ラスプーチンとアマビエ

増田朋美

ラスプーチンとアマビエ

ラスプーチンとアマビエ

今日も道子は、病院で患者さんたちの診察を続けていた。いつも、ぶっきらぼうで冷たい医者として評判の彼女だが、患者たちは、彼女のもとへ診察にやってくるのだった。いわゆる医師不足というのも、背景にあるのかもしれなかった。

その日、長谷川博という男性の患者が、初診患者としてやってきた。初診となると、何十分も待たなければならないというのが病院だから、その長谷川博さんは、ちょっと疲れた様子で、道子の前に現れた。

「今日はどうしましたか?」

道子が言うと、長谷川さんは、腰が痛くてしょうがないという。どこかにうったわけでもなければ、ぶつけたわけでもない。それなのに、腰が痛いので、女房によると、リウマチかもしれないからということで今日やってきたと語った。道子は、そんな長話を聞いている暇はないと言って、

「わかりました。では、血液検査と、レントゲンを撮ってみましょうか。」

とだけ言った。長谷川さんは、たったそれだけですかという顔付をしたが、道子はかまわずレントゲン室に行ってくれといった。あとは、検査技師に任せきりという感じで、道子は、彼の検査結果が出てくれるのを待った。

「そうですね。腰の関節に少し炎症がありますね。自己抗体も少し認められます。そのほか、目立った症状はありませんか?」

と聞くと長谷川さんは、腰以外わからないと答えた。

「あら、何もわからないのですか?」

と道子が聞くと、

「ええ、確かに、痛いところがあるんですが、どういったらいいのかわからないのです。僕、あまりべしゃりのほうは、得意ではないのでして。」

と答えた。

「まあ、自分の症状も、ちゃんと言えないようじゃ、医者としても、困りますわ。具体的にどこか痛いところがないか、教えてくれないと困ります。」

道子は、そんな答えを出した長谷川さんに、ちょっとお説教するように言った。長谷川さんはいくら考えてもわからないという顔をする。

「じゃあ、あたしの方から先に言いますね。肝臓にちょっと炎症が認められます。これはね、自己免疫が肝臓に炎症を起こさせているんです。だから、そこから総称して判断すると、軽いSLEということになりますね。お分かりになっていただけましたか?」

道子がそういうと、長谷川さんは、

「そうなると、僕は、どういう風になってしまいますでしょうかね?」

と聞いてきた。

「ええ、炎症を止めるために、免疫抑制剤を投与することになります。軽いSLEですから、現在の医療では問題にはなりませんよ。十分覚解して生きることは可能ですから、心配はいりません。」

道子は、形式的にそういうことを言った。

「えーと、お仕事は確か、建設業をやってらっしゃると言ってましたよね。それなら、体のために、あまり体を動かさない仕事に変えた方が、よろしいんじゃないかと思います。しばらくは、免疫抑制剤を服用していただくことになりますから、時間に余裕のある職場へ変えた方がよろしいと思いますよ。まあ、昔のように、致死率が高い病気ではなくなっていますから、それは気にせず、ちょっと仕事を変えるくらいの気持ちで、日常生活を続けてください。」

そんなこと、、、という感じの顔で、長谷川さんは困った顔をしている。

「長谷川さんどうしたんですか。そうしていかないと、病気とは、お付き合いできませんよ。すぐに治るというものではありませんから、仕事を変えるとか、そういうことは、当たり前のことだと思ってください。入院する必要もなかったし、それでよかったと、よい方へ考えて下さい。」

長谷川さんは、さらに困った顔をした。

「先生、僕はどうしてそんなことをしなければならない病気にかかってしまったんですかね。何か、いけないことをしたんでしょうか。だって、暴飲暴食をした覚えもないんですよ。それ以外に、何がいけなかったのでしょうか?」

「何がいけなかったとか、そういうことは、この病気には関係ありません。まあ、運が悪かったと思ってください。」

道子は、やれやれとため息をついた。

「運が悪かったって、そんなこと、考えられませんよ。僕は、ちゃんと仕事もやってきたし、不倫をしでかしたこともありません。それなのになんで、仕事をやめなくちゃいけないんでしょうか。」

