高度に発達したILLは魔法と区別がつかない(仮)

ギルマン高家あさひ

第1話 出会い

 朝から降っていた霧のような雨が止むと、石畳の街に午後の光が差し込んだ。

 私は、エントランスホールの奥のカウンターの中から、正面のガラス扉越しに、次第に明るくなってゆく表の広場プラザと、そこにたむろし始めた人々を眺めていた。

 そのときだった。

 人混みからふと外れた、小柄な人影がひとつ、扉に続く短い石段を昇ってくるのが見えたのは。

 その人物は、全体重を預けるようにしてガラス扉を押し開けると、できた隙間に体をねじ込んで、エントランスホールに入ってきた。

 私は、半ば無意識のうちに、自分の左右に目を走らせた。

 右手に三つ、左手にひとつあるヘルプデスクは、すべて利用者に対応中だった。

 つまり、手が空いているのは、自分のところだけ、ということだ。

 それからもう一度、入ってきたばかりの人影に視線を戻すと、その人物は、天井やフロア内のあちこちに目を向けながら、ホールの中ほどまで足を進めてきていた。

 物見遊山のついでにちょっと入ってみた、という観光客といったふうでもなさそうだ。

 いや、それに、見物だけが目的の人にでも、とりあえず声はかけるように、ということにはなっている。質問があるかもしれないしね。でも……。

 子どもは得意じゃないんだけどな……。

 私は心の中でだけそうつぶやくと、笑顔を作ってカウンターの中から手を振った。

「質問があるんだったら、こちらにどうぞ」

 言い訳を許してもらえるなら、私は決して子どもが嫌いだとかそういうわけではない。 

 むしろ、以前は、児童サービスや青少年ヤングアダルトサービスに進もうと考えていたこともあるほどだ。

 だけど、この国で日常的に使われている言葉は、私にとっては第三言語なのである。

 大学院の教員や学生、実習先の職員、それに街中の商店の店員さんといった大人たちは、だいたい留学生や外国人という存在に慣れているので、そのことにそれなりに配慮してくれるか、少なくとも許容はしてくれる。

 ただ、子どもというのはそうではない。

 ネイティブスピーカーの大人と話すのと変わらぬ速さでしゃべりかけてくるし、こちらの発話の訛りなどに対する許容度も低い。

 それに、この図書館での実習は今学期始めたばかりで、まだ、すべての説明をすらすらこなせるわけでもない。

 だから、最近の私は、子どもが少し苦手なのだった。

 いや、本当に、少しだけ、ね……。

 それはさておき、その子どもは、まだきょろきょろと周囲を見回しながらカウンターに近づいてくると、こう言った。

「ここは、どういう建物なのだ?」

 おっと、そこからか。私は思う。

 言葉には口の中にこもるような、この街ではあまり聞いたことのない訛りがあったけれど、幸いにして聞き取りにくいということはない。よかった。

「図書館ですよ。ウルボ・アプド=マーロ王立図書館」

「王立……図書……それはつまり、王の蔵書を収める施設ということか」

 この国――ウルボ・アプド=マーロは都市国家であり、ちいさいながら立憲君主制を敷いている。

 そして、王立図書館は、他国であれば国立図書館や議院図書館などと呼ばれる組織と同等の機能を持つ図書館だ。

 たしかに元は王家の書庫を市民に公開することを目的として作られたものなので、「王の蔵書」という表現は、間違いではないかもしれないが、現状に照らし合わせると正しくもないのである。

「そうですね……」

 相槌を打ちながら答えを考えていた私は、その子の目が急に輝きだしたのに気づいた。

 これは、何か誤解しているかもしれない。

「昔、王さまたちの蔵書だった本も、もちろん収蔵しています。ほとんどは、今は貴重書コレクションの一部だけどね。現在は、国王家とは直接の関係はなく、国の予算で運営されていて……えーと、この国で出版される本と、外国のことを研究するために必要な本を集めている、という感じかな。だから……」

