新緑

 翌日のこと。

 旧市街には、商業地の喧騒から少し離れたところに、文教地区がある。地球周回軌道上ながら自然豊かに作られており、今は新緑が盛んにめぐむ季節を満喫できる。かおるの通う学校はその片隅にある。


 かおるはキッカーを学校の脇の茂みに隠すと、そ知らぬ顔で登校した。教室のいつもの席で、手持ち無沙汰をどうしたものか思案していると、教室に入ってきた野乃子ののこと目が合った。

 「おはようございます!ごきげんよう!チャオ!」

 いつでも騒がしい。

 「おはようございます。ごきげんよう。」

 かおるも快活なほうだが、お互い、挨拶は忘れない。そういえば。

 「のののん、昨日なにか言おうとしてなかった?」

 野乃子ののこに訊ねると、野乃子は声をひそめた。

 「うん。えーと、転入生が来るんだ、今日。」

 「転入生?今日?」

 「そう。私のなの。」

 「つまり、のののんの親戚?」

 「そ。母の従姉の子。地上の子。こっちははじめてなの。」

 「はーん。なるほど。どのクラスかはまだわからない?」

 「このクラスよ。だから郁には話しておこうと思って。こっち慣れてないしさ。」

 「あー……なるほど……悪かったね。」

 「いやいや。とにかく、よろしくね。」

 「りょーかい。」


 話していると、担任の先生たちが入ってきて、朝礼が始まった。

 教室のオーヴァルスクリーンに校長と生徒会長が姿を見せる。

 『みなさん。おはようございます。ごきげんよう。今日は転校生があります。この学校やカレイズにはまだ不慣れなので、助けてあげてくださいね——』

 地上からの転入生ということは、この不思議な擬重力空間にも不慣れだということだ。産まれた時から擬重力下で暮らしているかおる野乃子ののこには当たり前でも、重力下をゆっくり自転する地球と、無重力下で回転により擬重力を作り出す街では、すべてが異なるという。慣れない擬重力、慣れない学校、慣れない街での暮らしを、さりげなく支えるように、とのお達しである。旧市街でも人の出入りは少なくなく、転校生も、こうした風景も珍しくない。

 『——それでは、本日の朝礼を終わります。今日も一日、ぜひ励んでください。ごきげんよう。』


 担任が口を開く。

 「みなさん。おはようございます。ごきげんよう。先ほど、校長先生からもありましたが、転校生を紹介します。どうぞ——」

 補助教員と、緊張した面持ちの、ひとりの女の子が入ってきた。

 「東雲しののめ有沙ありさです。よろしくお願いいたします。」

 不格好に頭を下げお辞儀をする。しかし、ぎこちなさの中にも、何か力強さを感じさせるのだった。

 「東雲しののめ有沙ありささんは、地上から来たばかりです。そちらにいらっしゃる高島たかしま野乃子ののこさんとはお知り合いだそうです。みなさんいろいろと教えてあげてくださいね。とりあえず高島さんの近くに座るといいかしら——」

