第五章

 昨日絵を掛けたときは気がつかなかったが、画廊に展示されていたのは川村の絵ばかりではなく、他の作家たちのものも数点ずつあった。展示は五日あって、初日は授業の準備で抜けるまで立ち会っていた。展示中は川村、もしくは彼の親友と思われる佐山という男のどちらかが常にいて、特に取り決めはなかったが他の出展者たちからも誰か一人は来ていたようだ。


 客はそこそこ入っていて、私も混じって他の人たちの作品を眺めた。私のように水彩をやる人は少なく、川村も含めてほとんどが油絵だった。なるほど、いかにも売れそうな絵であった。皮肉ではなく確かに素晴らしい絵なのである。それらに囲まれると私の絵は確かに垢抜けない印象だ。特に洗練されていたのは佐山の絵で、私の見る限り一番良く売れていた。だからといって佐山のような絵が描けるということが羨ましいとは思わなかった。


 誤解のないように強調しておくが、佐山の絵は本当に素晴らしい。あまりにも完璧な構図と色彩で、描く対象が一番美しい瞬間を寸分の狂いなく捉えているように思えた。風景はもちろん、静物にさえもそういう瞬間があるのではないかと考えてしまうくらいだった。


 ただ、彼のように対象を捉えるには、そういう一番美しい瞬間に特異的なセンサーを持ち合わせていないといけない。普段彼が目にする景色に潜む些細な美しさがごっそり遮断されてしまっているような想像を巡らせると、どうも気が滅入ってしまうのだ。だからこういった鋭い創作は私以外の誰かに任せておきたい。


 二日目は、今日から近隣の高校が夏休みに入ったということで私は朝から晩まで予備校に閉じ込められた。授業は夕方に終わったが、石膏デッサンと着彩の課題に急ぎで講評を書かなければいけなくなり、画廊には行けなかった。そろそろ仕事も終わろうかというときに画廊の川村から着信があった。

「もしもし、澤口くん?川村です。いきなり悪いね、今仕事場かい?」

「ええ、もうすぐ引き上げるところですが、どうされたんですか?」

「実は君の絵を買いたいという人がいてね、その前に一度君と話をしてみたいというんだ。今から来れるかな、って言いたいところだけど仕事場なんだよね。明日どうにか時間を作れないかな?」

「明日は四時以降なら伺えます。私も是非お話ししてみたいです。他のたくさんの名画の中から私のを選ぶなんて、相当面白い人なんでしょう。」半分冗談だが半分は本気だった。

「おいおい、もっと自信を持てよ。お客さん、君の絵を相当高く評価してらっしゃるよ。何でも、君の絵には実に面白い迷いがあるというのさ。サッシの錆だとか、枯れて打ち倒された木々だとか、時と共に刻まれる美しさを認めて憧れていながらも、自分自身が老いてそういう魅力を手にすることは良しとしない、そういう人間から見た景色だと。あまりに見事な批評だと思ったからつい口走ってしまったけれど、詳しくは明日直接聞いてくれ。じゃあよろしくね。忙しいだろうに時間を作ってくれてありがとう。」


 その客の分析を聞いてハッとさせられた。と同時に、私の絵がどうしようもなく愛おしく感じてしまった。見方によっていくらでも魅力が引き出せるような気がしてゾクゾクしたし、この絵の一番の理解者になりたいという強い欲求がマグマのように湧いてきた。頭が熱くなって、鼓動が早くなるのを感じた。突発的な発作ともいうべき熱情は、もはや抗うべきものではなかった。川村のデスクの引き出しからメモ帳を取り出し、数字が羅列されたページを開いて転記した。それから薄暗い階段を駆け下りて、画廊まで走った。赤信号を二つほど駆け抜けた気がする。画廊の搬入口側に回り、川村が持っていた数字を上から順番にドアの横にあるテンキーに打ち込んだ。三つ目か四つ目でドアが開いた。すぐに正解に辿り着かないと良くないことが起きると思ったから、ホッとした。真っ暗な画廊を入り口から漏れ入る街路灯の光を頼りにさまよい、ようやく自分の絵を見つけたときには涙が溢れた。私はそれを抱いて、逃げた。

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画廊荒らし 小林犬郎 @tkomori

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