて、つぶやいた。


 誰に向けられたものでもない。


 これを届けたいと願う相手には、届いてはいけないのだから。


 すべては仕方なかった。アルの命を失いたくはなかった。


 ずっと予感はあった。


 それこそ、昨日今日の話ではない。


 幼い頃から、初めてアルと出会った日から。


 自分を助けてくれた、拾い上げてくれた少年が――アルが、その純粋な信念と願い、そして絶え間ない努力と研鑽の先に、いつか何かを成してしまうのではないかと思わずにはいられなかった。


 いつか、何かを得てしまうのではないかと思わずにはいられなかった。


 彼が夢見る“英雄ロール”と呼ばれる存在にまで、押し上げられるときが来るのではないかと、思ってしまっていた。


 幸か不幸か盗賊の技を極めてしまった少女が、”盗賊シーフ”の”英雄ロール”となったように。


 少年が胸に秘める、誰よりも崇高な勇気によって――。


 不吉な予感はずっとあった。


 シィは自分の直感を信頼している。それこそが、自分を生きながらえさせてくれたものだったからだ。


 だが、これだけは――外れていて欲しかった。


 杞憂だったと思いたくて、努力もしていた。


 アルを危険から遠ざけるよう、直接間接を問わずに手を回したりもした。


 一人で進んでいきそうなときは、止められるように付き添った。

 した、つもりだった。


 アルを死なせたくはなかった。


 アルを守りたかった。


 ただ――結果的に。それだけは守れた。


 アルは、守ることができた。


 “英雄ロール”と呼ばれる呪いから。


 きっと誰も知らない。いや、知っていて黙っているだけなのかもしれない。それが、世界のこれまでの在り方だったから。そうすることで、世界が守られてきたのだから。


 ”英雄ロール”は死ぬ。


 少なくとも”勇者ブレイバー”に死の運命は避けられない。


 どうして英雄譚において、その中心人物であるはずの“勇者ブレイバー”が語られないのか。


 それを隠すように他の“英雄ロール”の名ばかりが残されているのか。


 簡単な話だ。


 “英雄ロール”は自らを英雄足らしめる力を持たされる。


 それが目に見える形なのが“英雄刻印”であり、目に見えない形が“能力アビリティ”だ。


 “英雄刻印”には膨大なマナが含まれている。“能力アビリティ”を使用するのに必要となるからだ。


 だが、実際“能力アビリティ”を使うには、別の代償が必要となる。


 “英雄ロール”自身の生命力だ。


 強く“能力アビリティ”を発揮しようとすればするだけ、その代償は大きくなる。


 ならば、世界の脅威たる“魔王”を滅するほどの“能力アビリティ”を使えばどうなるか。


 それは、考えるまでもない。


 “勇者ブレイバー”の英雄譚が残されない、最大の理由。


 “勇者ブレイバー”は必ず死ぬ。死んでしまう。


 それこそが、“勇者ブレイバー”の役割なのだから。


 そんなものを、あの少年に渡すわけにはいかなかった。


 あの少年は、死を恐れる。何よりも、それを忌避する。


 だけど。


 きっと。


 守るべきものが大きければ。同じ天秤に自分の命が懸けられたなら。


 自分の与えられた”役割”を理解してしまえば。


 自分にできることを最大限に行おうとする、あの少年なら。


 それを選ぶだろう。


 わたしを好きだと言ってくれた少年は、わたしを守ろうと死ぬことも最後には選ぶだろう。


 それが、シィは何よりも怖かった。ずっと、恐れていた。避けたかった。


 そして、避けることができた。


 シィは口元をぬぐう。口の端から、血が垂れていた。


 これでいい。


 あの少女の言葉は、否定できない。


 だけど、こうして自分が選んだものもまた、否定できない。


「ごめんなさい」


 その誰にも向けられていない謝罪を、再び口にする。それを、最後とするように。この先の、険しい道のりを覚悟するように。


 それが、この先嘘を吐き続ける険しい道を進まないといけないと理解しながら。


 大好きな、最も大切な人に、決して嘘を明かしてはいけないと理解しながら。


 シィは偽りの“勇者ブレイバー”になることを、決めた。


 ”英雄ロール”という”役割”を演じることを、選択した。






 ――これは少女が英雄に至る物語




 ――ここから始まる偽りの英雄譚





『Role o/r Choice』第一章 英雄へ至る物語、偽りの英雄譚 Fin

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Role o/r Choice (「英雄へ至る物語、偽りの英雄譚」からの改題です) 吾妻巧 @estakumi

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