 担任がそういうと、野乃子ののこはうなづき、手を振る。ちょうど近くに空いた席があるのを、有沙も見つけて腰掛ける。かおるたちの斜め前だ。所在なさげな肩をしていた。

 「今日の連絡事項です——」


 朝礼が終わると、1限目の授業がすぐ始まる。その前に、声を低くして、さっと声を掛ける。

 「こんにちは。ごきげんよう。」

 「やっほー。きたね。ごきげんよう。」

 「はじめまして。ごきげんよう。きたよー」

 「私、のののん、あ、野乃子ののこちゃんのお友達の、西崎にしざきかおるです。かおるって呼んでね」

 「かおるなんだよ!すごいの!」

 「うるさい、今はだまってなさい。」

 「はい……。」

 「東雲しののめ有沙ありさです。よろしくお願いします。」とぺこり。

 「緊張しなくていいよ。今日からあなたの学校なんだからさ。友達になろ?」

 「そーだそーだ、かしこまらなくていいんだ」

 「だからうるさい」

 「ぜひ。いろいろ教えてください。」

 「……ちなみに、のののん、どこでもこんな感じなの?」

 「……はい。」

 話していると、1限目の先生が教壇に上がる音がした。


 授業が終わると、かおる野乃子ののこは、学外に有沙ありさを連れ出した。

 「旧市街名物、ジェラートをおごろう!」と野乃子ののこ

 「うん。奢るよ。近くにいいお店があるんだ。お茶しようよ。コーヒーも、紅茶も美味しいんだ。」

 「いいんですか!?わぁ……。」

 「いいのだ!有沙ありさもここのジェラートを食べるべき!」

 「『のだ』じゃない。いいよいいよ。『はじめましてと、初めての一日おつかれさまの会』をしよう。」

 「……ありがとうございます!」

 「いーね!それ!『はじめましてと、はじめてと一日おつかれさまの会』?すてきな名案じゃん!」


 かくして、学校近くの街角で、めいめいジェラートを選び、かおる野乃子ののこが手早く会計を済ませ、すぐ隣のカフェにはいる。


 カフェは非常に開放的だ。窓がとても大きく、開け放たれて、柔らかな風が肌に心地よい。

 地球周回軌道上のお店は多くがそうだが、強い雨も風もなく、天候はスケジュールされていて、天気を心配することはない。重力も地上より遥かに弱いので、壁や柱もより薄く細く少なくなる。ここが真空から隔離された閉鎖空間であることを忘れてしまいそうになる。


 かおるはカフェ・ラテを、野乃子ののこはHarrodsブレンドの紅茶を、有沙ありさはホットコーヒーを注文して、空いたテーブルを見つけて座る。

 「とりあえずこれ《ジェラート》たべよ!」野乃子ののこうながされ、三者三様に"いただきます"をした。


 ジェラートをつつきつつ、かおるは聞いてみた。

 「有沙ありさちゃんはコーヒー派なの?」

 「私ですか?そうですね、コーヒーに砂糖を入れて飲むことが多いです。かおるさんはミルクを入れる派ですか?」

 「私はそうだね。ミルク入れないと飲めないや」と言いながら、かおるは砂糖を入れる。野乃子ののこは運ばれてきた紅茶の時間を計りつつ、ティー・コゼを外すのが待ちきれないようだ。

 「私は紅茶派だな!れ方にはこだわりがあるぞ!コーヒーも好きだがな!」

 「知ってるよ。」

 「知ってます」

 

