第7話 飛翔
男のダンスはうまかった。ウルペース家付きのダンスの講師よりも、当然私よりも、遥かにうまかった。
彼の靴は誰よりも高く音を鳴らす。誰よりも高く宙を舞う。誰よりも広く手を広げ、誰よりも快活に笑う。そこにいるだけで周りの人間の視線を惹きつける。
「さあ、本日は無礼講です。楽しく参りましょう」
しかしそのダンスは、余りに奔放だった。
彼のリードする腕は私の身をホールに乱雑に投げ、風を切るように引き寄せる。私の足を踏み抜くのではないかという鋭さで床を踏み、その勢いのまま彼は既に次の動きに移っている。
速く激しく、厳しい。周りの様子を窺うどころか、気を抜けばステップを確認するために目線が下がってしまう。
「いやはや、流石はかのウルペース家ご令嬢。ダンスもお上手でいらっしゃる」
「ありがとう、ございます」
肩を抱かれるタイミングで強制的に目線が上がり、目の前に男の顔があった。近い、近すぎる。鼓動が早い。頬が熱い。ああ、近くで見てもやっぱり顔がいい。違う、そうじゃない。自分でもわかる。私は今、通常の状態じゃない。頭がぐちゃぐちゃだ。
男は涼しい顔で続ける。
「先ほどの貴族のご子息ご令嬢方とのやり取り、見ていましたよ。貴族の令嬢というのは打たれ弱いイメージがあったが、いやはや中々強かなものだ」
「お恥ずかしい所を……お目汚し、失礼いたしました」
「いえ、感心したくらいですよ。貴女には強い目的意識と、行動力がある。それに興味を持ってお誘いしたくらいでして」
「恐縮です」
彼の顔をまともに見られない。せわしなく動く足に、手に全神経を集中させる。
「だがそこに君の意思はない」
今の言葉は、誰が言った。
目の前の男の顔を見ると、優しい目元も、通った鼻筋も、穏やかな微笑も先ほどまでと何ら変わりない、ように見える。
だが、何かが違う。
男は形の良い唇を歪める。
「公爵家長女だから、王子の婚約者だから、魔王適正が低いから。そんなどうでもいい条件ばかりを勘定して、君は自分で世界を狭めている」
「なに、を」
何を言っているのだろう、この男は。
「正直に言えば良い。なぜ王子は自分を認めないのか。なぜ家族は守ってくれないのか。なぜ『魔法適正』なんて一つの要因で人生を決められなければならないのか。なぜ平民ごときに王女の座を奪われるのか」
その穏やかな顔に似つかない台詞を、男は平然と言い放つ。
「エミリアなど、死んでしまえばいいのに」
曲は終盤に差し掛かっていた。ターンのために男との距離が限りなく近づくが、今度は嫌に体が冷えている。頭が冷えている。
「感情は考えるものじゃない、自然に生まれるものだ。本来人間なんて、生物なんて。極めてシンプルで単純なものだよ。余計なことを考えるから自分の人生すら自分で選べなくなる。君のように」
私は自分の人生を選んでこなかった。果たしてそうなのだろうか。選んでいたようで、狭い世界の中選ばされていたのだろうか。
「だからいいんだよ。思うことも願うことも、生物には等しく許される。
エミリアを殺して自分は生きたいと、願っていいんだよ」
「私は」
私は。口の中でもう一度その響きを確かめる。私はヘレナ・ウルペースとしての選択を14年間、迷うことなくしてきた。
しかし思えば、私は何かを選んだことがあっただろうか。
一つとしてない。自問に対する答えはすぐに返ってきた。
ならばやはり答えは決まっている。
「生物である前に、人間である前に、私は公爵家長女ヘレナ・ウルペース。誇りを捨てるくらいなら、死を選びます」
「そっか」
曲が終わる。音楽隊はクライマックスに向け息を吸い、指揮者は力をためる。男の細腕が私をふわりと抱える。ターンして、フィニッシュ。
最後に私が見たのは、二つとない美しい笑顔だった。
「じゃあ、一回死んでみようか」
私は男の腕から投げ出され、空を飛んでいた。
婚約破棄の悪役令嬢、きまぐれ悪魔に魅入られる。 あおだるま @aodaruma
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