宙舟

 かおるは帰宅するやいなや、仕事中の母に声を掛けた。

 「舟、来てる?」

 「来てるよー。今回は錠一さんも苦労したみたい」

 「そうなの?ありがとう!後でお礼言いに行く!」


 話もそこそこに、自室にバッグを投げ捨て、アンダースーツに着替える。


 肌に合わせてフィットするアンダースーツは、身体を直接覆って保護をする。宇宙空間で快適と衛生を保つほか、万に一つ真空に投げ出されたときは、直接身体を守ってくれる。最低限の生命維持機能を持ち、バイタルなど心身に異常があれば通報、蘇生を試み、ビーコンを発信して救援を待つ、命綱だ。

 体形がはっきり出るけれど、ここは我が家。今は母しかいない、構うもんか。

 脱ぎ捨てた服もそのまま、かおるは階段を駆け上がった。


 旧市街は逆方向に回転する2つの筒の入れ子構造だ。入れ子になった筒がそれぞれゆっくりと回ることで、遠心力という擬重力を得ている。筒の内側を見上げ、足元の向こうは筒の外側だ。

 特に最も内側(上層)、最も外側(下層)の建物群には特徴がある。のだ。いわば、宇宙という海の岸辺にあり、今でも多くの建物・多くの家に船着場がある。

 かおるの家も、街の最も内側にあった。最上階には小型艇の離発着できるドック、荷揚げ場、与圧調整室などがある。そう、今日はかおるの愛舟が調整を終えて戻ってきたのだ。


 はやる気持ちとともに、ソフトシェルスーツを着る。ソフトシェルスーツは、いわゆる宇宙服で、適度な柔らかさしなやかさを持つ。かおるにはよくわからないが、折り紙の技術で、大きさも自在に変形・フィットし、動きやすくできているという。ヘルムを持ち上げ、割れた背の部分から脚を入れていく。両脚を入れて少ししゃがむと、腰まで連鎖的にフィットしていく。右腕を入れ、肘を曲げると右肩まで、左腕を入れ同じように肘を曲げると左肩までふいっとしていく。最後に2重構造のヘルムを被り、顎を引き、首を振ると同じようにフィットしてくる。


 搭乗前のリラックスを兼ねて、身体を動かし、馴染んでいることを確認する。手首にパネルをだしてスーツを確認。OK、これで宇宙遊泳すらできる。万一、真空空間で何があっても安全だ。

 与圧調整室の手前で、パネルを確認、舟と与圧調整室の状態と、ボーディングゲートの接続をチェックする。

 いずれもグリーン。良好だ。与圧調整室のロックを解除、入室して再びロック。今度はボーディングゲートのロックを解除して、舟に乗り込む。


 「カイル、おはよう!」

 ボーディングゲートをロックして、舟管理システムを起動する。カイルはこの舟の名前だ。正確には$A$1という。ひいひいおじいちゃんがこの名前をつけたそうだけど、由来はわからない。因みにカイルはイルカのアバターを持っていて、たまにオーヴァルモニタを泳いでいたりする。


 『おはようございます』

 「起動チェックお願い!ディープにね!」

 『わかりました。起動シークェンス、ディープ・ヴァーバスモードではじめます』

 カイルが舟各部の起動時自動チェックをしている間に、コクピットに座る。コクピットは舟体後部にあり、主操縦席と、後ろに2席の補助操縦席がある。もっともかおるは誰かを乗せて舟を出すことは少ない。


 かおるも操縦系統や表示系統の確認をする。左右のペダル、レバー、フィンガーコントロール、ソフトシェルスーツとの接続、手元の情報窓の起動時表示確認画面、オーヴァルモニタ……異常はない。大丈夫そうだ。以前よりやや硬めだが操作しやすい。さすが、錠一さんは腕がいい。


 オーヴァルモニタが透き通り、船外環境が透けて見える。

 見えているのは、旧市街のある内側の円筒モジュールのだ。中から円筒を見ると、幾つもの窪んだ溝が見える。かつてはそのひとつひとつを、中小の舟が行き来していた。もっと大型の船舶は、円筒端や外側に設置された大きな静止モジュールに接岸するか、内円筒の中を通って奥の静止モジュールに直接接岸する。


 かつてはカイルも、この溝を行き来する小さな貨客舟であった。時を経て、その主役の座を移したが、かおるのように好んで乗る者も少なくなかった。


 と、アラームが鳴った。

 『オールグリーン、異常ありません。ログは送付済みです』

 「ありがとう。行こうか。」

 かおるは、旧市街区管制にコンタクトをとる。


 「空域管理官、空域管理官。こちら旧市街0422-47-7313-カイル$A$1、飛行計画を提出する。プライヴェート航行空域の設定を求める」

 『0422-47-7313-カイル$A$1、こちらカレイズ前方空域管制管理官。飛行計画を受理、承認。許可します。プライヴェート航行空域を、AC-AE・50000-80000・0.1-0.9に設定。使用出発ルートはD-SL-47ライン、軌道詳細を確認してください』