 少し声を低くして、かおるはたずねてみる。

 「いつもこうなの?」

 「私の知る限りでも、いつもこうですね。」

 思わず目を合わせて、かおる有沙ありさは軽く笑ってしまった。

 「えっ、なになに?なんなのよ?なに?」

 「いや、変わらないんだな、と思って」

 「そうです」

 「?なにが?」

 「「ふふふふふ。」」

 「もう、あんたたちなんなのよもうーがるるる」

 「そういうところですよ。」

 「どういうところじゃ。きみもときどき謎だぞ?」

 「謎はないと思うよ?」

 そうしているうちに、ティー・コゼをとる時間が来た。野乃子ののこは慣れた、でも丁寧な手つきで紅茶を注ぐ。クリーミーなミルクを良い塩梅に注ぐ。良い香りが漂ってくる。


 「さて」と野乃子ののこが音頭をとる。

 「まずは今日一日おつかれさま!」

 「おつかれさまでした。疲れたでしょう?」

 「おつかれさまです。ありがとうございます」

 「改めまして、はじめまして。旧市街産まれ旧市街育ちの西崎にしざきかおるです。よろしくお願いします。」

 「はじめまして。東雲しののめ有沙ありさです。地上で産まれて地上で育ちました。こちらははじめてです。よろしくお願いします。」

 「はじめまして、高島たかしま野乃子ののこです。のののんです。」

 「知ってるよ!」

 「知ってます、ののちゃん……」

 「有沙ちゃん、ほんとに畏まらなくていいよ。なんて呼んだらいい?」

 「いえ、そんなに畏まってないです!アリスと呼ばれることが多かったので、アリスでも、有沙ありさでも。」

 「了解、アリスちゃん。私のことはかおる、呼び捨てでいいよ」

 「わかりました。でも呼び捨ても慣れないので、『かおるさん』と呼ばせて頂きます。」

 「わたしのことはのののんでもののちゃんでも」

 「わかってるってのののん」

 「ののちゃん大丈夫です……」

 「のがおおいな」

 「あんたの名前だよ!」

 「野乃子ののこちゃんですから我慢してください。」

 「アリスちゃん、アリス?有沙ありさちゃん?有沙ありさ?うーん、有沙ちゃん、のののんとはだってきいたけど」

 「はい。同い年で、ちっちゃな頃からいちばんの仲良しがののちゃんです」

 「なのだな!わたしは地上したにも結構降りるじゃろ?有沙ありさと遊ぶことも多いのじゃ」

 「なんで『のじゃ』……」

 言われてみれば、野乃子ののこは長期休暇以外でも、纏まって学校を休むことが多い。


 野乃子ののこの家は、旧市街でも名の知られた商家だ。手広く宇宙と地上の産品を輸出入したり、それをいろんなお店に卸したりしている。きっとその関係で、野乃子ののこは地上へ行っているのだろう。


 「なるほどなー。私とのののんは中等部の1年からだよね」

 「うんにゃ違うよ。初等部の上の学年からだよ。」

 「あれ?そうだっけ……」

 「初等部で同じクラスやったやん?覚えてないのん?」

 「そんな気もする……」

 「あはは。おふたりも付き合い長いんですね」

 「そういうことになるね」

 「そうじゃな」


 話をしていると、新緑の風が冷たくなってくる。もうしばらくすると旧市街に夜がやってくるのだ。


 かおる有沙ありさはアドレスを交換しあって、3人で校門まで戻り、別れたのだった。

 「今日はありがとうございました。」

 「いえいえ、礼を言われるようなことは。明日もよろしくお願いします。さようなら。ごきげんよう!」

 「さようなら。ごきげんよう!ばいばい!アミーゴ!」

 「さようなら。ごきげんよう」


 有沙ありさ野乃子ののこの家に、一緒に帰ってきた。有沙ありさは旧市街にいる間、野乃子ののこの家に住むことになっている。

 野乃子ののこの家には充分余裕があるし、誰かひとり家族が増えてくれた方が寂しくなくて済む。そう野乃子(ののこ)と有沙ありさの母親どうしの結論でもあった。


 有沙ありさにとっては、野乃子ののこの母も幼い頃から馴染みの相手である。賢くやり手で攻め手で、人好きのする女性だ。

 今回はじめて訪れた旧市街の野乃子ののこの家は、何もかもが上品に落ち着きたたずんでいて、野乃子ののこ野乃子ののこの母からは少し意外だったが、腑に落ちるものもあるのだった。


 有沙ありさが旧市街に来て数週間。

 無闇に軽い身体や、少し浮腫むくんだ身体と、違和感はまだ取れない。地上にいたときは、身体が軽くなる程度かと思っていたけれど、実際に地球周回軌道にくると、歩くことひとつ違和感を覚える。

 それで若干、も感じるのだった。有沙ありさはもらったお薬でを抑えていたが、人によっては酷く動けなくなるという。


 この違和感やは、日毎ひごとにだんだん薄らいできている。

 このがどんなところか。地上の人が見上げる街はどんな街なのか。まだ全然出歩いていない。

 それはきっとこれから。これから、出会い、知っていくのだろう。今日はその一歩だ。


 浮遊するを、今日はあまり感じないことも忘れて、軽い布団に包まれながら、穏やかな眠りに落ちていった。

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光跡 呼続こよみ @YBTGKYM

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