第5話 兄、マリウス・ウルペース
教室を出て廊下を歩いていると、知った顔と鉢合わせた。
「おお、妹よ。学校で顔見るのは久しぶりだな。元気にしていたか?」
「お久しぶりです、マリウス兄様。おかげさまで何不自由なく」
「それはそれは、なによりだ」
ウルペース家次男マリウスは私の礼に鷹揚に頷き、金糸のような金髪がふわりと揺れる。
「今日は何か用事だったのか?」
「ええ、こちらにいくつか荷物を置いていたのでそれの回収に」
「従者も連れずに、か」
私の引いている大荷物にチラリと目をやり、彼はため息を吐く。
「まあいい。なら「例の件」についての結論はでたってところか」
間違いなく婚約破棄、エミリアへの殺人未遂のことだろう。
「はい。少なくとも私と父上の間では」
「それはお前の納得のいく結果か」
「私の意思など大した問題ではありません。罪にはそれに見合った罰が与えられる。それだけです」
マリウスの顔が苦み走る。
「この期に及んでそれか。お前は――お、兄上!これはいい所に」
また知った顔が通り過ぎ、マリウスは声を上げる。
「ああ」
長男アルゲオはマリウスを一瞥し軽く手を上げる。私には一瞥もくれることはない。去ろうとするアルゲオの背中に、マリウスは声をかける。
「兄上、ヘレナの顔は二度と拝むことはないかもしれません」
「マリウス。私に妹はいない」
彼は振り向くこと無くその場を立ち去った。マリウスはガシガシと頭を掻き、肩をすくめる。
「ったく、大概だな。あの堅物も」
「お兄様は何一つ間違っていませんよ」
私の言葉にマリウスは大きくため息を吐く。
「ま、お前と兄貴は似てるからな。だが、決定的に違うところもある」
「へぇ。どこですか」
私の問いにマリウスは人差し指を立てて答える。
「兄貴の考えていることは分かる。ありゃ正真正銘堅物だ。父上と同じさ。世の中は白と黒の二つだけでできていると思っているし、それ以外を認めん。だがお前はよくわからん」
「私にとってはマリウス兄様の考えていることの方がわかりませんけどね」
彼の軽い口調も態度も、とてもウルペース家の血筋とは思えない。しかし体術も魔法も学年でトップを譲らないというのだから、これまたよくわからない。
座学に関しての成績は今一つだが、本人曰く「歴史や国語必死にやっても飯は食えん」そうだ。その証拠に算術、科学、錬金術の成績は学校でも並ぶ者はいない。
彼は私の軽口を微笑で受け流す。
「ほら、そういうとこだ。清濁併せ持っているかと思えば、よくわからんところで意固地になる。正直言えばお前の魔法適正が1だと知った瞬間、お前は王子の婚約者を辞退すると思ってたよ」
「ああ、私も流石に王子の婚約者からは外されると思ってましたから。ラッキーでしたね」
「他人事かよ……」
マリウスは眉を顰め、こめかみを押さえる。
「それでいて今度はやってもない罪に問われ、平民に婚約者の座を奪われる。なぜお前は何も弁明をしない。兄貴や父上じゃなくても、ここまで理不尽な目に遭えば普通は何か言いたくなるだろ」
真っ直ぐに私を見るその碧眼に、私は少し言葉に詰まる。マリウスが冤罪に気づいているのは何となく知っていた。彼は聡い。私などよりよほど物事の本質も全体像も見えている。
しかしどこか浮世離れした、我関せずの態度を一貫しているところもある。ここまで直球に聞いてくることを予想してはいなかった。
「負けた上に言い逃れすることこそ、恥の上塗りではありませんか?」
「論点をずらすなよ。正当な弁明のどこに恥がある」
「それでも、結果は変わりません。私は冤罪にではなく、エミリア個人に対して負けたからです。だから地位も名誉も失う。それだけです」
私は早口に言い切った。常になくまっすぐなマリウスの表情に、しかしいつものようにどこまでも見透かされるような深い瞳に気圧されていた。責める風でもなく、困惑する風でもない。彼はただ私を観察していた。
どのくらいの時間が経っただろうか。彼は深くため息を吐き、ようやく一言漏らした。
「そうか」
「私は間違っているのでしょうか?」
「いや、お前は誰より正しい。冤罪すら誰のせいにもせず、正面から自分の負けを受け入れている。貴族の見本として飾ってもいいくらいだ」
でもな。彼は私から目を逸らす。
「その正しさは正直、気味が悪い」
常に飄々としているマリウスの表情からは、嫌悪感が隠しきれていなかった。
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