長谷川さんは、いきり立ったのか、そう突っかかってくる。

「そんなものも関係ないですよ。仕方ないと思ってください。とにかく、この病気には、建設現場で働く何て、もってのほかです。ですから、速球に仕事を変えてくださいよ。」

道子が、そういい返すと、長谷川さんは、頭をだらっと垂れながら、

「アマビエでも出たんですかね。」

といった。道子は、はあという顔をした。

「僕、熊本出身なんで、小さい頃、妖怪の話を祖母がよく聞かせてくれたんですよ。熊本の海に出る、人魚みたいな妖怪で、疫病が流行るとか、そういうことを、予言したという。それが、僕のところにでも出たのかなあ。」

「バカなこと言うもんじゃないわ!」

道子は、バカにしたような顔で長谷川さんを見た。でも、長谷川さんの顔は真剣だ。そんなバカな都市伝説を、本気で信じるだろうか?そんな妖怪なんて、実在するものじゃないのに。

「はい、バカなことです。」

と、長谷川さんは言う。

「でも、どうして仕事を変えなきゃいけないほどの病気になったのか、まったくわからないから、こういうことを言っているんですよ。」

「まったく、いやな人。そんな子供だましの話を知っているんだったら、早くご家族にお話しして、健康第一を考えることね。じゃあ、免疫抑制剤を出しておきますから、それを忘れずに飲んでくださいね。それでは、かえってよろしい。」

道子は、処方箋を書いて、長谷川さんに言った。せめて、お大事にどうぞ、ぐらいの言葉は言ってあげたらいいのにと思われるが、道子はそれをしなかった。

そのあと、ほかの患者さんを何人かみて、道子の勤務時間は終わった。あとは入院している患者さんに軽く声をかけて、さっさと自宅に帰っていく。まったく今日は、あの熊本から来た人が、ばかばかしい話をするから、ちょっと気が抜けちゃったわ、そんな気持ちで、道子は自宅に向かって歩いて行った。

しばらく歩くと、自動販売機の前を通りかかった。自動販売機の前には、一人の女性がいた。その人が誰であるのかすぐわかったので、道子は、すぐに声をかけた。

「由紀子さん。」

道子がそういうと、そこにいた今西由紀子は、とてもびっくりしたようで、かぶっていた駅員帽を思わず落としてしまいそうになった。

「ああ、今晩は、道子先生。」

由紀子は、急いで、駅員帽をかぶり直し、道子に挨拶した。

「まあ、そんな格式張らなくていいのよ。あたしなんてまだまだ医者のはしくれだからね。それより、どうしたの、何か飲み物でも?」

「ええ、水穂さんが、お茶を飲みたいといったんですが、ちょうどお茶の葉が切れていたので。」

道子がそういうと、由紀子は、そう答えた。

「ああそう。水穂さんはどうしている?あれから、少しは良くなったのかしら?」

道子が、由紀子の話に、そう質問すると、

「容体は変わっていません。」

と、由紀子は答えるので、なんだ、そんなことか、と、がっかりしてしまった。

「そうなのね。なんだか力が抜けちゃったわ。まだ、布団に寝たきりのままなの?」

道子は今まで接してきた、患者さんと同じような態度でそういうことを言った。

「まあそうです。」

由紀子は、道子の言い方をちょっといやそうな顔をして、そう返した。

「そう、じゃあ、会いにいってもいいかしら。あたし、水穂さんのことがどうなったか、知りたいのよ。」

道子は、そういうことを強引に言う。由紀子も、えらい人である道子の頼みは断れないなと思ったのだろうか、

「ええ、どうぞ、いらしてください。水穂さんも喜ぶと思います。」

と言った。道子はやったと思って、由紀子と一緒に、製鉄所に向かったのであった。

二人が、製鉄所の中に入って、長い廊下を歩いていると、ほら、食べろ、という声がした。ということはそろそろ夕食の時間だったのか。しかし、食べるという返答は返ってこないで、代わりの音は咳である。由紀子が急いで、四畳半へ直行していった。道子も追いかけて中を見てみると、水穂さんは、布団に座ってせき込んでいた。由紀子が、急いで咳と一緒に出てくる内容物を出しやすいように、背中を撫でてやっているのだった。道子はすぐに吸引してと指示を出そうかと思ったが、この時の発作は比較的軽度だったらしく、すぐタオルが、赤く染まっただけで済んだ。部屋には由紀子と杉ちゃんがいて、もう横になるか、とそっと話しかけてやっているが、こういう時は、話をさせないようにと道子は言った。

