第6話 舞踏会の出会い
ウィンクルム魔法学園は、由緒正しき学園だ。
歴史は実に500年。学園の規模も国内最大であり、初等部、中等部、高等部合わせて1200人もの学生が在籍している。
ここまで歴史が長いと、それに伴って多くの「しきたり」というものも生まれる。
曰く年に一度は全校生徒で武と魔術を競い、優勝者は一つ願いを叶えられる。曰く新入生の歓迎日には学園秘蔵の酒が振る舞われる。曰く校門前の「セラリア」が咲き乱れる時期には学園外からも人を招き、宴を開く。
これらのしきたりは学園側が認知し実行しているため、その影響力から創始者が考えたものと噂されている。それにしても、この学院にはこの手の行事が多すぎる。私は創始者が単に重度の享楽主義者だったに違いないと思っている。
しかしここに、今挙げたものより余程悪質なしきたりがある。
「素晴らしい足運びだった。上達したね、エミリア」
「いえ、カニス様のリードのおかげです」
曰く、学年の節目には舞踏会を開く。
音楽隊は一曲目の演奏を終え、ホールの中心で華麗なステップを踏んだエミリアとカニスを、割れんばかりの拍手が包む。カニスは堂に入った様子で手を上げそれに応え、エミリアはペコペコと頭を下げる。
対照的な二人が微笑ましく映ったのだろう。そこかしこから女子の黄色い声、男子の囃立てる声、高い指笛の音まで聞こえ始めた。
その中に混じって、ヒソヒソと仄暗い話題も聞こえてくる。
「おいあれ……」
「ああ、例の『泥沼令嬢』だ」
「しっ、聞こえるぞ」
「構うかよ。親父たちが仲間内で話してたぜ。あれ、修道院行きだってよ」
「ほー。未来の王女を殺しかけといてその程度か。よくまあこんなとこに来れたもんだ。魔法適正1の分際でなぁ」
「いい気なもんだよ、公爵令嬢様は。どの面下げてこんなとこに来れるのか、下々の者にはとても分からん」
私と彼らの距離はかなり離れているはずなのだが、それでもしっかりと彼らの言葉は聞こえてくる。
「あら、失礼」
次は近くで談笑していた令嬢三人組。彼女らはわざとらしく声を上げ、ワインをこちらに傾ける。あっという間にドレスに赤黒い染みが広がる。クスクスクス。はっきりと彼女たちの嘲笑の声が聞こえる。
「酷い格好ですね。着替えてきた方がよろしいのでは?」
「そうそう。せっかくの黒髪に映える薄紫の衣装が台無しですわ」
彼女らの嘲笑は周りにも伝染し、いつの間にか私の周りには人だかりができていた。嫌悪、侮蔑、嘲りの視線が私に刺さる。
さて、ただでさえくだらない舞踏会。予想通りろくでもない展開になったが、ここでの私の役割とは何か。
私は周りの貴族たちを一旦視界から外し、ボーイに声をかける。
「申し訳ありません。そのワイン、ボトルごとくださるかしら」
「……は、ボトルで、ですか?」
「二回同じことを言うのは嫌いよ」
「は、はい!どうぞ!」
「ありがとう」
ボーイからボトルを受け取る。ボトルの中身は半分ほど残っている。ドレスのワインのシミは、腰の部分を少し濡らす程度。
ごめんなさい。
謝罪と共に、私はボトルのワインを自分のスカートにぶちまけた。
「これで少々マシになったでしょうか」
シン。舞踏会を一瞬の沈黙が包み、徐々に私を囲む輪は霧散していく。その顔は皆つまらなそうだ。去り際に「大人しく玩具になっとけよ」という声も聞こえた。はいはい、気の利かない玩具で申し訳ありません。
実際集まっていた人間のほとんどは、物見高さに輪を作っていたのだろう。没落貴族の惨めなところを見物したい、と言うところだろうか。上等だ、好きなだけ見て行けばいい。私はそのためにここにいる。
でもそれは貴方たちのためじゃない。惨めさもみすぼらしさも愚かさも、全て私のもので、私のため。
私とウルペース家にもはや関係はない。残された少ない時間で私にできるのは、精々そう喧伝することのみだった。
しかし。赤黒く濡れたドレスを見下ろし、思わずため息が出る。
我ながら少々馬鹿なことをした。ドレスはワインを吸って重くなっているし、肌に直接張り付く感覚が気持ち悪い。赤ワインの濃い匂いでむせかえりそうだ。アルコールで頭も少し重くなってきた気がする。
ちっぽけなプライドを通すための対価は、いつだって高くつく。
そんな陰鬱な気分を吹き飛ばすように、ホールに音楽が響いた。
音楽隊が二曲目に鳴らした音楽は、少し離れた島国の音楽。民衆のダンスをもとに取り入れられた活発な宮廷ダンスだ。普段この国では厳格なダンスが好まれるが、今日は創始者お墨付きの無礼講。こんなものも流れるだろう。
少しだけ気が緩んだ瞬間。
「一曲いかがですか、お嬢さん」
誘いは突然だった。私は声の方向を見上げる。
声の主は、真っ白な男だった。純白のタキシードに、純白の髪。ご丁寧に両手には純白のグローブ。唯一黒いのはその深い瞳のみ。
黒髪で紫のドレス、みっともなく汚れた私とは何もかもが対照的だった。
彼の顔を子細にみて、更に息をのむ。まっすぐに通った鼻筋、完璧な顔のライン、大きな目にかかる長いまつ毛。気持ち悪いほどに左右対象に整った顔のパーツ。
私はここまで美しい存在を、見たことが無かった。
「ええ、ああ、はい」
間抜けなことに、気づけば私の口は男の誘いに応じていた。
何かに見惚れることなど、生まれて初めてだった。
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