第2話 魔法(レベル1)

「私の名前は、りあ。あなたのお名前は?」

「え? ああ……そうだな、アリックスと呼んでくれ」

「じゃあ、アリックス。何が知りたい?」

 私が訊ねると、アリックスと名乗った子どもは、今度は袖なしの上衣の胸元をごそごそと探り、ひと巻きの紙を取り出した。

 目の前で開かれたそれからは、ふつうの紙のそれとは違う、一種独特の臭いが立ちのぼる。

 色はやや黄土色じみていて、しわの寄りかたも画用紙などとは異なるように見えた。

 獣皮紙ペルガメノかな。私は思った。本物だとしたら、かなり珍しい。

 そして、その紙の片面には、文字と図形がインクで記されている。

 中心には、大きな円。その弧に沿うように、踊るような飾り文字がそれぞれ二、三行ずつびっしりと書き込まれ、円の内部には、さらにちいさな円と、文字や記号の組み合わせが詰め込まれている。

 その中央の円の四方にもちいさめの円がひとつずつ配置されており、それらの中には、それぞれ異なる記号が大きく書かれ、その周囲に微小な文字が散りばめられていた。

 記号と文字の中には、ときどき、赤や黄色、緑、青に彩色されているものがある。

 これは……?

「これは、『古竜の鱗』という書に見出される図版のひとつだ」

 私が訊く前に、アリックスが言った。

「『古竜の鱗』には、各地にいくつもの写本があることが知られている。もしこの国の王の蔵書にその写本が含まれているのなら、この図版が描かれている一葉を確認したいと思ったのだ」

 なるほど。

 それは結局、利用者登録をしなければ無理なことのように思えたけれど、とりあえず私は「古竜の鱗」という書名に聞き覚えがなかったので、自分の端末のモニターに開いていた電子カタログの検索画面にその文字列を打ち込んでみた。

 ヒットはなかった。

 ふむ。

 次は、ふつうの検索エンジンを使ってみるか、それとも、統一カタログを検索してみるべきか。

 そう考えたところで、私はふと思いついてアリックスに質問した。

「その『古竜の鱗』の綴りは分かる? ここに書いてもらえるかな?」

 私がカウンターの上の紙片と鉛筆を押しやると、アリックスは、手に取った鉛筆をしばらくの間、眺めまわしたあとで、紙に何回か試し書きをし、それからようやく、二つの単語をしたためた。

 書かれたのは流れるような筆記体で、私はその解読にまず若干の時間をかけなければならなかった。

 最近は、日常的に筆記体を使う人はほとんどいない。

 近代前期の手稿や手紙の目録作業を学ぶ授業を取ったばかりでよかった。

 いつ、どこで、どのようなスキルが役に立つかは、本当にわからないものだ。

 そして、読み解いた綴りは……。

 ……これは、古典西方語か何かだな。

 図書館の電子カタログが保持している書誌には、正式な書名の他に、一般的な通称や訳題といったものが付け加えられていることが多い。

 様々な検索アプローチに応えられるように、ということではあるのだけれど、綴り間違いの修正が入ったりするわけではないので、あまりに微妙な違い――たとえば、古典西方語を現代語の綴りと語順で入力したような場合――は拾うことができない。

 古い書籍や外国語の資料を検索するときには、意外とコツが必要だったりするんである。

「お」

 実際、アリックスが書いてくれた綴りで検索すると、所蔵資料が一件、ヒットした。

 だけど、それは……。

「こんなの、ウチにあったんだ」

 私は、検索結果のリンクをクリックしながら、思わず口にした。

 発行年のところに、第十二百年紀ひゃくねんきと表示されている。九百年近く昔の本だ。

「あ、あるのか?」

 私のつぶやきを聞きつけたのか、アリックスが身を乗り出すようにして訊いてくる。

「あるには、あるのかもしれないんだけど……」

 私は、言葉を濁しながら、画面に表示された配架場所とステータスに目を走らせた。

 『保存・電子化作業室』、そして『請求不可』。

 まあ、そうだよね。私は思う。

 それほど古い本だったら、何らかの処置が必要なことも多いだろう。

 それに、たとえ閲覧可になっていたとしても、たぶん、利用者登録以上の手続きが必要だ。

「でも、可能性はゼロじゃない、かな?」

 私は端末のモニターに別の画面を呼び出した。

 館内の他の部署のレファレンス担当者と文字メッセージをやりとりするためのウィンドウだ。

 運がいいことに、貴重書・手稿コレクションの担当者は在席になっており、「忙しい」のマークもついていない。

「ちょっと待ってね」

 私はアリックスにそう告げると、画面に打ち込んだ。

『ロビーのヘルプデスクです。お時間よろしいでしょうか』

 すぐに返事が返ってきた。

『大丈夫だよー。何?』

『「古竜の鱗」って、そちらの部屋の本ですか?』

『うん』

『カタログだと作業室に一時配架中になってるんですが、何の作業中なのか分かりますか?』

『電子化と、同時並行で修繕中』

『それだと、閲覧とかは全く無理ですよね。やっぱり』

 そこでしばらく、相手方からの返答が途絶えた。

 アリックスにどう説明したらいいものか。

 私が思案していると、メッセージ画面に新たな一行が加わった。

『どういう状況? 今日までに電子化が終わってる分なら、内部サーバに画像があるけど』

『本当ですか! 館内レファレンスに使えないかと思ったのですが』

 またしばらく間があって、返事があった。

『遠隔複写や新規の画像化依頼なら料金が発生するから依頼フォームに誘導して。館内レファレンスだけならいいよ。必要なページがあればだけど』

「おおお」

 それは心の声のつもりだったはずなのだけど、実際には自分が思った以上の大音量で外に漏れてしまったようで、目の前のアリックスだけでなく、隣席の同僚と、彼女と話をしていた利用者までもが不思議そうに私のほうを見た。