「その本を読むことができるのか?」

 私の説明が伝わったのか伝わらなかったのか、子どもは目をきらきらとさせたまま訊いてくる。

 私は、改めて、その子を観察した。

 頭には、ハンチングのような形の、大きめの帽子をかぶっている。

 髪は、その中に隠れているのか、それとも元々それほど長くないのか、ほとんど見ることができなかった。

 ただ、やや太めの眉毛は淡い亜麻色だったので、髪の色はそれと変わらないのだろう。

 目は、少し灰色がかった青。

 これはこの地方の子どもにはよくある組み合わせで、大人になると、個人差はあるものの、髪の色が若干濃くなったり、瞳がより灰色になったりする。

 服は、やや垢じみた雰囲気の詰め襟ワイシャツのような白シャツの上に、膝あたりまでの丈がある袖なしの上衣を着け、その腰のあたりを太い革ベルトで止めて、さらに、肩の上から灰色っぽい布を羽織っている。これは、毛布のような一枚布なのかもしれないし、外套のように襟や袖の形をつけたものかもしれなかったが、身に着けた状態ではどちらとも判断できなかった。

 脚にはニッカーボッカーのような七分丈くらいのズボンを裾を絞って履いており、その先は靴下の中に押し込んである。足元は革サンダルのようなものだった。

 近くで見ると、背の高さから考えていたよりもやや年上ではあるようで、ここまでのやりとりでは、口調もしっかりしたものだった。

 それでも、十四、五歳ぐらいかな。私は推測した。それだと……。

「ここは研究図書館なので、閲覧には利用者登録がいるんですよ。登録するには十八歳以上である必要が……」

「じゃ、じゃあ、十八歳だ」

「……ええと、身分証はありますか?」

「身分……?」

「運転免許証とか学生証とか、それか旅券とかがあれば」

「うう、えっと、誰だか分かればいいんだな」

 子どもは、腰の後ろに両手を回してもぞもぞした。

 そこに、小型の鞄のようなものをいくつか着けているようだ。

 しばらくして私の目の前に差し出されたのは、だが、カードや冊子体のものではなく、卵形で、大きさは鶉の卵ほどの、濃い緑色の物体だった。

 ガラスか宝石の類いなのだろう、深い緑をたたえているわりには透明感のあるその物体の表面には、金色の線が埋め込まれている。

 その線が形作っているのは、どこかで見た記憶のある紋様だ。

 だけど、どこで見たことがあるんだったかな。それに、この形は……。

「蛇? カタツムリの頭?」

「竜だ。ここに翼があるだろう?」

 ああ、だいぶ意匠化されているけど、そうなのか。

 ……いや、そうではなくて。

「残念だけど、それは登録には使えないかな。生年月日とか、住所とかが書いてあるものじゃないと」

「む、そう……か」

 子どもは、のろのろとした動作で「身分証」を鞄に戻した。

 さきほどまでとは打って変わって、その顔は沈んだものになっている。

 うーん。

 私は考えた。

 こういうときの定石は、たぶん、自由図書館ビブリオテコ・リベレコを案内することだ。

 新市街のほうにある自由図書館は、要は公共図書館であり、専門性には欠けるかもしれないけれど、書庫も開架だし、資料の閲覧だけなら身分証を使った登録もいらない。

 だけど、この子は、これまで図書館という場所に入ったことがなさそうにも見える。

 この国の小学生や中学生にそういう子どもはほとんどいないはずではあるのだけれど、言葉の感じからすると、移民だったり一時滞在者だったりするのかもしれない。

 だとしたら、ただ自由図書館の場所を教えるだけではあまりに不親切だ。

 資料の探しかたも分からないだろうし、まあ、自由図書館にもレファレンスデスクはあるのだけど、優しい担当者に当たるかどうかは運次第なところもあったりもする。

 それなら、たぶん一期一会の偶然の出会いではあるけれど、この子の図書館との初めての出会いを幸せなものにしてあげるのが、私が果たすべき役割なのではないだろうか。

 ……え? 子どもは苦手って言ったじゃないか?

 まあ、苦手ではあるんだけど、それには特定の理由があるだけだし……。

 それに、とにかくこのときの私は、ちょっとした使命感に目覚めてしまっていたのだ。「登録ができないと閲覧室に入ることはできないけど……もし何か知りたいことがあったんだったら、ここで答えられる範囲のことなら答えるよ?」

 規則的にも、それは問題のないことのはずだった。

 たしかに、このカウンターで対応する案件の多くは閲覧室内のより専門的なレファレンス担当者への取り次ぎや、所蔵資料の請求と閲覧を前提とするものが多いけれど、さっき言ったように、観光客の質問に答えることもあるし、最終的には自由図書館を紹介することになるときだってある。

 別に、登録利用者以外を助けてはいけない、とは決まっているわけじゃないのだ。

「本当か」

 私の言葉に、子どもは、ぱっ、と笑顔になった。

 うん。やっぱりいい判断だった。

 そのときは、そう思ったのだった。

 そのときは。

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