第4話 コロル・ニージュル

「ほほほ、これはこれは。どなたかと思えば、ウルペース家ご令嬢のヘレナ様ではありませんか。しばらく学校で見かけませんでしたから、てっきりもうカニス様との結婚の話が進んでしまってるのかと思いましたわ!」

「今日も化粧が派手ですね、コロル嬢」


 教室に入った瞬間、高笑いと共に金髪の縦ロールが揺れた。侯爵家の一人娘コロル・ニージュルは私の軽口に腰に手を当てたままギロリと目を光らせる。

 彼女の取り巻き三人はと言えば、ひそひそと何かを耳打ち合っている。まあどうせ私のことだろう。内容は想像したくもない。


「貴女に『嬢』などと呼ばれる覚えはありませんし、私の化粧は濃くありません」

「あら、愛らしい存在をそのように呼ぶことは当然ですし、もう少し薄化粧の方がコロル嬢は一層可愛らしくなると思いますわ」


 しばしきょとんとした後、コロルの顔が茹で上がる。髪をさわり頬を押さえ、しかし取り巻きからの視線を意識したのか何度か咳払いをし、私に向き直る。やはり可愛い。


「そ、そそ、そんな軽口がいつまで叩けるか見ものですわね。噂によれば貴女とカニス様の婚約は――」「――おはようございます」


 挨拶と共に教室に入ってきたのは件の女子、エミリアだった。


 彼女は私の顔を見て短く言葉を発し、こちらに足を向ける。しかしすぐに周囲の生徒たちに呼び止められ、あっという間に人垣ができた。


 彼らの言葉は聞かずともわかる。大半が私を下げ、エミリアを上げるおべっかであろう。今や王子の婚約者として最有力候補となったのだから、貴族の多くは彼女と繋がりが欲しいはずだ。私がずっと、王子と婚約した8歳の時から経験してきたことだ。誰よりもよくわかる。


 見ればコロルの取り巻き三人もチラチラと彼女に視線を寄越していた。彼女は小さくため息を吐き、顎で促す。


「いいわ。貴女方も貴族の娘。行ってきなさい」

「で、ですが……」

「いいから、行きなさい」


 コロルの言葉に彼女たちは素直に従った。貴族が平民に取り入る。一見異様な光景に見えるが、私が何者かの姦計によって落ちずとも、いずれはこうなっていただろう。私と彼女ではモノが違う。


 魔法適正1と1000の違いは、他の何をもってしても埋められるものではない。


「貴女、本当はエミリア様に害を成すことなどしていないのでしょう」


 思考は突然のコロルの声に止められる。私の返答を待つことなく、彼女の言葉は続く。


「貴女のことは誰よりもよく知っています。それこそ幼少の時から、ずっと。……わたくしは貴女ほど不器用な人間を見たことがありません。貴方が姦計など企てられるわけがない」

「さあ、どうでしょうね」


 肩をすくめる私に彼女は口を尖らせ、人垣のエミリアを眺めて目を細める。


「幼少の時と言えば、昔した約束、というか誓いを覚えてらっしゃいますか。ヘレナ」

「とはいっても色々しましたからねぇ、主に貴女から。やれ計算問題で勝った方が主人だ、やれ木登りで勝った方がボスだ、やれ魔術で勝った方が大賢者だ……」

「そ、そんな戯れの話をしているのではありませんわ!」

「では何の話ですか」


 コロルはフー、フーと深呼吸をし息を整え、呟く。


「どちらが先に王子様と婚約できるか」


 ああ、そんなのもあったな。


「わたくしは、貴女なら良いと思っていました。負けるのは悔しいし、本当に腹が立つし、私も王子様を憎からず思っていた。

でも常に気高く、美しく、努力を怠らず……馬鹿が付くほど真面目な貴女になら、その座を譲っても良いと本気で思っていました」

「買いかぶりですよ、コロル。公爵と侯爵。僅かですが、所詮身分の差です」

「では平民のエミリアにその座を奪われたのは何の差でしょう」

「才能の差です」


 私の即答にコロルは目を伏せる。


「ふふ、才能ですか。よもや貴女の口からそんな言葉が出てくるとは思いませんでしたわ」

「貴女はエミリアの才能を疑っている?」

「いえ。私含めこの学校の全ての人間は、彼女の才能を認めている。……いや、諦めている。魔法適正だけの話じゃありません。彼女こそ、神の祝福を受けた人間です」


 だからこそ。コロル嬢はほんの小さい声で続ける。


「だからこそ神に見放された貴女なら、いつまでも泥臭く、諦めることはないと思っていました」

「か弱い深窓の令嬢に随分な物言いですね」

「どの口が言うんですか。『泥沼令嬢』さん」


 『泥沼令嬢』。社交界で腹芸もできず、王子に取り入ることもなく、魔法もほぼ使えない。そのくせ座学や体術の能力だけをみっともなく積み重ねる私への蔑称だ。だからこそ私にはほぼ友人がいないし(欲しいとも思わないが)、今回の冤罪も身から出た錆と言う奴だろう。


「これからはどうするんです。まさかこのまま弁明もせずにされるがままなんてことは無いですよね?」


 どこか不安げに尋ねるコロルに、私は敢えて微笑を浮かべる。


「案外修道院もいい所らしいですね」


 私の返答に、コロルは目を瞠る。


「俗世間からもこんな面倒で競争し続ける貴族社会より、よほど暮らしやすい所です。静に神に祈り、仲間たちと共に寝食を共にし、平穏に緩やかに死に向かう」

「……本当にそんな生活に貴女が耐えられると思って?」

「ええ。だって」


 続きを自ら口にするのは、流石に少しためらった。


「あんな才能をもう近くで見て無駄な努力をしなくていいと思うと、肩の荷が下りた思いです」

「……そうですか」


 もう彼女は私を見ることは無い。足を教室のドアに向け迷うことなく進む。


「でも」


 ドアに手をかける瞬間、彼女の足が止まる。


 振り向いた笑顔は、驚くほど綺麗だった。


「私の死ぬまでのライバルは公爵令嬢、ヘレナ・ウルペースだけです。それだけはお忘れなきよう」


 ピシャリとドアは閉められ、教室にはエミリアへのおべっかと私への蔑みの視線だけが残る。私は手早く荷物を纏め、教室を後にする。

 その瞬間、今度はエミリアの憐憫の視線と目が合う。思わず歩を早めた。


 コロルの諦めたような笑顔、エミリアの憐れむような視線。


 諦めたはずの心が、なぜかざわめきだった。


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