「ご飯はちょっと中断させて。すぐに横にならせて、何も話しかけないで。できるだけ、安静にしているようにさせるのよ。」

道子は、続けてそういうことを言う。由紀子が、急いでそういう風にさせた。

「今回は吸引しなくてもいいから、早く止血剤を飲ませて、これ以上発作を大きくしないように。」

道子の指示に、由紀子が枕元に置いてあった吸い飲みを取って、水穂さんに飲ませた。

「いつも、こんな風なの?」

道子は、そう聞く。由紀子は答えなかったが、杉ちゃんが代わりに、

「結構やってるよな。」

と、言った。それは、偽りないことは、由紀子の態度を見てもすぐ取れた。

「それじゃあ、いつも何を飲んでいるの?免疫抑制剤とか、止血剤とか、いろいろあるでしょう?」

道子が聞くと、

「ええ、沖田先生が出してくれる薬は、いつもこれですが。」

由紀子が、吸い飲みに目配せした。道子は、ちょっと見せて、と吸い飲みを由紀子から受け取った。紫色の液体が吸い飲みの中に入っていたのだが、

「ああこれかあ。」

と道子は、言った。

「こんな古臭い薬、やっぱり年寄りのやることだわね。それよりも、新しい薬が、色いろあるわよ。あたしがいつもの患者さんに出している薬を投与してみましょうか?そのほうが、新しいから、もっと楽になれるんじゃない?」

「そうだけどねえ、帝大さんは、水穂さんの体質に合うものを出してくれているんだけどねえ。」

と、道子の発言に杉ちゃんが言う。

「でも、こんな古い薬、水穂さんの症状を止めてくれるとは到底思えない。幸い、この近くに薬局があったわよね。あたしが今から、指示を出すから、そこで出してもらってきて頂戴よ。」

道子は、手帳をカバンから取り出し、ページを破って、何か書き始めた。

「ほら、この薬。今の時間なら、まだ間に合うと思うわ。近くの薬局でもらってきてよ。」

と、強引にそれを由紀子に渡した。由紀子はいやそうな顔をするが、道子がそういうことを言うので、しなければならないのかなと思ってしまったらしい。急いで行ってきますと言い、部屋を出ていった。水穂さんは、止血剤のせいか、うとうとしている。

数分後、由紀子が戻ってきた。薬局で普通に出してくれたという。特に、何も注意点も言われなかったといった。彼女に薬の袋を渡されて、道子は、

「そう、これよ。之のほうが、より強い効果が得られるわ。そのほうが、いちいち発作を起こされるよりずっといいわよ。」

「はあ、それを飲むとどうなるの?」

杉ちゃんが、そういうことを聞いた。

「ええ、免疫抑制剤で、最高の薬よ。あたしが使ってきた中で、うんと重症な患者さんに投与しているの。」

「はあ、そうかあ。でも、それならお断りだ。余計なことまでしてほしくはないからね。」

道子が説明をすると、杉ちゃんがすぐに上げ足を取った。

「杉ちゃんも黙ってちゃんと聞いて。これを飲めば、発作だって、今までよりずっと減ると思うわ。そのほうが、水穂さんも、安全に過ごせるわよ。」

「いやあ、そういうのは、必ず変なことが起こるんだ。強い薬とか、いいものとして認識されているものは、大体裏がある。」

杉ちゃんは、そういうところは人一倍に敏感であった。なので道子は、

「もう、そんな変なこと言わないで。水穂さんだって、発作を起こさない方が絶対いいわよ。だって、ああしてせき込むのって、非常に苦しいのよ。それをしなくなるんだから、絶対にいいことでしょうが。まあ、副作用として、強い眠気というものはあるけれど、それだけ考えれば、何も心配いらないわ。」