 「空域管理官、こちらカイル$A$1。詳細を受信、確認、了解した。」

 『カイル$A$1、こちらカレイズ前方空域管制管理官。以降、準備が出来次第、カレイズ前方軌条管制管理官へ交信せよ』

 「空域管理官、了解した。直ちに待機状態へ移行し、整い次第、軌条管理官と交信する」


 ……と、管制とやりとりはするものの、実際にはカイルと管制の間で情報のやりとりのほとんどが行われている。

 前方に広い領域をとってくれた。ありがたい。


 ボーディングゲートが閉まっていること、ハッチが封鎖されていることを確認、ボーディングを切り離す。

 接舷拘束を解き、カイルが岸壁設備を軽く把持する程度にする。


 「じゃ、いこっか」

 かおるは若干緊張する。カイルの把持をフリーにし、スラスタを吹く。岸に対して姿勢が静止するよう維持しながら、距離をとった。

 周囲に船や障害物がないか、最終確認。エンジンを噴かす。すかさずコリオリの力を修正、姿勢を維持しながら、建造物の間隙すきまを進んでいく。


 周囲の監視も含めて、大部分はカイルが自動でやってくれるし、旧市街側のシステムのサポートもあるが、やっぱり、回転による擬重力の働く街と、働かない自分の舟、それに他の舟の存在は、どうしても多少は緊張を強いるものだ。


 「軌条管理官、軌条管理官。こちら0422-47-7313-カイル$A$1。D-SL-47ラインルート、軌条への移行を求める」

 『0422-47-7313-カイル$A$1。こちらカレイズ前方軌条管制管理官。軌条59を割り当てます。付近に関連する船舶及び物体なし。速やかに移行せよ』

 「軌条管理官、こちらカイル$A$1。軌条59への速やかな移行、了解した」


 今、かおるとカイルは、街に合わせてゆっくりと回転している。一方、宇宙空間に出るための軌条は静止している。回転する街と、静止する軌条、この間を移動するには、舟や街のシステムのサポートを得て、難しい操舵が要求される。


 まず、舟を進めながら180°回転させる。前後を保ったまま上下逆になるのだ。こうすることで街が上に、軌条が下になる。

 そして、下に見える軌条へ、舟を進める。軌条は舟から見て回転している。タイミングや必要な操作は舟や街のシステムが教えてくれるが、実際に操作を決定するのはかおる自身だ。

 軌条59が流れてくるタイミングを見て、必要な操作を確認する。スラスタを吹かして軌条に近づきながら姿勢制御をすればよい。


 ここで多少燃料を多く使っても、無事に軌条59に入ればいい……もしアプローチがうまくいかなくても、管制に連絡を入れれば再び設定してくれる……。


 果たして、かおるとカイルは、すぅっと軌条59に入ることができた。軌条はから、もう複雑な姿勢制御は必要ない。身体が浮き立つ。正真正銘の無重量空間だ。後は発着管制に従って飛び立つだけだ。


 「発着管理官、発着管理官。こちら0422-47-7313-カイル$A$1。軌条59よりD-SL-47ラインルート、プライヴェート航行空域への管制を要求する。」

 『0422-47-7313-カイル$A$1、こちらカレイズ前方発着管制管理官。そのまま軌条59を前進し、送付の諸元に沿ってD-SL-47ラインを進み、所定のプライヴェート航行空域へ到達せよ。』

 「発着管理官、こちらカイル$A$1。確認、了解した。このまま軌条を進み、約90秒後にD-SL-47ラインをプライヴェート航行空域に向かう。ありがとう。」

 『ボンボヤージュ!』


 慣性航行のまま、軌条59を進む。視界が開けてくる。特に電磁カタパルトなどというお洒落な設備はない。エンジンを噴かすだけだ。


 3・2・1・Go!


 予め指示された通りにではあるが、姿勢を徐々に変えながら螺旋状に、割り当てられた自由プライヴェート航行空域へと向かっていった。


 地球周回軌道といえど、充分、地球から離れているから、地球は案外小さく見える。それでも、日々様相の変わる地球は、美しく見えるのだった。対照的に、漆黒の宇宙空間は、足元に星々が躍るようで、温度を高くするのだった。


 そんな中、一筋の貨客船が見えた。軌道からして、地球からのお客さまだろう。きらきらきらめく車両もある。これは客船な車両だ。観光客かな。旧市街にも来るんだろうか……。楽しんでくれるといいな。


 そんなことを考えている間に、目的地に着いた。

 管制官が割り当ててくれた空域は、地球周回軌道衛星基地「カレイズ」前方のはずれだった。ここなら自由に舟を飛ばすことができる。


 まずは舟の様子の確認だ。

 エンジン出力を徐々に上げていく。シートに身体が圧しつけられ、沈み、身体が軋んでいく。Gがとても心地よい。

 空域の端の方まで来ると、エンジン出力を落とす。今度は身体が浮く。舟のスラスターを吹き、縦に180°回頭させると、再びエンジン出力を上げながら、螺旋状に一点を目指して加速する……。


 大丈夫そう、カイルは絶好調だ。ようし、遊ぶぞ!

 上下左右にも身体が振られ、様々な軌跡を描く。美しい軌跡や力強い軌跡、緩急のある加速、真一本な加減速……頭の上では天球がぐるぐると周る。かおるには、これらがとても楽しくたまらない時間なのだった。


 一頻り《ひとしきり》遊ぶと、疲れを感じ始める前に、かおるは旧市街の家に戻ってきた。


 「ママ、やっぱり錠一さんさすがだね」

 「お帰り。そうでしょ?あの錠一さんだもの。お礼言った?」

 「あ、まだ。いま送るよ」

 かおるは自室へ戻り、メッセージを打ち始めた。

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