 私は目を伏せて、咳払いをしてごまかした。

『どのページがいるか教えて』

 おっと、そうだった。

 新しく追加されたメッセージで、私は訊くべきことを思い出す。

「アリックス、その図版が『古竜の鱗』の何ページに出てくるかって、分かるかな」

「ペ、ページ?」

「うん。本にはだいたい、ページ番号というのが振られているはずだけど……」

 ん、待てよ?

 さっき見た書誌レコードを信じるならば、『古竜の鱗』は、すくなくとも中世、あるいはそれ以前に書かれた手稿本だ。

 そういうのにページ番号なんてあるんだっけ。

 それに、アリックスが手にしているのは、その機械的な複写(コピー)ではなく、手で書き写したものか、もしかすると実際の写本の一ページとか、そういうものだ。

「……その紙、もう一回、見せてくれるかな」

「構わないが」

 アリックスはカウンターに獣皮紙を乗せると、両端を手で押さえた。

 改めて見ると、その紙は、やや横方向に長いかもしれないけれど、ほぼ正方形だった。

 冊子本のページであるにしては、変則的な形だし、サイズもたぶんちいさすぎる。

 念のため、上下の端や四隅を確認してみたものの、数字のようなものは見当たらない。

『ページ番号が特定できないので、画像を送りますがいいでしょうか。アドレス教えてください』

 私はメッセージ画面にそう打ち込むと、電信手机スマートフォンを取り出した。

「もうちょっと、広げたままにしておいてね」

「わかった」

 背面カメラで写真を撮り、手机の電信ソフトを起動して、端末のメッセージ画面に送られてきていた宛先を入力して送信する。

 しばらく待っていると、端末のほうに新たな文字列が表示された。

『これかあ。わりと有名な図版だから、これなら前に遠隔送信用に作った画像もあるよ。送ります』

『助かります! 端末変えたいので、さきほどの画像に返信しておいてもらえますか?』

『了解』

 そこまでのやりとりを終えて、私が端末から目を上げると、アリックスと視線がぶつかった。 

 その顔には、半信半疑、という表情が浮かんでいるように見える。

「今ので、何かが分かるのか?」

「うん、ばっちり」

 それから私は、エントランスホールの片側の壁際に目を向けた。

 そこには、モニターが据え付けられた、電子レファレンス用のブースがある。

 予約でいっぱいのときもあるけれど、今日はいくつか空きがあるようだ。

 私はその方向を指で示し、アリックスに言った。

「あそこにあるテーブルの、どれかひとつに座って待ってて。すぐに行くから」

「あ、ああ」

 端末からログアウトし、同僚たちの席の後ろを通ってカウンターの外に出る。

 アリックスが選んでいた入口近くのブースに行き、モニターの電源を入れて、キーボードを引き出してログインする。

 電信ソフトを起動して、送られてきていた画像へのリンクをクリック。

 すると画面には、複数の円と、文字と、記号が組み合わされた図像が浮かび上がった。

「本そのものは、今ちょっと見られないんだけど、これが、当館所蔵の『古竜の鱗』の、その図のページなんだって。合ってるかな」

 アリックスは、一度懐にしまっていたらしい巻いた獣皮紙を再び取り出して、くるくると開き、何度も画面と見比べた。

「うん……。合ってる。合っているな。ただ、この円の、右下の文字を確認したいのだが……」

「それなら……」

 私は、アリックスの手に指示装置ポインティングデバイスを握らせた。

「ここを回したら、拡大と縮小ができるし、こっちを押しながら動かせば、見る範囲を変えることができるよ」

「すごい……」

 アリックスは、しばらく指示装置をぎこちなく操っていたが、やがて、画面を凝視したまま、こうつぶやいた。

「魔法、だな」

 そう、これは、魔法だ。

 私も、先達や、先輩や、同僚が使うところを何度も見てきた、図書館司書ビブリオテキストの魔法。

 そして、まだ図書館学修士課程の学生で、この図書館では実習生である私でも、どうやら、その魔法を使うことができたらしい。

 もちろん、レベル1魔法ぐらいではあるわけだけど。

 自己満足と言われたら、それはそうなのだけれど、自己満足だって満足のうちだ。

 私は、言いようのないうれしさに包まれた。

 だって、そういうことだと思っていたのだ。

 そのときは。

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高度に発達したILLは魔法と区別がつかない(仮) ギルマン高家あさひ @asahit

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