と説明した。

「そーらみろ。やっぱり何か欠点があるはずだよな。そんなことも、考慮しないで平気で使うのなら、やっぱりお前さんはラスプーチンだわ。」

杉ちゃんにラスプーチンと言われると、道子はムカッとくる。自分を帝政ロシアを崩壊に導いた、インチキな僧侶と一緒にしてもらいたくない。

「だから、ラスプーチンに用はないぞ。そんな強い薬、使っても意味がないって、帝大さんはさんざん言ってたしね。」

と、杉ちゃんは言っているが、道子は、ここは強引に持って行ってしまうことにした。

「ほら、すぐにこの薬を飲ませて。効果が長続きするから、一日一度投与すれば、発作も何も起こさないで済むようになるわ。」

道子は、由紀子に持ってこさせた薬を、水で溶かすように指示を出した。由紀子はちょっと怖いと感じたのだろうか、急いで台所に行き、吸い飲みの中身を、道子から支持されたものに取り換えた。

「よし、これを飲めば大丈夫よ。すぐに飲ませて。」

道子がそういうと、由紀子は、水穂さん、起きて、これを飲んで、と声をかけて、水穂さんの口元に、吸い飲みの中身を持っていく。水穂さんは、それを静かに飲み込んだ。

「よかったわ。これで、しばらく発作を起こさないで済むわよ。」

水穂さんは、道子がそういうと、すやすやと眠り始めてしまった。杉ちゃんが、まだご飯を食べさせてないのに、といったのも、聞こえなかったようだ。

「じゃあ、これでいいわね。多分、これで発作は起こさなくなるから、大丈夫よ。効き目は、24時間で切れるから、その時にはすぐに新しく薬を飲ませてね。」

と、道子は得意げになって、よいしょと立ち上がり、心配している二人をしり目に、四畳半を出ていった。

その翌日、道子は、仕事が終わったのちに、製鉄所を訪れた。四畳半に行ってみると、水穂さんは、眠り姫のように静かに眠っていた。利用者に、様子を聞いてみると、一度目が覚めたが、その時に、ほかのものが言われたとおりに、投与したと製鉄所の利用者から聞かされた。一日中朝昼かまわず眠っている水穂さんを見て、利用者たちは大丈夫かと心配していたようであるが、道子はそれでいいのよといった。そうなのね、と利用者たちは、わかってくれたようであるが、その中で、杉ちゃんだけが、一人納得しないでいた。

「なあ、それでいいのか?」

と、杉ちゃんは、道子に言った。

「もう、お昼にすこし目を覚まして、薬を飲ませたが、ご飯も碌に食べず、眠っちまったよ。それでいいのかい?」

「ええ、そうですよ。まあ、少し眠気が出るというけど、それで、静かに寝てくれれば、発作も起こさずに済むわ。」

道子がそういうと、杉ちゃんは、

「そうかそれが理想的か。でも、それを理想的とされるようでは困るな。水穂さんのことを必要とする、利用者はいっぱいいると思うけど?」

と、いうのであった。

「でも、今は、安静が必要なのよ。薬を飲んで、安静にして、出血が治まれば、また話ができると思うわ。」

と、道子が言うと、

「それって、いつのことだ?」

と杉ちゃんは言った。

「だから、いつなんて具体的には言えないわ。それよりも、今は静かに眠っている時だと思ってよ。」

道子がそういうと杉ちゃんは、

「あのなあ、やっぱりラスプーチンだなあ。水穂さん、もう頼れる薬もないので、あとは症状を和らげてやろうというだけのことなんだよ。つまりだなあ、もう時間もないってことさ。だからさあ、その貴重な時間を、眠ってばかりで終わらせるのは、ちょっとかわいそうな気がしない?」

と、言うのである。ちょっと、道子はムカッと来た。

「そうだけど、誰でも、最後まで直そうという気持ちは持たせなきゃいけないじゃない。それに、この薬を飲んでいれば、発作だって、起こさないで済むのよ。それなら、周りの人間も楽でしょう?」

「楽ねえ。そうは思いませんね。周りのひとが楽をしたいからと言って、本人をこん睡状態のままにしておくのはどうかなあ?だって、水穂さんの世話をすることによって、生きがいを得ようとしているやつらは、いっぱいいるんだぞ。」

「いいえ、病気の人を看病するほど、いやなことはないって、介護している人は、いっぱいいるわよ。」

杉ちゃんが、倫理的な話を始めたので、道子は現実的な話をして対抗した。

「まあ、それはその家の問題だ。でも、少なくとも、水穂さんの場合、介護することによって、生きがいになっている人は多い。お前さんの薬で眠らせておくことは、それを取っ払っちまうことになる。すべてのやつが楽をしたいと思っているわけじゃないよ。」

「杉ちゃんも、さんざん人に迷惑かけているのに、そういうこと言うなんて、ちょっとおかしいわよ。」

道子がそう対抗すると、

「いや、人間誰かに迷惑をかけるから、人間らしいんじゃないの?それを取っ払っちまったら、人間じゃなくなるよ。」

と、杉ちゃんは言った。変な人、と道子は思ったが、水穂さんの具合を見させてもらいたいというと、杉ちゃんは、ラスプーチンに用はないといった。なんでそんなこというのよ、と道子は思いながら、その日はしぶしぶと帰っていった。

その次の日は、例の長谷川さんの診察の日だった。

「どうですか。こないだの薬でだいぶ痛みは取れましたか?」

道子はそういうことを言ってみる。

「ええ、それはいいんですが、仕事が見つからなくて困っております。」

と長谷川さんは答える。

「まあ、それは仕方ないことだわね。いずれにしても、建設現場のような体を使う仕事は、もうしないでちょうだいよ。あまり動かない仕事へ、すぐに変えてね。」

道子が言うと長谷川さんは、

「わかりました。なかなか見つかりませんが、家族が心配してくれますので、そうします。僕は、なぜこんな病気になってしまったのかは考えてもわかりませんが、アマビエが予言したと考えることにします。」

といった。なんでそんなに、伝承上の生物にこだわるんだろうか、道子はよくわからなかったけど、それについて言及はせず、今日の診察を終えた。

また、水穂さんのことが気になって、製鉄所に行ってみた。製鉄所に行ってみると今日は、杉ちゃんは来ていないようだ。その代わりに、水穂さんの枕元に、由紀子が座っていた。

由紀子は、道子が来たことがわかると、軽く会釈したが、その顔は、さっきまで泣いていたことをはっきり示している。

「由紀子さん、どうしたの?」

道子が言うと、

「いえ、もう会話することもできなくなるのかなと思って。それでは私、悲しすぎますから。」

由紀子は、そういうことを言った。それを聞いて、道子は昨日の杉ちゃんの言葉を思い出してしまう。

「悲しすぎるって、ずっと眠っているんだから、由紀子さんも楽なんじゃないの?」

と、聞いてみる。

「いいえ、あたしは、まだ、水穂さんに話したいことがたくさんあったのに。ずっと眠ったままなんて、悲しすぎるわ。このまま、この状態で本当に良かったのか。あたしは、ずっと自分に言い聞かせて来たけれど、実際にそうなると、耐えられないわね。もうずっと眠ってるけど、それが私のせいであるような気がして。ずっと水穂さんといたいのに、なんだかとおくへいってしまったみたい。」

そんなこと、考えたこともなかった。みんな、介護はつらすぎると口をそろえていうはずなのに。それを楽にしてやることも、医療の務めだと思っていたのに。

「でも、道子先生の言うことだから、必ず良くなるって信じてるわ。お医者さんの言うことだから。」

道子は由紀子にそういわれて、やっぱり由紀子さんがかわいそうになった。

同時に、今日の診察で、アマビエがどうのと言っていた、あの長谷川さんのことを思い出した。

患者もつらいが、介護している人もつらい。それを和らげてあげるのが、医療というものでもあるのに。

ふいに、誰かの声がした。由紀子が、それを聞いて振り向く。薬が切れたのだろうか、水穂さんはぼんやりと目を開けた。

「水穂さん、わかる、あたしよ、由紀子よ。」

水穂さんは、静かに頷いた。

「よかったわ。一度だけでも、水穂さんと会話できたんだもの。」

そういって、由紀子は、薬を飲ませようとするが、かなりためらっているのがわかる。道子は、ほら、飲ませなきゃ、というのを口にできなかった。

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ラスプーチンとアマビエ 増田朋美 @masubuchi4996

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